はじめに
イギリス出身のシンガー・ソングライター、アルバート・ハモンド(Albert Hammond)の72年全米5位を記録したヒット曲。
原題は「It Never Rains In Southern California」、邦題は「カリフォルニアの青い空」
アメリカでは1972年の暮れから1973年初頭にかけてヒットした。
この曲を歌っていたアルバート・ハモンドは、若いファンなら「おや」と思うかもしれない。そう、ストロークスのメンバーを経てソロとなって音楽活動を続けるアルバート・ハモンドJr.は彼の息子である。
落ち葉のコンチェルト
歌の内容は爽やかな曲調と裏腹に彼の不遇な時代を歌っている。ロサンジェルスに来る前のスペインでの下積み時代を作詞担当のマイケルに話したことが元ネタとなった。
食べる金に困り駅前で物乞いのようなことをしている時に、従兄弟とは気づかずにアルバートは彼にも金を無心した。これを歌詞では俳優らしき人物が南カリフォルニアにやってきて苦労しているというシチュエーションにしている。
「カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)」は1973年の洋楽ヒットの代表的なもののひとつとなり、アルバート・ハモンドの名を洋楽ファンに知らしめることになった。
「カリフォルニアの青い空」のヒットが一段落つく頃になると次のシングルとして「カリフォルニアへ愛を込めて(From Great Britain to L.A.)」が発売され、これもなかなかのヒットになった。
夏には「フリー・エレクトリック・バンド」がスマッシュ・ヒットを記録、
そして同じ年の秋、「落ち葉のコンチェルト」という大ヒットが生まれる。こうしてアルバート・ハモンドの名は洋楽ファンの記憶に刻まれることになった。
アルバート・ハモンドはヒットを連発した後、活動の中心を他のアーティストに楽曲を提供する作曲者に移した。ここでも多くのヒットを生み出している。
歌詞の内容
あらためて歌詞を読めばわかるようにこの歌には「青空」という言葉は出てこない。”南カリフォルニアでは雨は降らないらしい” そんなことを噂で聞いた気がする 。
”Seems it never rains in southern California Seems I’ve often heard that kind of talk before”といったサビの部分から、雨が降らない→晴れ→青空という連想で「カリフォルニアの青い空」という邦題はつけられたようだ。
この邦題のせいか、この曲を聴くとウエスト・コーストの透き通るような青い空を思い描いてしまうが、実際はスターになる夢を描いてロサンジェルスへ来たものの中々チャンスがなくて腐っている、そんな歌で爽やかさみたいなものとは程遠い世界が歌われている。
物乞いのエピソード
食べる金に困り駅前で物乞いの様な事をしていたら、たまたまハネムーン中の従兄弟が此れを発見。従兄弟とは気付かずにアルバートは彼にも金を無心してしまったそうである。
アルバートは此の事を故郷の両親に言わない様に従兄弟に懇願したが、彼は此れを無視して告げ口をしてしまった様である。
歌詞では俳優らしき人物が南カリフォルニア(多分、ハリウッド)にやって来て苦労していると言うシチュエーションにしているが、
Will you tell the folks back home I nearly made it (故郷の両親には僕はもう少しで成功する所だったて言ってくれないか) Had offers but didn’t know which one to take (色々話はあったけれどどれに乗ったら良いか分からなかったんだ) Please don’t tell ‘em how you found me (両親には言わないでくれないか, 僕がどんな様子だったかは) Don’t tell ‘em how you found me (両親には言わないでくれ、僕がどんな様子だったかは) Gimme a break, give me a break (勘弁してくれよ、頼むよ)
上記の部分(歌詞の後半部分)を見ると、このエピソードが反映されているのが分かる。
アルバート・ハモンド(Albert Hammond)のプロフィール
スペイン・ジブラルタル時代
アルバート・ハモンド(Albert Hammond)は1942年にロンドンで生まれている。直後に一家がスペインのジブラルタルに移住したため、幼少期をジブラルタルで過ごした。60年にはジブラルタルでThe Diamond Boysというロックバンドを組んでいた。
モロッコ・カサブランカ時代
バディ・ホリーを聞いて音楽の道を志し、13歳の時家出をしてモロッコのカサブランカで音楽活動を始めた。
音楽家デビューはモロッコのうらぶれたストリップ小屋だった。そこにいた20人ものストリッパー嬢に様々な音楽を聴かせてもらい1年半後スペインに帰郷。
家には戻らずレコード会社のオーディションをいくつも受けるが断られ16歳でようやくRCAと契約することが出来た。
はりきってバディ・ホリースタイルの曲を書くもお前の仕事はアメリカイギリスのヒット曲をスペイン語に直して歌うことだと言われがっくし。
