【日本が発掘】孤独の世界|【不遇の天才】P.F.Sloan

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はじめに

 P.F.スローン(P.F.Sloan)はアメリカのシンガー・ソングライターであるが本国ではシンガーとしてよりソングライターとして知られている。

 原題「From A Distance」、邦題「孤独の世界」

 彼が歌ったこの「孤独の世界(From A Distance)」は、日本人が発見して日本だけでヒットした貴重な曲である。

彼の作品のうち日本でもヒットした主な作品例

明日なき世界 バリー・マクガイア(全米1位)
秘密諜報員 ジョニー・リバース ベンチャーズ
あの娘にご用心 ハーマンズ・ハーミッツ
青春の渚 ジャンとディーン(日本だけでヒット)

 P.F.スローン(P.F.Sloan)が活躍した1960年代後半は「フォークロック」が流行った時代である。フォークロックとはメロディはフォークソングでバックの演奏にロックバンドを取り入れたスタイル。

 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランが始めたスタイルとされ、メッセージ性の強い曲が特徴である。

 泥沼化したヴェトナム戦争や核を競う米ソの冷戦時代だから、反戦歌や混沌とした世の中の移り変わりの中で希望を見つけようとする詩が歌われた。

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P.F.スローン(P.F.Sloan)のプロフィール

10代前半から活動

 1945年にニューヨークで生まれてロスアンゼルスで育ったP.F.スローン(P.F.Sloan)は友人からはフィルと呼ばれた。

 エルヴィス・プレスリーに憧れて歌手を目指すようになった彼は、13歳ながらも卓越した音楽センスを認められて、小さなレーベルのアラディン・レコードと契約を結び、翌年フリップ・スローン名義のシングル“All I Want Is Loving”でレコード・デビューを果たした。

 本名はフィリップ・ゲイリー・シュライン。

 しかし、このレーベルはスローンがシングル盤をリリースした直後の1959年に閉鎖された。

 いくつかの中小レーベルからレコードを出しながらも成功には至らない日々がしばらく続き、1961年に大手音楽出版社のスクリーン・ジェムス社で、ソングライター兼スタジオ・ミュージシャンとして働き始めた時も、まだ16歳の若さだった。

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日本で名曲となった「孤独の世界(From A Distance)」

 当初この曲の日本での配給権はビクターにありシングルとして66年に一度リリースされたものを、69年に配給権が東芝に移った時の第1弾として再発売された。これがじわじわと日本でのロングセラーにつながった。

 こんな事情からレコードに添付された歌詞の和訳にも2種類ある。

 「明日なき世界」は結果的にNO1になったにもかかわらず作者であるスローンは半分干されたような状況に置かれた。

 そんな中書いたのが「孤独の世界(From A Distance)」で”友よ、信念なんて分かってもらえないよ 一人ぼっち夜に旅してる時にはね”といった内省的な歌詞になっているのもスローンが置かれた状況によるものであろう。

P.F.Sloan(P.F.スローン)

Judy Collinsのカバー

 カバーなど有り得ないと思っていたら、「青春の光と影」の大ヒット曲があるジュディ・コリンズ(Judy Collins)がカバーしていたことを知り、嬉しかった。ただし曲調は全く異なる。

Judy Collins 1988年

「孤独の世界(From A Distance)」は米国でシングル・リリースされていた

 P.F.スローンが60年代に出したソロアルバムは、

1965年9月リリースの「Songs Of Our Times」(Dunhill)、
1966年2月リリースの「Twelve More Times」(Dunhill)、
1968年12月リリースの「Measure of Pleasure」(Atco)

 の3枚であり、現在はその全部がCD化されている。

 「孤独の世界(From A Distance)」はセカンド・アルバム収録曲であるが、同時にDunhillにおける3枚目のシングル(Dunhill 4024)としてもリリースされた。

