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歴史に残る名演「A Black & White Night Live」(5)

Roy Orbisonトリビュート
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再び表舞台へと再評価の足音が聞こえてくる

1969年、キャッシュは自分の番組である『ジョニー・キャッシュ・ショー』のゲストにRoyを招く。Royはそこで、独り残されて悲しみに暮れる男「Crying」を歌った。

Johnny Cash Show 1969年9月27日 Cryingを歌うRoy

Roy Orbison Crying The Johnny Cash Show Sept 27, 1969)

『そう、君はもういない
これからもずっと、僕は泣くだろう
クライング クライング クライング
そう、泣いている 君を想って』

70年代の終わり再び調子を取り戻そうと、フレッド・フォスターと組み直したアルバムは不思議とあまり出来がよくなかった。

実はこの頃オービソンは重い心臓病のため、大掛かりなバイパス手術を受けていた。そのため続けて出したアサイラム録音も含め、いかにも病み上がりで失敗に終わっていた。

74年にはMGMからマーキュリーに、さらに79年にはアサイラムに移籍するが、いずれもヒット作には恵まれない時代が続いた。



そうこうするうち、なかなか突破口を見つけられなかったオービソンにも、いよいよ追い風が吹き始める。

この連載(3)で既述のとおり「ブルー・バイユー」をリンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)がカバーして大ヒット(1977年全米3位)となった。

「クライング」をドン・マクリーン(Don Mclean)がカバーしてこれもヒット(1981年全米5位)。

そしてこれもこの連載(3)で紹介済みだが、エミルー・ハリス(Emmylou Harris)とのデュエット曲「ザッツ・ラヴィン・ユー・フィーリング・アゲイン(That Lovin’ You Feelin’ Again)」が全米55位と久しぶりにヒットし、1981年2月の第23回グラミー賞で最優秀カントリー・デュオ・レコードに選ばれた。

82年にはヴァン・ヘイレンが「オー!・プリティ・ウーマン」をハード・ロックでカバーしヒット。

子供時代にオービソンをアイドルにしていたブルース・スプリングスティーンが自作曲「サンダー・ロード」の歌詞の中にオービソンを登場させたことは紹介済みだが、他にも「ハングリー・ハート」など明らかにオービソンを連想させる曲を次々にヒットさせていった。

Bruce Springgsteen – Hungry Heart

Bruce Springsteen – Hungry Heart (Official Audio)

そして86年にはリンチ(David Lynch)監督の映画「ブルー・ベルベット(Blue Velvet)」で63年のヒット曲「イン・ドリームス」を採用して話題になり、急にロイの身辺が賑やかになっていった。

映画「ブルー・ベルベット(Blue Velvet)」の劇中で使われた「イン・ドリームス」

[ Blue Velvet ] In Dreams by Roy Orbison – Extended Version. (HD)

87年1月には「ロックの殿堂」入りし、4月には新たに契約したヴァージン・レコードから再録アルバム「イン・ドリームス」発売。

8月からは本格的な全米ツアーをスタートさせた。この成功を受けて9月30日に歴史的名演となった「ブラック&ホワイト・ナイト」の開催へとつながっていったのである。

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1本の電話から動き出したオービソンの運命

そんななか、オービソンの運命を大きく動かすことになる1本の電話が入る。

「僕は子供の頃からロイ・オービソンの大ファンだったんだよ。だけど、あれほどの人物だ。雲の上の人だと思っていた。だから、話が出来るなんて考えたこともなかった。でも、このままじゃ悔いが残るだろ。だから思い切って電話してみたんだよ。そしたら、あのレコードと同じ優しい声で”やあ、ジェフ。テキサスまで遊びに来なよ。”っていうんだ。天にも昇る気持ちだった。その日のうちに荷物をまとめて飛行機に飛び乗り、3000キロも離れたテキサスにあるロイの自宅に行ったよ。」

と語るのは、ジェフ・リン。ウェストコーストのロックスターで名うてのプロデューサー。

80年代半ば、全米のラジオで耳慣れないバンドが紹介された。

トラベリング・ウィルベリーズというこのバンドは、長年無名でドサ回りを続けてきたもののついにメジャーデビューを果たしたウィルベリー兄弟のバンドというふれこみ。

ところが、このバンドの「Not Alone Any More」を聴いた人々は驚愕した。よみがえりつつあった伝説の声、全盛期のオービソンの声だった。

Not Alone Any More-トラベリング・ウィルベリーズ

Wilburys Not Alone Anymore

60年代の全盛期を完全に蘇らせたこの曲は瞬く間にヒット街道に乗った。このトラベリング・ウィルベリーズに関する話は、別途独立した記事を構想中である。

こうして風変わりなカムバックを果たした「生きた伝説」の復活を一番喜んだのは、彼をリスペクトする次世代のミュージシャンたちであった。

まさに復活の機運が盛り上がった時期に開催されたのが、この夜の復活コンサートであった。当初はケーブルTVでの放映が予定されていたのみであったが、放映後の反響があまりに凄まじくCD化、ビデオ化、DVD化された。

痛手から立ち直ったRoyは、焼失した家の跡地の隣に新しい家を建てた。キャッシュはその空き地を買い取って果樹園にして、その敷地を売却しないことを約束した。Royが再婚して新しい子供達が生まれると、キャッシュは名付け親にもなった。

その後充実した創作活動を続け、アルバムとして大々的に発売される予定になっていた。発売間近の1988年12月4日(日)クリーブランド近郊のFront Row Theaterのステージが、彼にとって最後の演奏になってしまった。

そして疎遠になっていた三男ウェズリーと母Nadineが暮らす実家に遊びに行き、和解した二人は、一緒に演奏したり歌ったり曲を作ったりした。

そして翌日、大好きなリモコン飛行機で遊んだりした後、くつろいでいたRoyはバスルームで倒れているところを発見されたのが午後11時。救急搬送された病院での手当の甲斐なく帰らぬ人となった。1988年12月6日午後11時54分享年52歳、心臓発作であった。

死後発売されたアルバム「ミステリー・ガール」はあっという間に全米1位となった。この遺作アルバムについて、ロイ・オービソンに惚れ込んだ人が詳細な紹介をしているブログがある。

死後同名の映画(1990年)の主題歌となったことにより再びヒットした「オー!プリティ・ウーマン」でグラミー賞を受賞した時、バーバラ未亡人が代理出席してこんなことをいった。

「ロイは、生前、よく”僕は名誉とか富とかあまり興味がないんだ。ただ、みんなが覚えていてくれたらそれだけで満足なんだ。”と言っていました。きっと、ここにロイが来ていたら一言こういうと思います。」「”みんな、覚えていてくれてありがとう。”」

Tom PettyはRoyとの思い出をこう語っている。

「JeffがRoyと仕事をしてた時に僕を呼んでくれてね、その時、一緒に書いた曲が”You Got It”なんだ。Royと曲が書けたなんて夢のようだよ。Royと出会えて、一緒に仕事ができたなんて感激だね。彼は世界で一番のシンガーだと思うよ。」
「心が大きな人だったな。とても懐が深い人だった。そして、彼の生き方ってものにはひどく共感させられるものがあったよ。その日その日をとても大切にする人でね。まあ、心の底から”いい奴”だったんだ。」

その死から二年後のある日、キャッシュはウェズリーが果樹園をうろついていることに気づいた。尋ねると、そこにいると癒されるという。キャッシュはバスケット一杯のフルーツを彼に与え、いつでも自由に収穫していいよと伝えた。そしてその敷地を、無償で譲り渡したのだった。

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