さ行(T)

A--E

【ビートルズと入れ替わり1位】サマー・ホリディ|クリフ・リチャード

1958年、17歳の時彼はクリフ・リチャード&ドリフターズ(後にシャドウウズと改名)としてデビューした。「ダイナマイト」「ヤング・ワン」「バチェラー・ボーイ」「サマー・ホリデー」と大ヒット曲を連発し、主演映画も次々と作られた。その殆どは歌謡ドラマみたいな青春映画である。
Artist(English)

サーフ・シティ(Surf City)|ジャン&ディーン

高校の友人でデュオを組んだのが58年、その後ディーンの兵役後59年に活動再開。ドゥーワップの影響が強いコーラスに重点を置いた曲作りは初期のビーチボーイズ等に影響を与え、交流の中でブライアン・ウィルソンに曲を依頼して生まれたのがこの曲。
Artist(English)

サイモン・セッズ(Simon Says)|1910フルーツガムカンパニー

バブルガムミュージックとは、60年代後半世界的に流行った明るくポップで主に10歳位から15,6歳位までの子供向けに造られた音楽。原題はそのままの「Simon Says」だがその意味は命令ゲームの形式の子供遊びのこと。日本では68年9月にオリコン7位。
スポンサーリンク
Artist(English)

【映画挿入歌】サンライト・ツイスト|ジャンニ・モランディ

映画の主演は当時17歳のカトリーヌ・スパーク。歌ってるのは当時まだ新人で当時18才のジャンニ・モランディでこの曲も映画も大ヒットとなった。若者らしく乾いていてシャウト気味な歌い方も心地良い。イントロも印象的でツイストを踊りたくなるような雰囲気にさせてくれる。
A--E

【初のTop10】Sweet Nothin’s|ブレンダ・リー

パンチの効いた歌い方は「ミス ダイナマイト」と呼ばれるに相応しい強烈な個性が魅力であった。60年から63年にかけては大ヒットを連発して、日本でもコニー・フランシスと双璧をなしていた。田代みどりがカバー盤を出している。
Artist(English)

【米国TVドラマから】ジョニー・エンジェル|シェリー・フェブレー

日本でもゴールデンタイムの人気番組「うちのママは世界一」で歌手ではないからと渋るシェリーが嫌々歌わされたのがこの曲。日本でも大ヒットして日本語カバー盤が競作となった。64年本業の女優に戻った彼女は映画でエルヴィス・プレスリーやハーマンズ・ハーミッツなどと共演。
Artist(English)

【日本の方が大ヒット】砂に消えた涙|【クレモナの虎】ミーナ

40年北イタリア名門の家に生まれたミーナは58年にレコード・デビューし人気歌手となった。日本では「月影のナポリ」や65年の「別離(Un anno d’amore)」と共にこの曲がヒット。イタリア本国でこの曲はシングルでは日本ほどのヒットとはならなかったものの、65年イタリアのLP売り上げではこの曲が収録されたアルバムが堂々の1位となる。
Artist(English)

シェリー(Sherry)|【5曲が全米1位獲得】フォー・シーズンズ

フォー・シーズンズは2番目のシングルで代表曲「シェリー」の大ヒットを皮切りに3曲連続でビルボード1位を独占し、その後全米チャートを賑わせた曲の数は71曲。うち15曲がトップ10入り、さらに5曲が1位獲得。日本では63年にカバーした九重佑三子のボーカルでパラキンの日本語ヴァージョンの方がヒット。
Artist(English)

【送別の料理】ジャンバラヤ|【C&W界の巨人】ハンク・ウィリアムス

47~52年までわずか6年間の活動で数々の名作を発表したハンク・ウィリアムス。ハンク自身の作詞・作曲で、52年に自分のグループをバックに発表。同年ハンクの作品とコロムビアレコードのジョー・スタッフォードの作品でヒット。ハンク死後の58年にミリオンセラーを記録。
A--E

【エリーゼのためにが原曲】情熱の花|カテリーナ・ヴァレンテ

ベートーヴェンの「エリーゼのために」をアレンジしてBボトキンらによって作られた。57年にアメリカのフラタニティ・ブラザーズが録音したがアメリカではヒットせず翌58年にイタリアで大ヒット。59年にフランス語でイタリアのカテリーナ・ヴァレンテが歌い、これが日本でも大ヒット。
スポンサーリンク