以下の動画はヒットした日本盤とは全く異なるアレンジである

アレンジの異なるバージョン P.F.スローン

 しかしながらHot100入りは叶わず1966年4月2日付でNo.109に終わっている。

 それでも日本でも当時Dunhillと契約していたビクターから発売された。

 邦題としては大ヒット曲「明日なき世界」の作者ということで、原題とは無関係な’~世界’と付けられた

 当時ラジオでもそれなりにかけられていたようだが、全国ネットラジオ局の各ヒットパレード番組でランクインするまでには至らなかった。

ということで全くのハズレでもなく、それなりの認知度はあったものと考えられる。

日本での再発売が火をつけた

 その後Dunhillが1968年12月20日発売分より旧譜も含めて東芝音楽工業(当時)から出ることになり翌1969年9月10日には「孤独の世界(From A Distance)」が再発売となった(HR-2346:ジャケットはまたも1stから)。

 今度はオリコン誌でNo.16(22週間チャート・イン。14万枚)、文化放送の「オール・ジャパン・ポップ20」でも同年11月第5週目にNo.4という大ヒットを記録、広く日本国民に親しまれるところとなった。

これに関して間違った情報が錯綜しているのでここで整理しておく

★「孤独の世界(From A Distance)」は2枚目のアルバムからの1stシングルで1966年に全米No.109。ほどなくして日本でもビクターから発売(LPも)。ラジオでもそれなりに流れてた。

★レーベルの契約先移動で1969年になって東芝音楽工業から日本で再発売(シングル)されてこの時初めて(日本でのみ)大ヒットを記録。

 そうした不幸な事情を知ったジミー・ウェッブ(Jimmy Webb)が、復活を願って作ったのが「P.F.スローン」だった。

 その詞には契約とはいえ、自ら生み出した素晴らしい歌を歌うことが許されなかった、悲劇的な先駆者への想いが込められていた。ジャクソン・ブラウンもまたライブで、「P.F.スローン」を採り上げている。

 シンガー・ソングライター仲間の支えもあって、スローンは長い闘病生活を乗り越えて1985年に復活する。だが2015年11月16日腎臓がんで逝去。享年70歳。

日本で発売された2種類のシングル盤比較

 日本ではシングルレコードとして2枚(2回)発売された。1967年のVICTOR盤と1969年の東芝盤である。

VICTOR盤ジャケット

1967 VICTOR

VICTOR盤ジャケット裏面

 VICTOR版「孤独の世界(From A Distance)」ジャケット紙裏面に「ダンヒル・ヒット・シリーズ」の案内が載っている。これを見ると面白い繋がりが分かる。

当時のヒットメーカーは交友関係で繋がっていた

 このレコードの発売が1967年。 1965年にヒットした”バリー・マクガイア”の「明日なき世界」が一番上に見える。 一番下に”ママス&パパス”の「夢のカリフォルニア Calfornia dreamin’」が見える。

 ”ママス&パパス”のリーダーであるジョン・フィリップはこの頃はヒッピーで寝る場所もなかった。 ダンヒルレコード社の所属となり、先にヒット曲を出して裕福だった”バリー・マクガイア”の部屋に転がり込んで「夢のカリフォルニア」を完成させている途中だった。

 P.F.スローンはダンヒル所属の歌手に楽曲の提供の他に、プロデュースも手掛けていたので、「夢のカリフォルニア」のレコーディングに関わった。曲の始まり、イントロの6弦ギターはP.F.スローンの演奏である。そして、大ヒットした。

 ”バリー・マクガイア”の「明日なき世界」と”ママス&パパス”の「夢のカリフォルニア」は米国に於けるダンヒルレコードのトップを占めるヒット曲である。

 そのどちらともP.F.スローンが絡んでいる。”ママス&パパス”のジョン・フィリップは2年後に「花のサンフランシスコ」を書いて、幼なじみの友人であるスコット・マッケンジーに歌わせた。

東芝盤ジャケット

 東芝のレコードが売れ出したのは、B面に「明日なき世界(Eve of Destruction)」がカットされていたことも影響しているのかもしれない。

 その曲が P.F.スローンのオリジナル曲としてカットされたのだから、関心度は高かったであろう。

 こうして「孤独の世界(From A Distance)」は爆発的ではなかったが、徐々に名曲の座に近づいて行った。

 日本で「孤独の世界(From A Distance)」がヒットしていると言う知らせは、すぐにP.F.スローンの耳に入り、本人はただちに来日するつもりでいたようだが、セッティングするスタッフに恵まれず、来日は果たせなかった。