しかたなし従ったらそれが何と本家よりヒットしてしまったという。
英国時代
そんな毎日に嫌気がさしてまた放浪の旅に。今度はビートルズ旋風吹き荒れる英国へ。
とりあえずレコード出したりTVに出たりしたものの全てがうまく行かず皿洗い、運転手、工場労働者とバイトに明け暮れる始末。
女性関係でももめてしまって、そんな時に出会ったのが曲作りのパートナー、マイケル・ヘイゼルウッド氏。彼と作詞作曲のコンビを組んでソングライターのチームとして活動を始めてからは幸運に恵まれる。
テレビ番組の挿入歌として作った彼らの楽曲が大ヒットとなったのだ。1968年のことだ。
69年にはイギリスのボーカルグループThe Family Doggに参加して全英トップ10ヒットを出した。
作曲者としてもイギリスのコメディアンのリービー・リーが歌って世界中で400万枚を超える大ヒットとなった「リトル・アロー」を出している。
米国時代
1970年代になってハモンドとヘイゼルウッドのふたりはアメリカ進出を目指してロスアンジェルスに移住。
しかし、この曲がヒットするまで2年以上の月日がかかっているわけで、歌詞のように”食べるパンすらなく”とまではいかないまでも、それなりに成功はしていただけに”プライドもなくなり”という状態は何度も味わったのではないだろうか。
やっとソングライター・チームとしてもチャンスを掴み、さらにハモンドはシンガーとしてもデビューを果たすことなる。そうして1972年に発表されたアルバート・ハモンドのデビュー・アルバムが本作「It Never Rains In Southern California」である。
だから「カリフォルニアの青い空」の歌詞はハモンドにとって私小説なものだったと言えるが、自分の境遇を愚痴ったような歌がヒットして(シンガーとしてはその後大きなヒットはなかったが)、ソング・ライターとして大成功するきっかけとなったわけだから世の中皮肉なものである。
次のシングルでは本国ではB面だったバラード「For the Peace of All Mankind」をA面に変更し、歌詞とは全く関係ない「落ち葉のコンチェルト」という世紀の名邦題とハモンドのセピア色のプロフィール写真をジャケットに使い日本だけの大ヒットにしている。これも曲を聴くたびに落ち葉が降り積もった舗道の風景なんていうのを思い出してしまう。
Albert Hammond(アルバート・ハモンド)のオリジナル
ミュージックビデオ
TV映像 1973
落ち葉のコンチェルト(For the Peace of All Mankind)
デビュー・アルバムの音楽性
一流のウエスト・コーストミュージシャンが集結
デビュー・アルバム「It Never Rains In Southern California」の制作には当時のウエスト・コーストの一流のセッション・ミュージシャンが名を連ねている。トム・スコットやラリー・カールトン、ジョー・オズボーン、ジム・ゴードンらの名もあり、その豪華さに少しばかり驚くが、中でも目を引くのは「Album Arranged & Conducted」としてもクレジットされているキーボード奏者、マイケル・オマーティアンの存在だろうか。
マイケル・オマーティアンも参加
マイケル・オマーティアンは1970年代初期からウエスト・コーストでセッション・ミュージシャンとして活躍、この頃はちょうどロギンス&メッシーナのファースト・アルバムへの参加で注目を浴びていた頃だろう。
この後、プロデューサーとしても頭角を現し、1970年代の終わり頃になってクリストファー・クロスを世に送り出すことになるのは、ウエスト・コースト・ミュージックのファンなら知っている人も多いだろう
だからこのアルバムの演奏は1970年代初期のウエスト・コースト・サウンドそのものと言っていい。そのサウンドはすっきりと乾いて明るく軽やかだ。
何故か「ウエスト・コースト・ミュージック」特有の空気感が無いという矛盾
しかし、全体の印象として、このアルバムの音楽には「ウエスト・コースト・ミュージック」特有の香りが感じられない。ウエスト・コーストのミュージシャンによる演奏に支えられた音楽であるにも関わらず、「ウエスト・コースト・ミュージック」の持つ特有の空気感が、このアルバムの音楽にはない。
例えば「Anyone Here in the Audience(哀しみのミュージシャン)」では演奏はカントリー・ミュージック風に仕立てられているのだが、楽曲全体の印象はまるでカントリー・ミュージックではない。
その要因はもちろん言うまでもなく、アルバート・ハモンドの音楽性のバックボーンにあるのだろう。
ロンドンに生まれ、ジブラルタルで育ち、バディ・ホリーに触発されて音楽の道を志し、カサブランカで音楽活動を始めた彼が、アメリカ西海岸の風土に根ざした「ウエスト・コースト・ミュージック」の空気感を携えていないのは当然のことだろう。
そのようなところに、このアルバムの個性が生まれているとも言える。
バックの演奏を支えているのは当時のウエスト・コーストの一流のセッション・ミュージシャンたちで、その演奏は紛れもない「ウエスト・コースト・ミュージック」だが、その一方で、シンガーであり、ソングライターであるアルバート・ハモンドの音楽は地域的な特徴を持たない、どこか無国籍な香りを漂わせている。
