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ダンシング・イン・ザ・ストリート(Dancing In The Streets)~Martha & The Vandellas

A--E(T)
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マーサ&ザ・ヴァンテラス全米2位のヒット曲

アメリカの女性コーラス・グループのマーサ&ザ・ヴァンテラスが64年に発表した全米2位のヒット曲。

62年にマーサ・リーヴスを中心に結成されてデビューした。63年には全米4位のヒットを出した後、メンバーの入れ替えがあって64年に代表曲となったこの曲をリリースした。

68年には一時解散しメンバーを入れ替えて活動を再開するも72年には再び解散する。原題はそのまま「Dancing In The Streets」作者はマーヴィン・ゲイ。この曲は64年にモータウンが放った最もモータウンらしいヒット曲である。

マーサ・リーブズとヴァンデラス


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最もモータウンらしいヒット曲

その後に登場するダイアナ・ロスとスプリームス(シュープリームス)に比べ日本での知名度はかなり低い。

彼女たちはそのパワフルな歌声とノリの良い曲で、たちまちのうちにモータウン・レコードのトップの座へと登りつめた。

そして同じように、しばらくすると次世代のスプリームスにトップの座を奪われてしまうのだが・・・

マーサ・リーブズの略歴

マーサ・リーブズは1941年にアラバマ州 Eufaula で11人兄弟の三番目(長女)として生まれた。 彼女が一歳になる前に、一家はデトロイトに引っ越している。

1959年に高校を卒業後、歌の好きだったマーサは「The Fascinations」というガールズ・グループと一緒になり、バック・ヴォーカルの仕事などをやるが、ヒットには結びつかず他の仕事もしていたようだ。

マーサが1961年に「20 Grand」というローカルなナイト・クラブのタレント・コンテストに Martha LaVaille という偽名で出ていた時に、ベリー・ゴーディー(モータウン社長)の右腕と言われた William “Mickey” Stevenson (ウィリアムス”ミッキー”スティーヴンソン)が来ていて彼女に名刺を渡し、後日彼女を秘書として雇い入れた。

ある日ベリー・ゴーディーはマーヴィン・ゲイのセッションで、手っ取り早くバック・ヴォーカルを必要としていて、マーサに出番が回って来た。

マーサと友人のアシュフォードとベアードの三人は “Stubborn Kind of Fellow” と “Hitch Hike” でバックをつとめ、ベリー・ゴーディーは彼女たちを絶賛した。


グループの夜明け

その二ヵ月後にチャンスが訪れる。 先輩歌手の Mary Well (メアリー・ウェル)が仮病を使ってレコーディングをサボったことでスティーブンソンがスタジオの中で怒り叫んでいる間に、(未来のスティーブンソン夫人となる)キム・ウェストンが彼女たちに仕事を回してくれた。

最初はデモ・テープを録音するだけだったようだが、マーサが「銃声にも似た鋭い声」で歌い始めた時に全ては決まった。

“I’ll Have To Let Him Go” のレコーディングはそれで完了となり、最初のシングルとして発表された。

ベリー・ゴーディーは彼女たちの成功を確信して契約することにし、グループの新しい名前を考えるように言う。

グループ名はマーサが育ったデトロイトの Van Dyke Street (ヴァン・ダイク通り)とマーサの好きなシンガー Della Reese (デラ・リース)を組み合わせて「Vandellas」となった。

1962年9月にゴーディ・レーベルとの契約にサインした彼女たちは、二番目のレコーディングで最初のヒットとなる “Come and Get These Memories” を1963年4月にリリースする。

そして8月には “(Love Is Like A) Heat Wave” が全米4位の大ヒットとなった。これは黄金コンビ:ホランド・ドジャー・ホランド(H-D-H)作でノリのいい曲。 10月には “Quicksand” が8位となっている。

Dancing in the Street (ダンシング・イン・ザ・ストリート)

1964年にリリースされたこの曲は全米2位に輝き、最もモータウンらしいヒット曲の一つとなり、モータウンの曲の中で最も多くの人にカヴァーされた曲ともなった。

これはモーター・タウン(自動車の街):デトロイトもモータウン・レコードも輝いていた頃の曲だが、当時は各地で暴動が頻発しており、この曲は暴動を煽るものとして放送を禁止するラジオ局もあったという。

そうしたことに対してマーサ・リーブスは「その歌は人々が立ち上がって踊りたくなる、ただそれだけのものよ」―と語っていた。

思わず立ち上がって踊りたくなるというだけでなく、この曲は誰もが歌いたくなるようで、カヴァーの数も多い。

顔ぶれだけざっと並べても、Grateful Dead(グレイトフル・デッド)、The Who(ザ・フー)、The Kinks (キンクス)、The Mamas & The Papas (ママス&パパス)、Van Halen (ヴァン・ヘイレン)・・・ どれもそれぞれの個性が出ていて良い。



オリジナル

Martha & The Vandellas

Martha Reeves & the Vandellas – Dancing in the Street (1964)

TV映像

Martha & The Vandellas "Dancing in the Streets"

65年12月エド・サリバンショー

Martha & The Vandellas – "Dancing In The Street"
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David Bowie & Mick Jaggerのバージョン

中でも85年のチャリティ・シングルとして発表されたDavid Bowie & Mick Jaggerのバージョンは有名である。全英1位全米7位のヒットとなった。多少歌詞を変えて歌っているが(ミックが 『Back in the U.S.S.R.』 ―とか叫んでいる)

1985年のライヴ・エイドのためのチャリティ・レコードで、モータウン・ナンバー(マーサ&ザ・ヴァデラスの1964年のヒット曲)のカヴァー。

ジャケット裏にはライヴ・エイドのロゴがはいっており、OK! Tokyo!というミックの声で始まる歌にはさまざまな地名が登場するが、”Back In the U.S.S.R”とミックが歌っているのは、もちろんあの曲を意識してのこと。

ボブ・クリアマウンテンのミックスで、アメリカでは同年に7位まで上がった。ちなみにプロデュースは、UKニュー・ウェーヴのアーティストを数多く手がけたクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンレー。

元々はミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイが衛星中継を通じてライヴでデュエットする計画だったけれども、どうしてもタイムラグが生じるためにやむなくフィルムとなったというのは有名なエピソード。

David Bowie & Mick Jaggerのミュージックビデオ

David Bowie & Mick Jagger – Dancing In The Street (Official Video)

David Bowie & Mick Jaggerのライブ

Dancing In The Street – RARE Live in London 1986

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