 ところが、日本でのP.F.スローンの人気は根強く、彼がアメリカでライブをすれば必ず日本からファンが聞きに来ていたようで、90年代に入り、久々にレコーディングしたアルバムが日本でだけ発売されたのを機会に、1995年、ついに初来日した

VICTORと東芝の邦訳を比較

 ここで、この曲の歌詞を考えてみる。

 当時も今も、日本盤には歌詞とともに和訳が掲載されていることがよくあり、この曲の場合はシングルが2度発売されたため、2種類の和訳が存在している。例えば2番を取り上げてみる。

原文は、

Have you ever seen a star fall from the sky
From a distance it looks like heaven’s lost an eye
From a distance, from a distance, it looks like heaven’s lost an eye
Now there’s one less chance for god to see you and I
星が空から流れ落ちて来るのを見たことがあるかな
遠くから眺めていると
天の神様が片眼をなくしてしまったように見えるよ
君や僕を神様に見てもらえるチャンスが1回減ってしまうね
(訳:DAYS)

 最初に出たビクター版では

遠くの流れ星を見たかい
あれは神様の目が落ちたんだ
もう神様は僕等を見ることが出来ないじゃないか

少し、はしょってあるが、原文の意味はほぼ表現されている。

 次に、ヒットした東芝版では

流れ星を見た事があるかい
神様の眼のような美しい流れ星を
もう我々の神にはたった一つの眼
たった一つのチャンスしか残ってないんだ

 単に訳語を並べただけでまったく意味不明

 ちなみに、ビクター版の訳者はTBSの北山幹男氏、東芝版の訳者はニッポン放送の亀淵昭信氏。

 現在完了形のメッセージの問い掛けが、何回も「Have you ever been 」で使われている。

Have you ever heard ・・・ 聞いたことがありますか?
Have you ever see ・・・見たことがありますか?
Have you ever wondered ・・・考えたことがありますか?

”天使が泣きながら唄っているのを聴いたことがありますか?”
”高いというのは、どの位の高さを言うのか、考えたことがありますか?”
”遠く離れた所から見ると、高層ビルでもちっぽけに見えるんだけど”

 1960年代中頃から後半にかけて、こんなメッセージが含まれた歌詞が多く唄われた。

<歌詞>

[Verse 1]
Have you ever heard a lonely church bell ring
Have you ever heard a crying angel sing
From a distance from a distance you can hear a crying angel sing
She’s crying for the sadness tomorrow sins may bring[Verse 2]
Oh, have you ever seen a star fall from the sky
From a distance it looks just like heaven’s lost an eye
From a distance, from a distance looks like heaven’s lost an eye
Now there’s one less chance for God to see you and I[Chorus]
Faith, my friend, is so hard to recognize
When you’re traveling all alone in the night

[Verse 3]
Have you ever wondered just how tall is tall
From a distance the highest building still looks very small
From a distance, from a distance the highest building still looks small
Oh, you can’t measure anyone or anything at all

[Chorus]
Faith, my friend, is so hard to recognize
When you’re traveling all alone in the night

[Bridge]
Just look for the light and

[Verse 4]
Have you ever heard a lonely church bell ring
Have you ever heard a crying angel sing
From a distance, from a distance you can hear a crying angel sing
Oh she’s crying for the sadness tomorrow’s sins may bring

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コメント

  1. YY873 より:

    昔聞いた曲で、今でも心に残る1曲 コロナ禍でギターを弾きだした時
    自然と口ずさみ 改めて名曲と感じた。

  2. 湯上 徹 より:

    今は亡き親友の兄がレコードを持っていて、一回聴いただけなのに心に残りました。カラオケでよく唄いました。この曲を聴くと旧きよ良き時代が甦り、胸がジーンとします。エルトンジョンの「your song」と並んで私にとって生涯に残る名曲です。