はじめに
バリー・マクガイア(Barry McGuire)が1965年に発表したシングルで世界的なヒットとなった。
この曲はP.F.スローンが19歳の時に作詞・作曲した。
原題「Eve Of Destruction」、邦題「明日なき世界」
バリー・マクガイア(Barry McGuire)は「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ(New Christry Minstrels)」のメンバーとして1963年に「グリーングリーン」という曲を書いてヒットさせている。
当時はベトナム戦争で北爆が本格化した時期であり、内容が強烈であるという理由で放送禁止になったが、それがかえって関心を引き全米1位を獲得した。
1945年にニューヨークで生まれてロスアンゼルスで育った作者のP.F.スローンに関しては別記事に詳しい。
ルー・アドラーがジェムス社から独立し、1965年にダンヒル・レコードを設立するとP.F.スローンも一緒に移った。
それからすぐにP.F.スローン19歳の時に一人で作詞作曲したのが「明日なき世界(Eve of Destruction)」である。初めはバーズに提供したが取り上げてもらえず、タートルズがアルバムに入れたがそれも注目されなかった。
しかしバリー・マクガイア(Barry McGuire)の歌ったヴァージョンが、シングルで発売されると全米1位の大ヒットになった。
北爆の開始で泥沼化していくばかりのヴェトナム戦争や、アメリカとソ連の冷戦下における核戦争の恐怖を描いた内容の「明日なき世界」は原題が”Eve Of Destruction”で直訳すると「破壊の前夜」となる。
この曲はポップスにおける歌詞の重要性を再認識させたばかりか、その後大きく発展したメッセージ・ロックを生むきっかけともなった曲である。
バリー・マクガイア(Barry McGuire)ヒストリー
『グリーングリーン』の原曲『Green Green』をリリースしたザ・ニュー・クリスティー・ミンストレルズ(The New Christy Minstrels)は、1961年に結成されたアメリカのフォーク音楽バンド。
男女混成の10人組フォーク・グループで、リーダーのRandy Sparks(ランディ・スパークス)を中心に、非常に分かりやすくポピュラーなフォーク・ソングで人気を集めた。
代表曲は、『Green Green』の他、『This Land Is Your Land』、
『Today』、
『Ramblin’』などがある。
『Green Green』をリリースした頃のリードボーカルは、作曲者でリード・シンガーでもあったBarry McGuire(バリー・マクガイア)。
力強く味わい深い歌声が人気を集め、『Green,Green』のリリース後には、ダンヒルレコード(現在はMCAの子会社)からソロデビューしている。
ソロデビュー・シングル『Eve Of Destruction(明日なき世界)』は、当時のヒットチャートでNo.1に輝くヒット曲となった。
しかしこのヒット以降はパッとせず、1970年代中盤にはクリスチャン・ミュージックに転向。数枚のアルバムを発表したものの、1980年代には音楽活動から身を引き、以後は慈善活動に身を投じている。
明日なき世界(Eve Of Destruction)
バリー・マクガイア(Barry McGuire)の歌で大ヒットした、おなじみのプロテスト・ソング。
そのショッキングな歌詞でポップス界に大きな話題を提供した。当時は日本でもフォーク・ソング集会などで歌われた。
この曲を転機として作者のP.F.スローンはヒット・ソングのシンガー・ソングライターから、考える歌を作り、歌うタレントに成長。ダンヒル・レコードより、鋭いメッセージを持つフォーク・ロックのLPアルバムをいくつか発表している。
バリー・マクガイア(Barry McGuire)
TVショーで歌うバリー・マクガイア
P.F. Sloan~作者のセルフカバー
94年バージョンでは核戦争ではなく、環境破壊について歌っている。
2006年ライブ
ママス&パパスとバリー・マクガイアの関わり
バリー・マクガイア(Barry McGuire)は「ニュージャーニーメン」時代のジョン・フィリップスと親交があり、彼らがヒッピーのような放浪生活を続けながらバリーの所に転がり込んできた時にはしばらく泊めてあげただけでなく、ダンヒル・レコードに彼らを紹介している。
そして契約できたお礼にと提供された「California Dreamin’」(夢のカリフォルニア)も、最初はバリーのリード・ヴォーカルで録音された。
こうして、デビュー・シングルには、フィリップス夫妻がバリー・マクガイアのために書いた曲「夢のカリフォルニア」が選ばれ、1965年に発売された。
そして、この曲はいきなり全米4位の大ヒットとなり、セカンド・シングル「マンデイ・マンデイ Monday.Monday」はいっきに一位を獲得、ファースト・アルバム”If You Can Believe Your Eye and Ears”もロング・セラーを記録し、彼らは一躍トップ・スターの仲間入りを果たした。
時は1965年、ボブ・ディラン(Bob Dylan)がフォークからロックに転向し、フォーク・ロックの原点と言えるザ・バーズの「ミスター・タンブリンマン Mr.Tambourine Man」(ボブ・ディラン作)が6月には全米ナンバー1になっていた。
西海岸から登場したママス&パパスは、そんなフォーク・ロックの流れともうひとつサンフランシスコを中心に盛り上がりつつあったフラワー・ムーブメントの流れの両方にのって、一気にブレイクした。
もっと詳しくは下記参照
カバーセレクション
The Turtles
バリーの大ヒットの前にアルバムに収録されたが注目されなかった
イタリア語バージョン 「Questo Vecchio Pazzo Mondo」
Gino Santercole
Adriano Celentano
日本語詞をつけて歌われた
まずは先駆者の高石ともや
これを日本語詞をつけてカバーした高石ともやは、1966年からピート・シーガーやボブ・ディランの歌を訳して歌い、フォークソングを広めた先駆者である。
日本のロックの祖ともいわれるジャックスとのコラボレーションによる、当時の貴重なライブ音源が残っている。訳詞はオリジナルの痛烈なメッセージを、可能な限り受け継いでいた。
東の空が燃えてるぜ
大砲の弾が破裂してるぜ
おまえは殺しの出来る年齢
でも選挙権もまだ持たされちゃいねぇ
鉄砲かついで得意になって
これじゃ世界中が死人の山さ
でもよぉー何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ
明日なき世界 / 高石ともや
やまたのおろち
約20年後に忌野清志郎がアルバム「COVERS」で取り上げた
