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アローン・アゲイン(Alone Again “Naturally”)~Gilbert O’Sullivan

A--E(T)

 アイルランド出身イギリス育ちのシンガー・ソングライターであるギルバート・オサリバンの代表曲がこの「アローン・アゲイン」72年6週連続で全米1位となった大ヒット曲である。メロディが耳に心地良いのだが歌詞の内容は自殺予告ソングであった。

自殺予告ソング

 「またひとりぼっちになっちゃったよ」というこの曲は、ズバリ「自殺予告ソング」である。あの耳を優しくくすぐるような、眠りさえ誘いかねないふんわりとしたメロディからは、まるで想像もつかない悲惨な内容なのである。

 もう何年も前から「アローン・アゲイン」はここ日本でCMソングやTVドラマのテーマ曲などに引っ張りだこなのだった。フンイキだけが先行してしまう洋楽ナンバーを安直に使用するとトンデモないことになる、というお手本になりそうな曲、それがこの「アローン・アゲイン」だと言っても過言ではない。

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 全米チャートで6週間にもわたってNo.1の座を死守したこの”自殺予告ソング”が、何故にそんなに大ヒットしたのか。

 一説には、この曲はシンガー自身の実体験に基づいている、と言われているが、彼自身はそれを否定している。曲の主人公は、先に父を、後に母を失い、あまつさえ、結婚式の当日に花嫁に逃げられてしまうという、これ以上ないというほどの不幸を味わう男性。が、この曲がリリースされた1972年当時、彼の母親は健在だった。この動かし難い事実ひとつをとってみても、曲の主人公がシンガー自身を投影した人物である、という説は一瞬にして覆ってしまう。但し彼は、次のような言葉を残している。

 曰く「幼い頃に父が亡くなったので、父の記憶はほとんどありません。ただ、父が母に辛く当たっていたことは記憶しています」。ギルバート・オサリヴァンは、必ずしも幸せな幼少時代を過ごしたとは言えないようだ。

 では、何故に彼はここまでミもフタもない歌詞を綴ったのか? その理由の真相(或いは深層)は、直接、本人に訊ねでもしない限り判らない。ひとつだけ言えるのは、この曲の主人公が、とにもかくにも”塔のてっぺんから飛び降りて自殺してやる”と不特定多数の人々に向かって宣言している、ということだ。結婚式の当日に花嫁に逃げられた、という設定であるから、その心情は察するに余りある。

 当時、この曲が6週間も全米No.1の座に君臨したのは、メロディの美麗さも然ることながら、歌詞に共鳴した人々が大勢いたからではないか、と推測される。そしてその大半は男性だったに違いない。遠回しの表現が所々で顔を出す歌詞の行間を読むようにして、当時の哀しき殿方たちは、ここに綴られた言霊に涙したことだろう。

オリジナル・アルバムには未収録だった

 ギルバート・オサリバン最初のNo.1 ヒットだが、この曲はオリジナル・アルバムには収められていなかったので、ファースト・アルバムの 「Himself 」に後からプラスされたり、日本ではセカンド・アルバムの「バック・トゥ・フロント」に収録の「クレア」(これもNo.1 ヒット)と差し替えられアルバム・タイトルも「アローン・アゲイン」とされるなど、当時のレコード会社の慌てぶりがうかがえる。

 この曲のヒットを皮切りに「クレア」、「ゲット・ダウン」などヒット曲を連発し、ビートルズが解散した後のミュージック・シーンでエルトン・ジョンと並ぶメロディ・メーカーと言われていたこともあった。でもMAMレコードを主催しプロデューサーでもあるゴードン・ミルズとの関係が悪化し始めた頃から失速してしまった。

時間の流れが逆の歌詞

 この曲の歌詞は時間の流れが逆で、3番目の歌詞で父と母を既に亡くして一人ぼっちということが判り、2番目の歌詞で昨日までは割りと陽気で明るい普通の若者だった人物が、1番の歌詞では教会の結婚式で花嫁を待ちくたびれて、彼女にすっぽかされたのと周りの形ばかりの知り合いの人たちに苛立ち、自棄(やけ)を起こして身投げでもしてやろうかと考えている・・・

 でも実際には自分に無関心な人たちが教会から段々と居なくなってしまい、結局自分もまた一人ぼっちに戻る・・・といった内容である。 歌詞の内容から言えば、TV のコマーシャルや結婚式向けではない。

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 この曲はゆったりとしている割には早口で歌われ、歌詞が延々と続いて切れ目が見つけにくく、訳すのも歌うのも難しい。 lurch と church 、much とtouch 、years と appears 、taken と broken と spoken など、似たような発音の単語を並べて韻を踏んでいるので、言葉の流れを楽しめる。

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ギルバート・オサリバン

 英国人というイメージが強いのだけれど、実はアイルランド出身。大学在学中にバンド活動を始めた彼は60年代半ばから自分の作詞作曲した作品のデモテープをあらゆる音楽出版社に売り込んだ。
 67年にはCBSよりシングルデビューした。その2年後の69年にはトム・ジョーンズのマネージャーとして知られるゴードン・ミルズの主宰するMAM レコードと契約した。
 翌70年にはシングル「ナッシング・ライムド」 (Nothing Rhymed)が 全英8位のヒットとなり、アルバム『ヒムセルフ~ギルバート・オサリバンの肖像』 (Himself) も全英5位になるなど一躍スターダムにのし上がった。
 そして72年シングル「アローン・アゲイン」 (Alone Again – Naturally) の大ヒットを飛ばした。同年グラミー賞にノミネートされた。とりわけアメリカではビルボードで6週連続1位、同年の年間シングルチャートでは2位を記録するほどの大成功を収めた。
 同時期に発売されたアルバム『バック・トゥ・フロント』も全英で№1を獲得し、その後彼は「ゲット・ダウン」 (Get Down)や「クレア」、「ウー・ベイビー」 などをはじめ、主に欧米と日本を中心に1970年代前半に、次々とヒットを連発した。

 プロデューサーであったゴードン・ミルズとは家族ぐるみの親交があった(代表曲のひとつ「クレア」で歌われているのはミルズの末娘の事である)が、その後、音楽的な方向性や、さらにロイヤルティーの分配などをめぐって関係が悪化していき、ミルズとの間に決定的な亀裂が生じてしまった。
 最終的にはオサリバンがミルズを相手取って訴訟を起こす事態にまで発展してしまう。裁判自体は1984年にオサリバン側の勝訴という結果となったが(その後ミルズは1986年に51歳で死去している)、数年にわたる裁判のために音楽活動は停滞。人気にも翳りが見えはじめ、またオサリバン自身も半ば人間不信に陥っていしまい、1985年あたりからはチャンネル諸島のジャージー島という人里離れた島で静かに暮らしながらもマイペースに音楽は作り続けていた。

 1990年代からは音楽シーンに復帰を果たし、自らの半生をモチーフとしたミュージカルのスコアを書いたり、サッポロビールのCMのために新曲 (Taking a Chance on Love) を書き下ろしたりと、マイペースながらオサリバンらしい創作活動を続けている。

Gilbert O’Sullivan(ギルバート・オサリバン)

Gilbert O'Sullivan – Alone Again (Naturally)

当時のTV映像

Gilbert O'Sullivan – Alone Again (original version)

リマスター盤

Gilbert O'Sullivan – Alone again, naturally (video/audio edited & remastered) HQ

Sarah Vaughan

Alone Again Naturally – Sarah Vaughan

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