日本でもツイスト・ブームに火がつき藤木孝がスターに
もちろんツイスト・ブームはわが国にも’62年に上陸した。
1月開催の第16回“日劇ウエスタン・カーニバル”でこの年“ツイスト男”の異名をとった藤木孝が早くもチャビー・チェッカーの「The Twist」(日本盤シングル発売前!)を歌ったのを皮切りに、2月にキング・レコードと渡辺プロが共催して銀座美松でツイスト発表会を開催。
3月には映画『Twist Around The Clock』(邦題『狂熱のツイスト』)が公開され、ビクターが青山(東京)のナイトクラブ“青い城”でツイスト大会を開催している。
こうしたイヴェントがきっかけとなり、それまでほとんど日本で発売されていなかったアメリカのツイスト関連のレコードが続々と発売されてツイスト・ブームを盛り上げた。
本場アメリカに劣らず、“青い城”他東京の繁華街のナイトクラブは夜な夜なツイストを踊り狂う人であふれかえったという。
またこの年は、日本の歌手によるツイスト・カヴァーや和製ツイストのレコードも数多く生まれた。
「ツイスト男」藤木孝
日本でもツイストブームが起って黒ずくめの服で登場し、あっという間に日本のツイストキングとなったのが藤木孝。
ところが1年も経たず、強烈な印象を残したままマスコミから消えてしまった。役者になる積りとかいう話はどこかで聞いた。
この時期、日本でも藤木孝の『ツイストNo.1』をはじめ、前述のように『ペパーミント・ツイスト』『サンライト・ツイスト』などのカヴァーものが各社競演で出た。
これはチャビー・チェッカーの曲とは別物だが、同じ邦題がつけられた。
TWIST N0. 1 – TAKASHI FUJIKI (1962)
ママのツイスト 1962 / Little Mama Twist
ワン•モア•チャンス – 藤木孝
藤木孝 – キッシン・ツイスト
藤木孝/ルイジアナ・ママ
藤木孝/24000のキッス 24 Mila Bac
「怪演」俳優
追悼 藤木孝
強烈な印象を残してマスコミの世界から去った彼のことを心の中に大事にしていた人たちがいた。
藤木孝 – 来歴・人物
全編無音で古びたジャケット写真だけを写している
舞台プロモ用に撮影したと思われる珍しい映像
藤木孝‐粋な恋の盗人 当時の熱狂ぶりが伝わる
「ロッキー・ホラー・ショー」 藤木孝
俳優・藤木孝さんが死去
その他の日本のカバー
大ヒットした
弘田三枝子の「かっこいいツイスト」(原曲は’62年の映画『Five Miles To Midnight』の挿入曲「Twistin’ The Twist」)、
2月から6月にかけて立て続けにツイストのシングルを発売した藤木孝の「ツイストNo.1」(「Pepermint Twist-PartⅠ」のカヴァー)と「ツイスト・フラ・ベイビー」(原曲はElvis Presleyの’61年全米23位曲「Rock-A-Hula Baby」)、
そして映画『豚と金魚』(’62年)に自らも出演して披露した和製ツイスト・ナンバー「踊れツイスト」
踊れツイスト 藤木孝
スリー・ファンキーズの和製ナンバー「でさのよツイスト」他、
美空ひばりまでちょっとツイストとは言い難い「ひばりのツイスト」なんて曲を発表している。
とりわけ「Pepermint Twist-PartⅠ」は日本の歌手に人気だった様で、銀座美松のツイスト発表会で中尾ミエらとツイストを踊りまくった幻の“ツイスト娘”伊藤照子盤や小林旭が主演映画『夢がいっぱい暴れん坊』(’62年)で歌った主題歌も発売された(共に「ペパーミント・ツイスト」)。
日本におけるツイスト・ブームのハイライトはツイストの王者チャビー・チェッカー本人の来日!と言いたい所だが、残念ながら彼が来日したのはブームが去った翌’63年2月だった。
ブームに乗れとばかり、何にでもツイストとつければ売れるといった時代だった。
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