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【放送禁止曲】雨をみたかい|クリ―デンスクリアウォーターリバイバル

作者のジョンが後日はっきりと否定したが、ベトナム戦争のナパーム弾のことを歌ったと一般には信じられていた。そのため放送禁止になったことでも有名。CCRは1968年~72年の実動5年でありながら、ロックの世界に残した功績はあまりにも大きいアメリカのバンド。
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【物乞い時代の歌】カリフォルニアの青い空|アルバート・ハモンド

歌の内容は爽やかな曲調と裏腹に彼の不遇な時代を歌っている。ロサンジェルスに来る前のスペインでの下積み時代を作詞担当のマイケルに話したことが元ネタとなった。食べる金に困り駅前で物乞いのようなことをしている時に、従兄弟とは気づかずにアルバートは彼にも金を無心した。
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【日本大ヒット、米不発】真珠貝の歌|Billy Vaughn

18世紀後半に作られたハワイ民謡を原曲とし、1962年に英語版{Pearly Shells(真珠貝の歌)」が制作された。ビリー・ボーン・オーケストラの演奏は本国アメリカでは100位以下だったが、日本では65年に大ヒットとなった。
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【ツイストブーム原点】ツイストNo.1|チャビー・チェッカー

58年ハンク・バラード&ミッドナイターズ のオリジナルを60年チャビー・チェッカーが改題してカバーし、これが全米1位となる。これが契機となり世界中にツイストブームを巻き起こし再び62年に全米1位を獲得するという前代未聞の快挙となった。日本では藤木孝がツイスト男としてスターに。
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チャビー・チェッカー|ツイストブーム立役者|ヒストリー

チャビー・チェッカーの2枚目シングルはカバー曲だった。曲に合わせて踊りながら歌う様子が大ブームを起こす。この頃ロコモーション・マッシュポテト他数えきれないダンスが考案され踊りながら歌う映像がTVに流れた。全ては短命に終わったがツイストだけは長期にわたり何度も復活を果たした。
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【ツイストブーム絶頂時】Let’s Twist Again|チャビー・チェッカー

60年と61年の2度全米1位に輝いたThe Twistには及ばないが、ツイストブームが最高潮に達した61年に発売されたこの曲は全米8位を獲得した代表曲。62年グラミー賞を受賞し66年までに32回もチャートイン。いくつもの映画に出演している。動画はカバー含め多数、歌詞付
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ビル・ヘイリー|ヒストリー|ロック・アラウンド・ザ・クロック

ビル・ヘイリーのデビューからその後、1951年から53年ころまでの活動、発売前からクラブでこの曲を歌っていた、最大手デッカとの契約に成功、大ブレイク当時のビル・ヘイリー、成功をバンドの仲間と分かち合わなかったヘイリー、人気凋落、
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【執念のヒット】ロック・アラウンド・ザ・クロック|ビル・ヘイリー

この曲の誕生と時代背景、ロック誕生前夜、レコード発売に至るまでの紆余曲折、発売当初はヒットしなかった、映画「暴力教室」と共に社会現象となったロック、映画「アメリカン・グラフィティ」でも使われてリバイバル・ヒット、日本への影響、江利チエミ、歌詞、
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【曲名の意味】スタンド・バイ・ミー|ベン・E・キング

この曲の原点をたどればアメリカの牧師チャールズ・ティンドレイが20世紀の初め頃に作曲したスピリチュアルソングまで行き着くらしい。この世界的大ヒットの原曲・元ネタとして言及されることが多いようだ。メロディこそ違うが、ズバリ一致するタイトルと歌詞のストーリーの大まかな枠組みや方向性は共通する。
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【カバーセレクション】行かないで|ダスティ・スプリングフィールド

Julio Iglesias(仏語)、Shirley Bassey、Brenda Lee、Barbra Streisand、Frank Sinatra、Tom Jones、Glen Campbell、Scott Walker、Patricia Kaas
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