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ビコーズ(Because)~The Dave Clark Five

A--E(T)

 64年ビートルズの対抗馬としてリバプールサウンドに対しトッテナムサウンドと呼ばれた英国の5人組バンドがデイヴ・クラーク・ファイヴ。

 もう既に「ドゥ・ユー・ラブ・ミー」のカバーで紹介済みのグループだが当時は日本でも非常に人気があった。64年のこの「ビコーズ」と同じ年にビートルズの「抱きしめたい」に入れ替わって英国チャート1位になった「グラッド・オール・オーバー」のヒットも出している。ビートルズの「ビコーズ」とは同名異曲。

 B面であったためか本国イギリスではヒットせずアメリカで64年シングル発売されると全米3位のヒットとなった。アメリカ重視の戦略のためと思われている。65年に唯一全米1位になった「Over And Over」が全英45位だったというのがその最たるものだった。

結成に至る誤情報

「デイヴ・クラークが所属していたサッカー・チームの遠征費を稼ぐためにチーム・メイトとともに結成したのがデイヴ・クラーク・ファイヴだった」

 あまりにも有名なエピソードである。しかしこれは、EMIがプロモーションのためにでっち上げた作り話であったことがのちに明らかにされている。にもかかわらず、 きちんと訂正されておらず、そのことを言及していない資料が多いのが現状である。こんなところにも、いかに解散後に彼らのことが語られる機会が少なかったかが忍ばれる。

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 デイヴ・クラーク(d,vo)は1942年12月15日、ロンドンの北の外れの下町、トッテナム生まれ。クラークは58年、ビートルズなどと同様にイギリスで巻き起こったスキッフル・ブームに 影響を受けてボーカル兼サックス・プレイヤーのスタン・サクソン、ギタリストのリック・ハックスリーなどとともにスキッフル・バンド、デイヴ・クラーク・ファイヴ・フューチャリング・スタン・サクソンを結成。 地元トッテナムのクラブにレギュラー出演するようになった。とはいえ、まともな仕事は少なく、バンド活動と平行してクラークは映画やドラマのスタント・マンの仕事をこなしていた。

 またバンドのメンバーの入れ替わりも激しく、 60年にスタン・サクソンが脱退した時点でバンド名はデイヴ・クラーク・ファイヴと短くなり、さらに61年頃にはクラークとハックスリーの2人のみになるという、バンド存続のピンチとなった。

 そんな時、同じくロンドンのクラブで活躍中だったインパラズというバンドが解散寸前だと知ったクラークはインパラズのマイク・スミス(vo,key)、レニー・デヴィッドソン(g,vo)の2人をスカウト。 そしてクラークの知人、デニス・ペイトン(sax)を加入させ、さらにハックスリーがベーシストに転向。こうしてクラーク、ハックスリー、スミス、デヴィッドソン、ペイトンという、解散まで 変わることのないラインナップが揃ったのである。

 メンバーも固定し、トッテナムでも注目されるようになった彼らは62年6月、パイ・レコード傘下のピカデリーとレコーディング契約を結ぶに至った。しかし、同レーベルから発売された デビュー・シングルI Knew It All The Time、それに続くセカンドFirst Loveはいずれも全く売れず、一方的にパイから契約を破棄されてしまった。このように当時のデイヴ・クラーク・ファイヴは、一旦はデビューにこぎつけながら 成功とは程遠い状態にあった。

トッテナム・サウンドの確立

 こうして、再びクラブ・バンドと化したデイヴ・クラーク・ファイヴだが、63年1月、EMI傘下のコロムビア・レコードとすぐにレコーディング契約を結ぶことに成功した。

 まず63年3月、再デビュー・シングルThe Mulberry Bushを発表。 これはイギリスの古い子守歌を改作したものだったが、やはり全く売れず。続いて9月にはコントゥアーズの大ヒット曲、Do You Love Meをセカンド・シングルとして発表。ラウドなサウンド、スミスのソウルフルなボーカルと出来は素晴らしかったものの、 同時期にブライアン・プール&トレメロウズ(62年1月のデッカでのオーディションでビートルズを抑えて合格したバンドとして知られる)がシングル・カットして全英1位に輝いていたために注目されず、30位どまりに終わった。

 「再デビュー」も失敗に終わりそうな危機に陥ったデイヴ・クラーク・ファイヴだったが、そんな状況を救ったのはソング・ライターとしての実力も向上しつつあったスミスであった。

 彼が書いたオリジナル・ナンバーGlad All Overは63年11月にサード・シングルとして発売されると、64年に入ってすぐにビートルズの I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)を追い抜き、全英No.1に輝いたのである。

 その途端、イギリスのマスコミは「ビートルズに強力なライバル出現」「ロンドンがリバプールを倒した」などと騒ぎ立て、デイヴ・クラーク・ファイヴは一躍注目の的となったのである。

 甘くポップなメロディを持ちながら、ラウドなサックスを中心とした独特で個性的なバンド・アンサンブル、スミスのソウルフル・ボイス、異常に骨太なベースとドラム、フィル・スペクターの影響の強いエコーの深くかかったサウンド。

 「ビートルズのライバル」という 当時の報道のされ方は大袈裟であったことは否めないが、確かに他の同時代のバンドにはない、個性的なものであったことは紛れもない事実であろう。

 さらに3月にはGlad All Overと同路線のシングルBits And Piecesを発表すると、これも全英2位まで上昇。この曲の中に 足を踏み鳴らすような音が入っており、ダンス・ホールでこの曲をかけると、そのパートで客が派手に足を踏み鳴らすのが大流行。そのために床が抜けてしまうダンス・ホールが続出したというエピソードまで生まれている。

