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【ツイストブーム原点】ツイストNo.1|チャビー・チェッカー

58年ハンク・バラード&ミッドナイターズ のオリジナルを60年チャビー・チェッカーが改題してカバーし、これが全米1位となる。これが契機となり世界中にツイストブームを巻き起こし再び62年に全米1位を獲得するという前代未聞の快挙となった。日本では藤木孝がツイスト男としてスターに。
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チャビー・チェッカー|ツイストブーム立役者|ヒストリー

チャビー・チェッカーの2枚目シングルはカバー曲だった。曲に合わせて踊りながら歌う様子が大ブームを起こす。この頃ロコモーション・マッシュポテト他数えきれないダンスが考案され踊りながら歌う映像がTVに流れた。全ては短命に終わったがツイストだけは長期にわたり何度も復活を果たした。
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【ツイストブーム絶頂時】Let’s Twist Again|チャビー・チェッカー

60年と61年の2度全米1位に輝いたThe Twistには及ばないが、ツイストブームが最高潮に達した61年に発売されたこの曲は全米8位を獲得した代表曲。62年グラミー賞を受賞し66年までに32回もチャートイン。いくつもの映画に出演している。動画はカバー含め多数、歌詞付
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【カバーセレクション】行かないで|ダスティ・スプリングフィールド

Julio Iglesias(仏語)、Shirley Bassey、Brenda Lee、Barbra Streisand、Frank Sinatra、Tom Jones、Glen Campbell、Scott Walker、Patricia Kaas
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【原曲は仏語曲】行かないで|ダスティ・スプリングフィールド

フランス・シャンソン界の大御所ジャック・プレル59年の作品。本人の汗をかきながらの熱唱は必見の価値がある。ダスティはシンガーとしてだけではなく、広く視線を外国の音楽にも配り優れた楽曲を発掘するという、プロデューサー的な役割を果たしていた。
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ダスティ・スプリングフィールド|ヒストリー|栄光と挫折

「この胸のときめきを」等非英語曲に英語詞をつけ世界的ヒット曲を量産する。黒人達から「ブルーアイドソウル」と尊敬され、勃興しつつあったモータウンサウンドを英国に紹介。60年代終わりからの不遇の時代を乗り越え再びヒットチャートに復帰するもがんにより病没までの人生の歩みを紹介。
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哀しみのソレアード|ダニエル・センタクルツ・アンサンブル

14世紀後半にイタリアで作られたものが原曲となり、72年にイタリアのグループ「ダニエル・センタクルツ」により作曲された。これが74年にヨーロッパで器楽曲として大ヒット。この曲の持つ魅力的なメロディーは歌手たちを魅了し、英語やフランス語の歌詞が付けられた。
Artist(English)

【足が不自由な夫の切ない思い】ラストダンスは私に|ドリフターズ

白人ブルース歌手出身のドク・ポーマスが作り60年にこれが全米1位の大ヒット。自身の結婚式に花嫁と来賓たちとが手を取り合い踊る姿を見て、この歌詞が浮かんだ。日本では越路吹雪の代表曲として61,63年の2回紅白で歌われた。オリジナルはドリフターズ
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【英国サイケが原曲】オー・シャンゼリゼ|ダニエル・ビダル

オリジナルは69年イギリスのサイケバンドが歌ったもの。70年ウォータールー通りをシャンゼリゼ通りに移し替えてフランス語に翻案した歌詞の第2弾がフランスでヒットも日本では不発。3度目の正直としてビダル版がシングルカットされたのが、71年7月。歌詞とその背景や訳詞も。
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天使のらくがき|【一時日本で活動した親日家】ダニエル・ビダル

70年18歳金髪碧眼で小柄な愛らしい容姿で日本で人気が出た契機となったのが、ロシアの歌手が歌っていた曲にフランス語の歌詞をつけたカバー「天使のらくがき」の日本でのヒット。彼女はフランスでの下積み生活が長く苦労し、やっと日本でチャンスを掴んだ。
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