ヒストリー

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【兄か神か謎の多い歌詞】サニー|【音楽一家生まれ】ボビー・ヘブ

シンガーソングライターのボビー・ヘブが66年に放ったヒット曲。ボビーの兄ハルが63年11月強盗に襲われ帰らぬ人となった。ボビーはその亡き兄の思い出を1曲の歌にした。それがこの「SUNNY」という曲。だが後日ボビー本人は兄の死との関係を否定している。
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【5曲連続全米1位の最初】愛はどこへ行ったの|ザ・スプリームス

61年モータウンと契約したが下積み生活が続いた。64年に吹き込んだ「愛はどこへ行ったの」が1964年8月1日付で5位にランクされ、その3週間後に初めて全米1位を獲得。この大ヒットをきっかけに5曲連続全米1位の前代未聞の大進撃が始まった。
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【原曲は19世紀】砂に書いたラブレター|パット・ブーン

元をたどれば19世紀のトラディッショナル音楽が原曲で1871年にピアノアレンジされた。これを1931年に更にアレンジしたものが「砂に書いたラブレター」としてヒット。プレスリーと並ぶ人気だったパット・ブーンが57年主演映画の中で歌いミリオンセラーとなった。
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【名曲誕生秘話】Will You (Still) Love Me Tomorrow|ビートルズ他カバー

ルーツであるゴスペルやR&Bのリズム感に、白人作曲家のポップ性が見事にマッチ。こうして独特のシュレルズ・サウンドが完成した。同時期のモータウン系が黒人によって全てを作ったのと比べ、60年代前半の米国において黒人と白人の文化を見事に融合したスタイルを作り上げた。
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【全米トップ10最後の曲】ヴァケイション|コニー・フランシス

歌詞の中には「砂に書いたラブレター」の歌詞の一部や当時流行していたダンス「マッシュポテト」がちりばめられて、若者に受け入れられやすくなっている。日本では弘田三枝子、青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子等多くのカバーが作られたが弘田三枝子盤が20万枚と大ヒット、青山ミチ盤が3万枚であった。
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【子供用の棒付キャンデー】ロリポップ・リップス|コニー・フランシス

全米トップ100に53曲も送り込んだコニーだが、この曲は米国でシングル発売もなく日本だけで独自のヒット。B面にカップリングされたのが皮肉にも出世作「Who's Sorry Now」だった。日本語カバーの」定番は九重佑三子&パラダイスキングのバージョン。
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【全米1位再デビュー曲】ダイアナ(Diana)|ポール・アンカ

57年ABCパラマウントの製作部長だったドン・コスタのオーディションを受け即座にレコーディング契約。ベビーシッターだった3歳年上の女性への片思いを綴った自作自演の「ダイアナ」を発売すると、いきなり全米第1位のミリオン・セラーを記録し、弱冠16才で世界的スターとなる。
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【印象的イントロ】ビキニスタイルのお嬢さん|ブライアンハイランド

軽快なリズムで文句無しに聞いてるだけで楽しくなるオールディーズ代表曲の一つ。原題の英語は当時ヒンシュクものだったらしいが詳細不明。日本では人気者だった坂本九とパラダイスキングの日本語カバーバージョンが定番。
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【日本でヒット】大人になりたい|ヒストリー|コニー・フランシス

いくつもある日米逆転でのヒット曲の一つ。コニーFのプロフィール紹介。オリジナルと日本語・スペイン語バージョン。日本語カバー(伊東ゆかり、山口百恵、森山加代子、後藤久美子)
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【邦題は誤訳?】誰かが誰かを愛してる|ディーン・マーティン

ディーン・マーティンは17年生まれのイタリア系アメリカ人。ジェリー・ルイスとの「底抜けコンビ」で人気俳優でもあった。NBCで65年から78年まで毎週ディ-ン・マーティン・ショーのホストを務めた。同じイタリア系のフランク・シナトラとの関係でシナトラ一家とも呼ばれた。
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