はじめに
作詞・作曲共にポール(Paul)ことレイ・ヒルデブランド(Ray Hildebrand)がアネット・ファニセの「トール・ポール」という歌にインスパイアされて2ヶ月かかって作り、当初「Paul and Paula」の題名をつけた。
原題「Hey! Paula」、邦題「ヘイ・ポーラ」
歌ったのはポール&ポーラ(Paul & Paula)
思いがけないデビュー
当時大学生だったレイの住む下宿屋の主人の姪のポーラ(Paula)ことジル・ジャクソン(Jill Jackson)が全米がん協会のチャリティーに出るから一緒に歌ってくれないかと誘った。
こうして「ジル・アンド・レイ」として出演したラジオのチャリティショーで歌ったこの歌が地元のDJに気に入られ、半分の長さに編集されレコーディングされた。
その後マーキュリー・レコードがマスター・テープを買い取り、デュエット名を「ポール&ポーラ(Paul & Paula)」、そして曲名を「ヘイ・ポーラ(Hey! Paula)」と変えて発表したのが1962年の暮れ。
すぐに全米トップ100に入るや、その6週間後の63年2月には全米第1位に上り詰めてしまう。
二人のその後
しかしレイはレコード業界に馴染めずシンガーとしての人生より、クリスチャンとしての平凡な人生を選び、学生時代からのガールフレンドと結婚してカンザスに普通の家庭を築いている。
ジルも結婚して南カリフォルニアに住んでいて、時々レイに電話を入れて歌の仕事に戻る気はないかと聞くそうだが、その度にレイは戻る意思は無いと断言しているという。
米国盤ジャケット
日本のカバー競作事情
日本でのカバー盤は田辺靖雄・梓みちよ(MYカップル)と九重祐三子・ダニー飯田とパラキンの競作となった。
後日談として皮肉なことに田辺靖雄と九重祐三子が結婚し、その後は夫婦でこの曲を歌っているため錯覚している人が多いようである。
日本発売盤ジャケット
田辺靖雄・梓みちよのカバー盤ジャケット
ポールとポーラの動画
Paul & Paula(ポールとポーラ)
絶頂期にTVショーで歌う二人
このヒットで来日もしており、お決まりの日本のヒット曲を日本語で録音という置き土産を残している。
二人の星をさがそうよ
大ヒットの後のポテンヒット けんかでデート
日本語カバー
田辺靖雄&梓みちよ
競作盤を出していた二人が今では夫婦になって歌ってる
<歌詞>
[Paul:]
Hey, hey Paula, I wanna marry you
Hey, hey Paula, no one else will ever do
I’ve waited so long for school to be through
Paula, I can’t wait no more for you
My love, my love
[Paula:]
Hey Paul, I’ve been waiting for you
Hey, hey, hey Paul, I want to marry you too
If you love me true, if you love me still
Our love will always be real
My love, my love
[Both:]
True love means planning a life for two
Being together the whole day through
True love means waiting and hoping that soon
Wishes we’ve made will come true
My love, my love
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