その両者が融合した作品であるところにも、このアルバムの面白みと魅力がある。
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ヒットの要因
軽やかな中に哀感の漂う曲調、その親しみやすく覚えやすいメロディ。
この曲が大ヒットになったのには、楽曲そのものの素晴らしさももちろんだが、イントロと間奏、エンディングでフルートが奏でる特徴的なメロディの魅力によるところも大きいに違いない。こうしたアレンジの巧みさも、この曲を大ヒットに導いた大きな要因である。
アルバム作品としての「It Never Rains In Southern California」を聴いていて思うのは、収録された楽曲の素晴らしさだ。
アルバム収録曲にはシングルでヒットする可能性を秘めたものがある
シングルとして発売された三曲以外の収録曲も、どれもが親しみやすいメロディを持った、魅力的なものばかりだ。どの楽曲をシングルとして発売してもヒットする可能性があるのではないかと思えるほどだ。
具体的な曲名列挙
軽やかな曲調の楽曲
・「Brand New Day(新たなる日)」
・「Anyone Here in the Audience(哀しみのミュージシャン)」
バラード
・「The Road to Understanding(和解への道程)」
・「The Air That I Breathe(安らぎの世界へ)」
どの楽曲も、親しみやすく覚えやすいメロディを持ち、特にサビの部分は印象深い特徴を持ち、軽やかなウエスト・コースト・ミュージックに支えられて素晴らしいポップ・ソングとしての魅力を放っている。
歌詞の内容はヘヴィでシリアス
実はアルバムに収録された楽曲のどれもが、その演奏やメロディの印象とは裏腹にかなりヘヴィでシリアスな内容の歌詞を持っている。
「It Never Rains In Southern California(カリフォルニアの青い空)」や「From Great Britain to L.A.(カリフォルニアへ愛を込めて)」の二曲もその例に漏れない。
この二曲はタイトルや曲調からは「カリフォルニア賛歌」とでもいうべき印象を受けてしまうが、実はまったく逆の内容を持つ楽曲で、「カリフォルニア幻想への失望」とでも言うべきテーマが歌われている。
工場の廃液で川の生き物たちが死んでゆくというテーマ
Down by the River(ダウン・バイ・ザ・リバー)
聴衆の中に路上生活してきた自分を泊めてくれる人はいないかと問いかける
Anyone Here in the Audience(哀しみのミュージシャン)
世界を聴け、人々の嘆きを聴け
すべての楽曲がそうした社会風刺や問題提起を含んだもので、単純なラヴ・ソングなどはひとつもない。その楽曲の印象の中に哀感や悲壮感のようなものが感じられても当然のことなのだ。
「下積みの苦労」が歌声に誠実さを生み聴き手の心に響く
各楽曲のそうしたテーマは、アルバート・ハモンドとマイケル・ヘイゼルウッドが音楽を志して成功へ至るまでに重ねてきた長い道程と失意の日々、いわゆる「下積みの苦労」というものに呼応したものだろう。
「It Never Rains In Southern California(カリフォルニアの青い空)」や「From Great Britain to L.A.(カリフォルニアへ愛を込めて)」のテーマは、成功を目指してイギリスからカリフォルニアへ移住してきた自分たちの姿そのものなのかもしれない。
「Anyone Here in the Audience(哀しみのミュージシャン)」も、なかなか才能を認めてもらえず、チャンスの巡ってこない、下積み時代の自らの姿を自虐的にモチーフにしたものだろうか。
アルバート・ハモンドというシンガーは、シンガーとしての技術や力量といった点では決して「上手い」シンガーとは言えない。声質も特に美しいというわけではない。
しかしその歌声には真摯で誠実な印象があり、聴き手の心に訴えかけてくるものがある。
このアルバムが発表された1972年、1942年生まれのアルバート・ハモンドは30歳だ。決して早いデビューとは言えない。いや、遅いと言った方がいい年齢だ。
しかしだからこそ、デビューまでに重ねてきた失意と苦労の日々が、その歌声に織り込まれているのだ。それ故にその歌声は聴き手の心に響くのだ。
ソングライターとしての活動に重点
1973年に「カリフォルニアの青い空」から「カリフォルニアへ愛を込めて」、「フリー・エレクトリック・バンド」、「落ち葉のコンチェルト」と立て続けにヒット曲を放ったアルバート・ハモンドだが、1970年代後半になる頃から次第にその名を聞かなくなってしまった。
ソングライティングの才能が広く認められ、シンガーとしてよりもソングライターとしての活動が主になっていったようだ。
ホリーズやアート・ガーファンクルが彼の曲を取上げ、中でも1977年にレオ・セイヤーが歌った「はるかなる想い(When I Need You)」は全米No.1となる大ヒットを記録した。
此の名曲はロッド・スチュワートやフリオ・イグレシアス、セリーヌ・ディオンヌ等、多くのシンガーがカヴァーする新しいスタンダードとなった。
