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歴史に残る名演「A Black & White Night Live」(1)

Roy Orbisonトリビュート
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ア・ブラック・アンド・ホワイト・ナイト・ライブ(A Black & White Night Live)とは

ロイ・オービソン(Roy Orbison)のライブ・アルバムのタイトルである。その名の通り黒と白に限定したドレスコードに従って客が集まるパーティが欧米では昔からあったようで、ここでは観客も演奏者も黒と白に統一された服装でライブが行われた。

1987年9月30日 ロサンゼルス アンバサダーホテル ココナッツ・グローヴにて録音・録画

このライブの模様は1988年1月ケーブルテレビCinemaxにて全米に放映され、大評判となった。

そのためT・ボーン・バーネットのプロデュースによりビデオ化され、CDも1989年11月にヴァージン・レコードからリリースされた。

1988年末にはロイが心臓発作のため52歳で急死したので、結果的にアルバム「ミステリー・ガール」と並んで彼の遺作となってしまった。

発表当時は「A Black & White Night Live(ア・ブラック・アンド・ホワイト・ナイト・ライブ)」というタイトルで16曲入りであったが、1999年にオービソン・レコードから発売されたリマスター盤はタイトルが「Black & White Night(ブラック・アンド・ホワイト・ナイト)」と変更され、「クローデット」を追加収録し曲順も変更された。以下ここではリマスター盤を前提に話を進める。

リマスター盤のジャケット
ライブ終了後の集合写真

ロイ・オービソンは商業的なライブレコーディングを認めないアーティストであったため、これが生涯で唯一のライブ作品となった。

ライブにおいてロイは常にスタジオ録音をそのまま再現するということを目指していたという。その厳格なこだわりが制約の多いライブ録音を許さない行動につながったと思われる。

現在もDVD、CDが容易に入手出来るため、当時の様子が簡単に視聴可能である。また動画としてYouTubeでも曲別あるいは全編のファイルがアップされておりいつでも楽しめるようになっている。動画ではタイトル通り出演者も観客も白黒の服装であるばかりか画像自体も白黒というシックな大人の世界が演出されている。

ライブ開催に至る背景

バーバラ・オービソンとT・ボーン・バーネットが企画し、T・ボーン・バーネットの呼びかけとプロデュースによりボランティアで駆けつけた当代一流のまばゆいばかりの絢爛豪華なメンバーは「Roy Orbison and Friends」と称された。

たった一夜限りであるからこそ実現できたと思われるこの贅沢なライブは、どの出演者も当時既に名を成した強烈な個性を持ったアーティストばかりであり、個性の違いがぶつかりあって崩壊の危険も十分有り得た。

ところがロイ・オービソンという求心力を得て、互いの個性の違いを乗り越え、より高い音楽性が実現できている。またバックはエルヴィス・プレスリーのバックバンドであったTCBバンドがしっかりと固めている。

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1955年にデビューしエルヴィス・プレスリーとも交流があったロイは60年から65年にかけては「オンリー・ザ・ロンリー」、「イン・ドリームス」、「クライング」、「オー・プリティ・ウーマン」をはじめヒット曲を立て続けにチャートに送り込み、ロイは「ビッグ・オー」と呼ばれるようになる。

しかしそれまでの栄光が嘘だったかのように60年代後半からはヒット曲も一切出ず、長い不遇の時代を送っていたオービソン。そのうちリンダ・ロンシュタット(「ブルー・バイユー」をカバー)やJ.D.サウザーら様々なアーティストによるカバーやリスペクトを受けつつ、1986年にはデイヴィッド・リンチ監督の映画「ブルー・ヴェルベット」に代表作の一つ「In Dreams」が使用されるなど、ゆっくりと染み込むような再評価の流れが始まった。

Roy Orbison – In dreams – from the movie Blue Velvet

1987年には自身のヒット曲を再録音したアルバム『イン・ドリームス:グレイテスト・ヒッツ』をリリースする。

1987年ロックンロール殿堂入り

既に殿堂入りを果たしていたブルース・スプリングスティーンがロイの殿堂入りに大きな力となったことは有名である。そし殿堂入り授賞式てロイのプレゼンターの役割を果たすことになったスプリングスティーンのスピーチは現在も語り継がれることになった。

