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雨をみたかい(Have You Ever Seen The Rain)~Creedence Clearwater Revival

A--E

 59年にジョン・フォガティ他の3人で結成されたブルー・ベルベッツを母体とし、その後ジョンの兄のトムの加入やバンド名の変更を経て、68年に「クリ―デンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival)」という長ったらしい名前でブレイクすることになる。CCRと称されることが多い。1968年~1972年の実動5年でありながら、ロックの世界に残した功績はあまりにも大きいアメリカのバンド。

 彼らはカリフォルニア出身のシティーボーイであったが、その作風は泥臭いスワンプロック(南部のロック)のカバー曲「スージーQ」が68年にヒットしてヒッピー文化全盛の当時に異色の存在として脚光を浴びた。

その後は立て続けにヒットを飛ばすことになり、1位を獲得していないグループとして最多の5曲が2位を獲得という珍記録を打ち立てた。面倒なので C.C.R. と呼ばれていた長ったらしいバンド名は直訳すると 「クリーデンスのきれいな水・復刻版」 とでもいったところ。メンバーによると特に深い意味は無いらしく、クリーデンスは友だちの名前で、クリアーウォーターは当時流行っていたビールのCMから、リバイバルはバンドの活動を再開したことから来ているとのこと。

 前身はカリフォルニア(バークレー)のハイスクール・バンドだが、その割には南部っぽい土臭いサウンドで、最初に 「プラウド・メアリー」 を聴いたポール・マッカートニーは「何てすばらしい黒人グループかと思ったけど、それが白人のグループと聞いてびっくりした」―と語っている。

CCRの魅力

 
 CCRの魅力は、カントリー、ブルーズ、フォークそしてR&Rなどなど、アメリカの(特に南部の)音楽の消化吸収の良さ。これはブルーズっぽい、これはカントリーっぽいと、聴いていてそういう「香り」は確かに感じるが、でもじゃあ、カントリーのアーティストかといえば、さにあらず、もちろんブルーズでもなく、あくまでもポップなロックバンド。自ら「リバイバル」と名乗っているように、まだロックが発展途上の1960年代後半当時において、既に郷愁を誘う音楽を提示していたが、かといって、決して焼き直しではなく、新しい感覚を持ち、オリジナル曲によって表現した、まさに「CCR」としかいえない音楽。
 
 ただし、カバーの上手さにも秀でたバンドであって、ほんとに消化吸収の良さには舌を巻く。オールディーズとして結構有名な曲もカバーしている。
 

 また彼らには、こんな逸話もある。彼らは、そのものずばりBAYOU COUNTRYというアルバムがあり、アメリカ南部のテイストを前面に出した音楽を繰り広げていたが、実は、カリフォルニアの都会出身で大卒のインテリだったのだとか。不良のイメージを押し出していたローリング・ストーンズのミックとキースがやはり大学出だったということもあるが、そんな「すかした態度」もまた、いかにもロックではある。(bayouとはアメリカ南部を指す言葉)

 
 リーダーでヴォーカルのジョン・フォガティの声も魅力だ。エモーショナルでブルージーでパワフルな、いかにも黒人っぽいフィーリングの声の持ち主だが、彼の場合、当時の英国のバンドによくあったような、無理に真似て歌おうという意気込みはあまり感じられず、あくまでも自然体でやって出ている声として響いてくる。

ジョン・フォガティ

 

ジョン・フォガティを語る上で欠かせないのが、「ベトナム戦争出兵の経験」である。時に反戦メッセージ色の濃い曲を作ったが、ベトナム戦争がまだ行われていた当時、彼らの音楽がどのように受け止められていたのか・・・

 もうひとつ、彼は、キャリアの絶頂期に、レコード会社との契約トラブルに巻き込まれ、ついにはレコードが出せないという状況に追い込まれた。バンドの解散はそのせいだけではなかったが、実動わずか5年という短命さの一因ではある。
 そして、ジョン・フォガティは、本来の契約期間が満了するまで、レコードを出すことが難しい状況に陥り、一時は、変名でレコードを出したことさえあったくらいであった。