 こうしてイギリス国内で人気が爆発、ビートルズなどの リバプール・サウンドに対抗する勢力として「トッテナム・サウンド」と名づけられたこの時期の彼らのサウンドは確かに個性的なものであり、もっと再評価されてよい。

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アメリカ進出と「アイドル・イメージ」

 こうしてイギリス国内で確固たる人気を確立したデイヴ・クラーク・ファイヴは64年3月には早くも渡米。ビートルズが出演したことで有名な「エド・サリヴァン・ショウ」に出演、その直後から彼らは本国・イギリスよりもアメリカでの人気の方が高いバンドとなっていく。

 実際、同年6月にはイギリスのビート・バンドとしては初めて(ビートルズよりも先!)全米ツアーを敢行。 イギリスではGlad All Over、Bits And Pieces以降は大ヒットが生まれにくくなっていったのに対し、アメリカではこの後、67年までの間に実に14曲ものシングル・ヒットを放っている。

 これはアメリカ進出以降、アルバムやシングルB面では従来のサウンドを保ちつつも、シングル曲ではアメリカ向けにサウンドを修正したためと考えてよいだろう。

 アメリカでの代表的なヒット曲、Can’t You See That She’s Mine(カッコいい二人)(64年:全米4位、全英10位)、Because(64年:全米3位)、Catch If You Can(若さをつかもう)(65年:全米4位、全英5位)、 Over And Over(65年:全米1位、全英45位)などを聴くと、デビュー当初のラウドで骨太なイメージが薄れ、元々持ち合わせていた甘く、ポップなメロディを強調するようになっているのが分かる。

 スミスのボーカルも、ソウルフル一辺倒でなく、曲によって甘い歌声も聞かせるようになっている。こうした変化は「アメリカで売りたいがため」のものなのか、「成長」によるものなのか、 元メンバーのコメントがないためはっきりしないが、そのおかげでアメリカでの大成功をもたらしたことは紛れもない事実である。

 またクラーク、スミス、デヴィッドソンという3人のソング・ライターの存在も見逃せないところではある。

 同時に「アイドル」としての人気もアメリカではビートルズに迫るほどのものがあった。特に笑顔を振り撒きながら激しいドラミングを聴かせるクラークの人気はすざまじく、ビートルズのリンゴ・スターをも凌ぐものであった。65年には主演映画「5人の週末」(英題:Catch Us If You Can、米題:Having A Wild Weekend)も制作されている。

 ただし、こうしたポップ化によって時代にとり残されてしまったのも事実である。65年以降の「フォーク・ロック・ムーブメント」、67年以降の「フラワー・パワー」などといったロック界の大きなうねりとは一切関係のない存在と化してしまい、67年以降はライブ活動も停止、以降はアメリカですらめったにヒットが生まれなくなってしまった。

 「ポップ・バンド」としてのイメージ、「アイドル」としてのイメージが 定着してしまったために、路線変更できなかったのは彼らの「悲劇」であろう。

 70年8月、解散を表明。ハックスリー、デヴィッドソン、ペイトンは音楽業界から引退。クラークとスミスはしばらく2人で組んでデイヴ・クラーク・ファイヴ、デイヴ・クラーク&フレンズなどを名乗りながら活動を続けるもうまくいかず。

 クラークは映像制作とデイヴ・クラーク・ファイヴの原盤管理を目的とする会社の経営に専念している。 スミスはミュージカルやテレビ番組のテーマ曲を手がけたり、時々アルバムを出したりと細々とではあるが、音楽活動を続けている。

 アメリカ進出以降のアイドル・ポップ・バンドのイメージ、そしてクラークによる厳しい原盤管理が災いして、正当に評価されることのない彼ら・・・。

 しかし、初期の骨太でラウドなサウンドは間違いなく「ブリティッシュ・ビートの個性派」であったし、また、アイドル路線に進んで以降の彼らも「良質なポップ・バンド」であった。そのことはもっと評価されてしかるべきであると思う。

 特に初期のサウンドはひょっとすると「元祖パワー・ポップ」ではないかとすら思ってしまう。「単なるナツメロ・バンド」と決めつけている人たちは騙されたと思って初期の曲を聴き直してもらいたい。

 甘くポップなメロディを持ちながら、ラウドなサックスを中心とした独特で個性的なバンド・アンサンブル。ボーカルも甘さと荒々しさを曲によって使い分けている。その意味でこの曲だけを聞いてこのグループ全体の印象を決められない。

コメント

  1. 遠州ヒマ助 より:

    初めまして,なつかしい曲を大変詳しく解説されていて感心しました。ライナーノートなどを参考にしているんでしょうか? ところで,3年前程前にお笑いタレントのクマムシの「あったかいんだからぁ」という曲が流行りましたが,その曲を初めて聴いたとき,最初のフレーズが「ビコーズ」そっくりだ!と思いました。彼らがこの「ビコーズ」を知らずに作曲したとしたら,すごい偶然だなあって思いました。

    • 竜馬 竜馬 より:

      遠州ヒマ助さん、コメントをありがとうございます。

      もう10年以上前から青春時代に好きで聞いていた曲のことを書き始めて、新しい情報に接するたびに少しずつ書き足すということを繰り返してきました。気が付いたら記事数も記事の中身も月日と共に成長してきたというわけです。ネットで海外の公式サイトをチェックすると意外に面白い情報に接することが多いですよ。

      お笑いタレントのことは名前も全く知りませんので申し訳ございません。

      これからも内容の充実に努めてまいりますのでよろしくお願いいたします。