スポンサーリンク

アイ・ガット・ア・ウーマン(I Got A Woman)~Ray Charles

Artist(English)
スポンサーリンク

はじめに

スポンサーリンク

『アイ・ガット・ア・ウーマン』それは、教会の一切の制約から解き放たれた、何の遠慮もない奔放なサウンドだった。これまで一つに合せることのできなかった全ての要素の融合だった。

それは、狂おしく叫ぶチャールズの声、多くの人々がレイ・チャールズのものだと知ることになる、あの声だった。

ただ、驚くべきことに『アイ・ガット・ア・ウーマン』のシングルがポップ・チャートに顔をだすことはなかった。しかし、この曲がアメリカのポップ音楽シーンに与えた影響は計り知れず、シングル・レコードとしてはおそらく、後にも先にも、この作品の衝撃を越えるものはないだろう。ジェリー・ウェスラーにとっては、この曲こそがレイ・チャールズ及びR&Bの真髄であり、全ての『原型』だった。

ゴスペルとポップスの融合




ある黒人にとっては、この曲は宗教という仮面を被らずに黒人であることの素晴らしさを初めて堂々と称える祝福の歌だった。

そして、ペリー・コモやテレサ・ブリューワーを与えられ、黒人音楽から切り離されていた白人世代にとっては、この歌は長い間閉ざされていた禁断の扉を開く役割を果たしてくれた。

レイ・チャールズ本人の回顧によると、彼はタイミングは良かったと認めている。ヒットのお陰で、自分のバンドを存続させる事が出来たからである。かれは賞賛され偶像化されても、それを冷静に受け止めていた。

音楽性の飛躍的進歩については、その一切を否定する。チャールズは自叙伝にはこう書いている。

『三つの頃からずっとスピリチアルズを歌ってきたし、同じくらい長いことブルースを聴いてきた。だから、この二つを一緒にすることよりも自然なことなんて、あるわけがない。』
『あれについては何も考えなかったし、計算もしなかった。全てのサウンドはすでにあった、そう、この頭の中にあったんだ。』
『ナット・コールを真似るときは、ある程度計算しなければならなかった。準備が必要だったんだ。声を彼のやり方に合わせるんだよ。楽しかったさ。だが、まるで自然に出来たというわけじゃない。』
『自然だったのは、ブルースとゴスペルを合わせることさ。おれはただ、一番最初に覚えた音楽に忠実であればよかったんだ。』

では、批判についてはどうだっただろう?

『相当いわれたね。あれが教会にたいする憎悪だと感じた人間もいたからな。だがそのうちみんなそうじゃないって気が付き始めた』
『レイ・チャールズは教会を馬鹿にしているわけじゃない。あの男はただ自分の感じたことを歌にしているだけだ。自分の中にあるものを歌で表現し、感じるままに歌っているだけなんだ』とね。
『誰かの物真似をやめにしたのは、あの頃さ。よし、レイらしい音を出そうぜ。自分らしくな』って考えた。『で、そう決めた瞬間から、おれはおれさ。それしか知らなかったからな。自分以外なんて、なれるわけないだろう』

彼はレイだった。彼は黒人コミュニティにおける神話的な英雄になった。唯一例外として考え得れるならルイ・アームストロングを除けば、彼は現在に至るまで、誰にも肩を並べる事の出来ない存在となったのである。

アトランティック・レコードは彼を『唯一無二の天才』と賞賛した。しかしその一方で、チャールズはこのように語っている。

『自分で金をだして買うのは優れたゴスペルのレコードだけだ。素晴らしいゴスペル・ソングが好きさ、それが本当にソウルフルならね。だが、ゴスペルだからといって、何でも素晴らしいというわけじゃない。』
『ゴスペルにもブルースにも、もちろんクラッシックにだって、いいものと悪いものがある。曲がよくて、アーティストがその良さを感じないとだめだ。そうでない限り、いいものは出来ないね』



『アイ・ガット・ア・ウーマン』はレイ・チャールズが神聖なゴスペル・スタンダードを俗世の恍惚の叫びへと変貌させた当初、彼は主に聖職者から激しい批判を受けた。

だが、いったん表舞台に出た音楽は、公民権運動と徐々に歩調をあわせていく、その成功は人種差別撤廃に向けて大いなる歩みを直に反映し、その人気は当時起きていた社会変化のイメージをほぼそのまま写しだすまでになった。

ホワッド・アイ・セイ(What’d I Say)~Ray Charles
ダンスパーティで余った時間を埋めるために演奏したのが始まり。ほぼ一つのリフだけが繰り返され、それをレイが艶やかに装飾し、喘ぎ声のやり取りが繰り返されるクライマックスで、女性コーラスがオーガズムへと導く。これはゴスペルの手法を導入したもの。

レイ・チャールズの歌声と映像

I Got A Woman

Ray Charles – I got a woman

Olympiaでのライブ

I've got a woman – Ray Charles live at Olympia

スポンサーリンク

レイ・チャールズとアトランティック

レイ・チャールズとアトランティック・レコードは歴史上、これからも両者は結び付けられるだろう。新たな時代を作ったもの同士として、レイ・チャールズはソウル・ミュ-ジックの様式を作った先駆者であり、アトランティックはソウルという小さな世界を牛耳る巨人だった。

アトランティックは1947年に創業、アーメット・アーティガンとハーブ・アブラムソンの二人によって始められた。

アトランティックも他のインデペンデント・レコードと同じように、元々はオーナーたちの音楽に対する熱狂的な情熱から発生したものだった。

しかし他の同時代のレーベルとは違い、アトランティックは想像力溢れる積極的な起業精神、ビジネスに対する鋭い洞察力、文化的洗練、センスの良さといったものをうまく融合させることで成長していく。

他のレベールのように、その時々のヒットや流行を追いかけたり、大量の『商品』を無差別的に市場に送り込み、どれか一つくらいはうまく引っかかるだろうと待っているのではなかった。

共同経営者の共通して傾向していたジャズに関する知識と、ハーブ・アブラムソンが持ち込んだゴスペルとR&B界での経験。そしてこの業界において最も機知に富み、実に狡猾な男の一人であるアーメット・アーディガンの説得力とその抗う事の出来ない人間的魅力だった。

スポンサーリンク

コメント