 さらには、1985年にようやくレコード会社を移籍して新譜をリリースしたと思ったら、その中に入っていた曲がCCR時代の曲に似ているということで盗作だと訴えられ、彼は法廷でギターを持って歌い「証言」したという話まで残っている。その2曲はどちらもジョン自身が(ひとりで)作った曲だが、著作権を有する者が違うがために、自分の曲が自分の曲に似ていると訴えられたのである。

 ジョン・フォガティは、多分出兵という経験もあってか、薬など不健康なイメージがない「善良なお坊ちゃま」としてアメリカでは認知されている。

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CCRの転機

 頭角を現したジョンが目立ちすぎたこともあり71年にはトムが脱退し72年に日本公演が実現した後に解散した。その後ジョンはソロ活動を開始するが訴訟問題に巻き込まれて嫌気が差し音楽活動から一時離れたが、再開後の85年にはミリオンセラー、97年にグラミー賞を受賞と再び活躍している。

 CCRの音楽をサイケやヒッピー全盛の風潮に対するアンチテーゼとして多くのファンに受け入れられた「ロックの原点回帰」だったと考え、土の香りのするロックは永遠不滅と主張しCCRの音楽への熱い思いを語っているサイトがあったのだが、今は無くなった。

 この「雨をみたかい」はジョンが後日はっきりと否定したが、ベトナム戦争のナパーム弾のことを歌ったと一般には信じられていた。そのため放送禁止になったことでも有名である。ジョンは従軍経験もある硬骨漢だったらしい。全米8位が最高だがCCRの代表曲。
原題は「Have You Ever Seen The Rain」

 

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放送禁止になった曲

 この歌は、今はあまり話されなくなった、アメリカが介入したベトナム戦争の頃に発売され、アメリカでは、放送禁止になった。単純に歌詞を読めば、ツキのない男が、ボヤキながら、煌くような「お天気雨の日」を夢見ているように受け取れる。それなのに、アメリカ政府はこの歌を放送禁止にした。その理由は、この歌がベトナム戦争で使われた、無差別大量殺戮兵器であるナパーム弾を連想させるためである。ベトナム戦争中に多用された「ナパーム弾」はゲル化油脂焼夷弾で「水のように煌きながら降り注ぐ雨(the rain)」はそのスラングである。ナパーム弾は落下するときに、空気との摩擦で、雨粒のように青白く輝くということに由来している。

 油脂焼夷弾は第二次世界大戦で始めて使われた。主に日本の大都市を空襲するためだ。燃えやすい木と紙で出来ている人家が多い日本の都市を攻撃するために、火災を引き起こす油脂を増粘剤を添加してゼリー状にして、さらに粘着性を持たせたものである。その油脂は、屋根や壁面などの構造物や、衣服などに付着し、高温で燃焼し、消えにくい特性がある。ベトナム戦争で使われたナパーム弾はこれを更に進化させたものだった。ジャングルを焼き払い、その火は地上にある全ての生命を奪った。また、地下に逃れた人も、その燃焼によって空気を奪われ窒息することになった。

 

 「ずっと、こんな調子さ。どうだい、『the rain:雨』を見たかい?ピーカン照りに晴れた日に。水のようにキラキラ降り注ぐ水のようにさ。遅かれ早かれだって、まったく、こんなこと何時になったら終わるんだい。」(歌詞要意約)ベトナムの戦場でナパーム弾と戦争についての会話ともとれるこの歌は、当時のアメリカ人、兵士が持ち始めていたベトナム戦争に対する疑問の気持ちや罪の意識を代弁することになった。後に作詞作曲のジョン・フォガティーは、この暗喩を否定して、バンドの解散を予感して書いたものだとインタビューに答えていた。真偽のほどは分らないが、長らく(現在も)多くの人たちは、ベトナム戦争を歌ったものだと信じている。

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