1988年にはRCサクセションの忌野清志郎が、反核をテーマにしたアルバム「COVERS」の1曲目にこれを取り上げた。
これによって「明日なき世界」は多くの人たちに、再び発見されることになった。
このアルバムは参加メンバーも桑田圭祐(Isuke Kuwatakeの別名)、泉谷しげる、山下洋輔など多士済々。
RCサクセションが1988年に制作したアルバム『COVERS』は、バリー・マクガイアの反戦歌「明日なき世界」で始まり、ジョン・レノンの「イマジン」で終わるという構成で、全編が洋楽のカヴァーによるメッセージ性の高い作品だった。
そのアルバムは世界で最初に原子爆弾が広島に投下された8月6日、つまり多くの人の生命が奪われた平和記念日に合わせて発売される予定になっていた。
しかし原子力発電を推進する親会社の東芝にとって、事業の大きな柱である原子力発電に真っ向から反対する歌を見過ごすわけにはいかなかった。
発売中止を決めた忌野と会社の会談
その時にバンド・リーダーの忌野清志郎と向き合って、東芝EMIの会社の方針と善後策を話すことになったのが、邦楽統括本部長の立場にいた石坂敬一である。
ホテル・オークラの一室に4人が居た。清志郎、相澤さん(マネージャー)、熊谷(ディレクター/東芝EMI)、そして私。「会社の事情でこのアルバムは東芝EMIから発売することはできません。サイコーの出来なのに誠に申し訳ありません」と私が辛い説明をした。その時、清志郎は「ウムムッ・・・・・・」と唸ると同時に灰皿を投げつけた。剣豪の如きであった。灰皿は部屋の壁にぶつかった。誰にも当たらず、誰も傷つけず、備品もこわさなかった。ここなんだ、清志郎の優しさは。(「忌野清志郎 青山ロックン・ロール・ショー2009.5.9 オリジナルサウンドトラック」付属ライナーノーツ)
当事者同士の話し合いは平行線のままに終わった。石坂は6月25日に発売予定だった先行シングルの「ラヴ・ミー・テンダー」と、アルバム『COVERS』に関する発売中止の新聞広告を出した。
それが「上記の作品は素晴らしすぎて発売出来ません」という、ふつうに読んだのでは意味がよくわからない文章となった。
不思議なことにその広告は、音楽とはまるで場違いな経済面の片隅に掲載された。
もしかすると親会社である東芝の幹部に向けた、石坂の意地と抵抗の証だったのかもしれない。
1988年6月22日付アルバム発売中止の新聞広告
石坂はすぐに洋楽ディレクターだった頃から築いてきた人脈をたどり、次の発売元となってくれるレコード会社と秘密裏に交渉を始めた。
電機メーカーとは無縁だったキティ・レコードとの間で、8月15日の終戦記念日に発売する合意が出来た。キティの創始者だった多賀英典もまた、異端児とも呼ばれた伝説のプロデューサーだった。
そして当初に予定していた日から、わずか1週間の遅れで『カバーズ』は日の目を見ることになった。にわかには信じられないことだが、紛うことなき事実である。
その結果、中止の影響による騒ぎや過激な内容が話題になったこともあり、『カバーズ』はオリコンのアルバム・チャートで1位を獲得した。
セールス面での苦労が多かったRCサクセションにとって、これは最初で最後の1位となったのだ。
以上はここからの抜粋
明日なき世界 忌野清志郎
<歌詞>
The eastern world it is exploding
Violence flarin’, bullets loadin’
You’re old enough to kill but not for votin’
You don’t believe in war but whats that gun you’re totin’?
And even the Jordan River has bodies floatin’
But you tell me
Over and over and over again my friend
Ah, you don’t believe
We’re on the eve of destruction
Don’t you understand what I’m tryin’ to say
Can’t you feel the fears I’m feelin’ today?
If the button is pushed, there’s no runnin’ away
There’ll be no one to save with the world in a grave
Take a look around you boy, it’s bound to scare you boy
And you tell me
Over and over and over again my friend
Ah, you don’t believe
We’re on the eve of destruction
Yeah my blood’s so mad feels like coagulating
I’m sitting here just contemplatin’
I can’t twist the truth it knows no regulation
Handful of senators don’t pass legislation
And marches alone can’t bring integration
When human respect is disintegratin’
This whole crazy world is just too frustratin’
And you tell me
Over and over and over again my friend
Ah, you don’t believe
We’re on the eve of destruction
Think of all the hate there is in Red China
Then take a look around to Selma, Alabama
You may leave here for four days in space
But when you return it’s the same old place
The pounding of the drums, the pride and disgrace
You can bury your dead but don’t leave a trace
Hate your next door neighbor but don’t forget to say grace
And tell me
Over and over and over and over again my friend
You don’t believe
We’re on the eve of destruction
Mmm, no, no, you don’t believe
We’re on the eve of destruction
コメント