 「1975年に『Born To Run(明日なき暴走)』を作るためにスタジオ入りした時、僕はボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そして何よりもロイ・オービソンのように歌おうと努力したんだ」

自身のアイドル「ビッグ・オー」ことロイ・オービソンをこのように少年のような興奮の中で紹介した。

今も語り継がれるスプリングスティーンのスピーチ

Roy Orbison & Bruce Springsteen – Oh, Pretty Woman (Live)




なおこのスピーチに出てくる『Born To Run(明日なき暴走)』に収録された「Thunder Road(涙のサンダーロード)」の歌詞にロイの名前が実際に出てくる。

Thunder Road-Bruce Springsteen

Bruce Springsteen – Thunder Road (DVD Version)

ロックの殿堂入りと同じ年にナッシュビル・ソングライターの殿堂入りも同時に果たしたロイ・オービソンは復活を強く印象付けることに成功する。

この受賞後の9月にLAにおいて行われたのが、後に歴史に残る名演・名盤と言われるようになった「A Black & White Night Live」だった。皮肉にもライブ録音を認めなかったロイ・オービソンが遺作のように残した唯一のライブ盤が時を経てもなお高い評価を受け続けることになった。

この87年にはさらに再評価の波は続き、映画「レス・ザン・ゼロ」にエンディング曲「Life Fades Away」を提供して、若い世代にもその哀切な歌声の儚さは伝わることになった。

Life Fades Away-映画「レス・ザン・ゼロ」バージョン

"LIFE FADES AWAY" – Roy Orbison, Glenn Danzig

こうして翌88年には覆面スーパーバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」の一員としても成功を収めることになるが、これに関してはこの連載とは別途の記事を構想中であり、詳細はそちらに譲ることにする。

次世代の一流ミュージシャン達からリスペクトを受けたたロイ・オービソン

「A Black & White Night Live」にボランティアで駆けつけた一流ミュージシャンはもちろん、覆面スーパーバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」の他の4人のメンバーからもリスペクトを受けた理由は一体何処にあるのか、に関して個人的に興味があったので調査を続けた。

英語が堪能であればその答えが見つかったのかもしれないが、日本語資料に限定された調査では限界があって真実に迫ることは出来なかった。

この疑問に答える解説が見当たらないので推測するしかない。50年代半ばのロックンロール黎明期を生き抜き、度重なる人生の悲劇に遭遇しながらも、決して強さやユーモアを失わないロイ・オービソンは、ロック界のVIPとなった彼等を少年のような心に戻してくれる憧れの対象だったのだ。

ブルース・スプリングスティーンは「孤独で暗い気持ちになった時、彼のバラードほど心にしみわたるものはない。」とも述べているが、同じ気持ちの人は多いだろう。

ロイ・オービソンを語る上で忘れられないのは彼を襲った人生の悲劇である。1966年6月、ロイと彼の最初の妻であるクローデットが帰宅途中交通事故に遭い、クローデットは亡くなった。さらに追い討ちをかけるように1968年、ロイが旅行中に自宅が火事で焼け、息子2人が死亡した。

妻クローデット、息子デ・ウェインと。1963年

若きロイが恋人であり後に最初の妻になるクローデットをタイトルにした曲を作り、この夜のライブでも歌った。結婚を前にした舞い上がるようなウキウキした気分を上手に表現した曲であるが、その後の悲運を知っているだけに胸に迫る思いを抱きながら聞いた人が多いであろう。

いずれにせよこの夜のライブにボランティアで駆けつけたブルース・スプリングスティーンをはじめとする一流ミュージシャン達が少年のような弾ける笑顔でロイを見つめ、心の底から楽しみながら演奏している姿を映像により確認できる。この事実が彼らのリスペクトぶりを何より雄弁に物語っている。

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