はじめに
エンリコ・マシアス(Enrico Macias)の「恋心」と並ぶ日本での代表曲。
原題は「A Solenzara」、邦題は「思い出のソレンツァラ」。
日本では越路吹雪や岸洋子その他、ギター演奏ではクロード・チアリで親しまれている。
ソレンツァラはナポレオンが生まれたコルシカ島南東部にある観光地・漁港の地名。
歌詞はソレンツァラでの出会い・別れ・再会の誓いが歌われており、日本語の歌詞に近いものになっている。
原詩の作詞者Dominique Marfisi(1902-1973)はコルシカ生まれのソングライターで、郷土愛を込めて、フランス語やイタリア語ではなく敢えてこの歌をコルシカ語で作った。
1965年にフランスのシャモニーのコンクールでグランプリを獲り、やはりコルシカの夫婦デュエット「レジーナとブルーノ(Régina et Bruno)」が歌い地元でのヒットとなった。この動画も下記に掲載している。
これをエンリコ・マシアスが原詩のコルシカ語から、サビの部分を残し、フランス語に訳して歌い、全仏ヒットから世界的な大ヒットとなった。
エンリコ・マシアス(Enrico Macias)
エンリコ・マシアス(Enrico Macias)はアルジェリア生まれのユダヤ系フランス人で、アルジェリア独立時に本国に帰還したピエ・ノワールと呼ばれる引揚者で、活動の初めから彼を支持したのはピエ・ノワールの人達である。
「思い出のソレンツァラ(A Solenzara)」のヒットも最初はこの人達の間でヒットした。
エンリコ・マシアスのもう一つの忘れられない歌に「恋心」がある。この歌も日本では永田文夫が日本語の歌詞をつけて、やるせないような男女の「恋」の歌にしてヒットしたが、本来の歌詞はアルジェリア独立闘争の中で作られた、「人間の至上の愛」を歌ったものである。
このような例は他にも多数あるが、これはまるで違った感じの歌になっていた。
エンリコ・マシアス(Enrico Macias)はアルジェリア独立の時と同様に、イスラエル支援と同時にアラブとユダヤの平和共存・共生を訴える多くの歌を歌っている。
またその政治的姿勢故に、彼を支持する層と反対する層が分かれている人でもある。
Enrico Macias(エンリコ・マシアス)
イタリア語バージョン
カバーセレクション
コルシカ語のオリジナルバージョン(1962年) Régina et Bruno – Solenzara
本当はこちらがオリジナルであってカバーではないがお許しを。
ドイツ語のカバー?(詳細不明)
Franck Pourcel(フランク・プールセル楽団)
クロード・チアリ(日本公演ライブ音源)
日本のカバー
岸洋子
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越路吹雪
倍賞千恵子
おまけ マシアスの「遠くへ行きたい」
最後におまけとしてこの記事のテーマから離れるが、中村八大作曲、永六輔作詞の「遠くへ行きたい」をカバーしている。歌詞の内容は全く異なるという。
Enrico Macias 私の最後のチャンス(Ma Dernier Chance) 1963年
<歌詞>
Sur la plag’ de Solenzara
Nous nous sommes rencontrs,
Un pecheur et sa guitare
Chantaient dans la nuit d’t
Cette douce mlope.
Sur la plag’ de Solenzara
Chaque soir on a dans
Et le jour de ton dpart
J’ai compris que je t’aimais
Et je ne t’ai plus quite
[Refrain:]
Solenzara
Oh ! chi dolce felicita
Solenzara
Pi bnum si posta….
Quand j’entends la mlodie
Qui m’a donn tant de joie
Je sais que cette nuit-l
Notre amour a pris sa vie
Au cur de Solenzara
[Instrumental]
Solenzara
J’y reviendrai tous les ts
Solenzara
Pi bnum si posta….
Pi bnum si posta….
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