ジブラルタルでスペイン文化の影響を受けていた彼の作曲する曲にはラテン・ミュージックを思わせるようなドラマティックなメロディー・ラインがあるのが特徴である。
更に、1986年頃からまだ駆け出しだったダイアン・ウォーレンと共作する様になり、1987年には此のコンビで作曲しスターシップが歌った「愛が止まらない(Nothing Gonna Stop Us Now)」が全米No.1となるビッグ・ヒットとなる。
ソングライターとして人気が再燃し、ティナ・ターナーやディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリン、セリーヌ・ディオン等、トップ・シンガー達が彼の曲を取上げる様になる。
中でもホイットニ・ヒューストンが歌った「One Moment In Time」はアメリカで5位まで上昇、
ダイアナ・ロスの「恋のプレリュード(When You Tell Me That You Love Me」はイギリスで2位まで上昇し、夫々のアーティストにとって重要なレパートリーとなっていると言って良い。
日本における人気は高かった
日本ではその後「フリー・エレクトリック・バンド」「落ち葉のコンチェルト」がヒット。
作曲者としてはホリーズの「安らぎの世界(The Air That I Breathe)」
レオ・セイヤー(Leo Sayer)の「ウェン・アイ・ニード・ユー(When I Need You )」
などを出している。
カーペンターズの「青春の輝き( I Need To Be In Love)」
アルバート・ハモンドがこの曲の作曲者でもあったとは知らなかった。
カレンの歌声が心にしみる名曲だと思う。
日本洋楽チャート
1回目のヒットで、12月18日36位初登場、
以後 *-*-27-20-18-10-3-2-2-2-2-(1973/3/12)1-1-2-2-3-5-6-8-12-17-22-26-30-(6/10)38位。
最高位1位2週。24週。
カバーセレクション
Barry Manilow
Ray Conniff
南沙織(Saori Minami)
<削除された>のでジャケット写真だけどうぞ
「カリフォルニアの青い空」は歌っていないが、ワンマンショーメドレーをどうぞ
アグネス・チャン(陳美齢)
<歌詞>
Got on board a westbound seven forty seven
Didn’t think before deciding what to do
Ooh, that talk of opportunities, TV breaks and movies
Rang true, sure rang true
Seems it never rains in southern California
Seems I’ve often heard that kind of talk before
It never rains in California, but girl don’t they warn ya
It pours, man it pours
Out of work, I’m out of my head
Out of self respect, I’m out of bread
I’m underloved, I’m underfed, I wanna go home
It never rains in California, but girl don’t they warn ya
It pours, man it pours
Seems it never rains in southern California
Seems I’ve often heard that kind of talk before
It never rains in California, but girl don’t they warn ya
It pours, man it pours
Will you tell the folks back home I nearly made it
Had offers but don’t know which one to take
Please don’t tell ‘em how you found me
Don’t tell ‘em how you found me
Gimme a break, give me a break
Seems it never rains in southern California
Seems I’ve often heard that kind of talk before
It never rains in California, but girl don’t they warn ya
It pours, man it pours
コメント
この曲の弾き語りをYoutubeにアップする際、参考資料をいろいろ探してこちらの記事にたどり着きました。
たいへん勉強になり、また共感する点も多く、興味深く読ませていただきました。素晴らしいブログですね!
勝手ながら、説明欄にこちらのリンクを貼らせていただきました。悪しからずご容赦ください。
ご健勝をお祈り申し上げます。