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旅立てジャック(Hit The Road Jack)~Percy Mayfield,Ray Charles

Artist(English)
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はじめに

レイ・チャールズが61年にリリースし、2曲目の全米1位のヒットとなった。原題は「Hit The Road Jack」

この頃は英語を習い始めた時期で繰り返し歌われている原題もその意味も聞き取れるわけはなく、なんとなく女性コーラスとレイの掛け合いがリズミカルで面白く、「も~の~も~の~」のようにわかりやすい部分だけ真似をして歌っていた。

従って当時は歌詞の内容は全く知らず、旅行に出かける人を送り出すくらいに漠然と想像しながら歌っていた。当時の邦題はこのように曲の内容と全く異なっている例は他にもある実におおらかで良い時代であった。

ABCレコードへの移籍

ABCレコードは、黒人音楽市場が急速成長を遂げつつあることには感ずいていたが、有力なR&Bアーティストがいなかった。チャールズ曰く、ABCは絶対に断れるはずのない好条件を彼に示した。

彼らはアトランテッィクよりも遥かに高い印税率だけでなく、プロダクション契約やプロフィット・シェアリング(利益分配制度)をチャールズに約束し、マスター・テープの最終的所有権も彼に約束した。

これほど好条件の契約はほぼ前例のないもので、今日でさえ非常に稀である。この後、チャールズはついに自らのレコード会社を手に入れる。タンジェリンと名づけられたこのレーベルの作品は、ABCを通じて配給された。

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こうしてレイ・チャールズは結果的に、サム・クックがRCAから勝ち取ったのとほぼ同じものを事実上手に入れることになった。

つまり、音楽製作面だけでなく財政面でもある程度の主体性を確保し、会社をひとつ買えるほど経済的に豊かになったわけである。

しかしレイ・チャールズはこう言う

『始めからそんな筋書きを考えていたわけじゃない。それぐらい頭が切れたと言えたらいいんだが、俺はそんな下らない嘘を言うつもりはない。いろいろ聞いていると思うが、おれはただ、自分のマスター・テープを欲しかっただけなんだ。マスターが一生自分のものになるっていうのは、そうだな、自分の出版会社をもてるようなものだ、と思ったのさ。
考えてもみろよ。こんな美味しい話を断れるわけがないだろう。多分、ABCの連中は・・・まあ、おれが欲しかったのは間違いないが・・・とにかく、アトランティク時代の俺を見て、かなり過大評価したんだと思うね。
まあ、そんなことはどうでもいい。ABCの判断が正しかったかどうかよりも、大事なのは自分は何かを持っていると誰かに思わせることだ・・・実際、そんなものはないかもしれない。だが、そいつがそう思っている以上、あんたはそれを持っている。それがすべてなんだよ。』

そして一方では、その後レイチャールズに去られたことで、アトランテッィクは深刻なダメージを受けたのであった。当時のアトランティックは黒人音楽をもっとも深く理解し、レイチャールズの才能をいち早く見出し丁寧にケアーして来た。

しかしレイ・チャールズは、すでにアトランテッィクが考えていた様なR&B世界の枠を超えようとしていた。本人もはっきりと意識していなかったかもしれないが、レイが求めていたのは自分の音楽活動を自分でコントロールすることだったのだろう・・

ビートルズの中のレイ

ビートルズは、レイ・チャールズのナンバーを、まだクォーリー・メンと名乗っていた時代から、よくカヴァーしていたようだ。彼らの初期の音源では、レイの「ホワッド・アイ・セイ」や「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」のカヴァーを聴くことができる。

彼らにとって、レイ・チャールズは、アメリカのロックンロールを代表する現役のアイドルの一人だった。そのレイにビートルズの面々がはじめて会ったのは、1962年の暮れだ。

ハンブルクのスター・クラブにレギュラー出演していたビートルズは、ある晩レイ・チャールズの前座を務めることになった。ライヴの後、ビートルズはレイ・チャールズと楽屋で歓談する機会に恵まれたらしい。

レイ・チャールズが与えた影響は、ビートルズの音楽が変遷し直球のロックンロールではなくなった後期にも、姿を変えて残っている。例えば、『アビー・ロード』に収録されたサムシングも、その一例だ。

一般にこの曲は、作曲者のジョージ・ハリスンが妻のパティ・ボイドに捧げた歌と解釈されることが多かった。しかし生前のハリスンは、これはレイ・チャールズが歌うところを想像しながら作った曲で、特にパティを意識したわけではない、と語っている。

「サムシング」は、シンガーソングライター的な活動に目覚めたハリスンが、敬愛するソウルの大御所を意識して、真摯に書き上げたスイート・ソウルと言っていいだろう。

曲を仕上げた後、この曲がまずジョー・コッカーに提供されたというのも、レイ・チャールズとの繋がりを感じさせるエピソードだ。ジョー・コッカーはレイ・チャールズ譲りの黒いこぶしで頭角を現わしたシンガーで、フランスでは「プチ・レイ・チャールズ」という愛称も得ていたほどだ。

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コッカーの友人だったハリスンは、本格的なソロデビューを控えた彼に「サムシング」を託したが、それからしばらくコッカーのデビュー作は完成せず(69年11月発表)、結局ビートルズのヴァージョンが先に世に出ることになった(69年9月)。

また、ポール・マッカートニーの場合は、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が、レイ・チャールズを念頭に書いた曲だった事実を明らかにしている。

「僕の声は彼と似ていないから、まるでレイ・チャールズみたいには聞こえないけどね。でも心の中で、レイ・チャールズならどうするだろう?なんて考えをめぐらせながら書いたんだ。だからもしかしたら、少しジャズっぽいコード進行あたりは、その影響が表われたのかもしれないね。」

ビートルズのような大物が、曲の元ネタを具体的に明かすのは、決してよくある出来事ではない。ミュージシャンが自分の受けた影響をつい語りたくなってしまう、それほどレイ・チャールズは別格の存在だということかもしれない。

実は曲の内容について今回初めて知ることになったのだが、ダメ男が原因の痴話喧嘩みたいな話らしい。即ち男女の別れ話を僕は気分良く歌っていたことになる。「出ていって、ジャック!もう二度と戻ってこないで!」と女が言い、ダメ男ジャックがウダウダ言い訳をするというのがレイと女性コーラスの掛け合いの内容らしい。原詩と和訳がここにある。

オリジナル

この曲のオリジナルはレイではなくパーシー・メイフィールドが60年に作り自ら歌ったものである。これをレイがカバーしたものがヒットした。

Percy Mayfield(パーシー・メイフィールド)

Hit The Road Jack – Percy Mayfield

作者パーシーの晩年84年に酔っ払って歌っている映像

実に良い味。この年に彼は64歳の誕生日の前日に亡くなっている。

Percy Mayfield – Hit The Road Jack – 1984 – Original

本家レイ・チャールス

Ray Charles(レイ・チャールズ)

Hit the road Jack!

映画の中で歌っている?

Ray Charles – Hit The Road Jack (remastered)

10年ディジタルリマスター盤

Ray Charles – Hit the Road Jack (2010 Digitally Remastered Studio version)
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