太陽を探せ(Keep Searchin’)|【街角男】デル・シャノン

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オールディーズで外せないデル・シャノン(Del Shannon)

あらまし

 オールデイズの定番「悲しき街角」は既に登場しているが、シンガーソングライターであるデル・シャノン(Del Shannon)の65年の作品。

 原題は「Keep Searchin’」邦題は「太陽を探せ」1965年の2月5日に発売された。

 邦題には「街角」のつく曲が多かった彼の作品だが、珍しくこの曲の邦題にはついていない。

 全米でトップ10に入るヒットとなったが、哀愁のある日本人好みのメロディは日本でも受け入れられ大ヒットとなった。

米国シングル盤ジャケット

日本発売盤ジャケット


 デル・シャノン(Del Shannon)はポップスに導いてくれた一人であるから筆者の中での評価は非常に高いのだが、ネットで彼に関する情報を探すと非常に貧弱な状況であることに気がついた。60年代半ばから精神的に不安定な時期があり90年には自殺という悲劇的な最期を迎えたことも影響してるのかもしれない。

デル・シャノン(Del Shannon)の動画

ライブ映像

NEW ENHANCED VERSION

TV番組TOPの映像

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TV映像

 詳細不明だがカラー映像から80年代ライブか

85年ミュージックフェアの映像(Del Shannon,Lesley Gore,Johnny Tillotson)

Mafia 3 Soundtrack

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シンガーソングライターとしてのデル・シャノン(Del Shannon)

 デル・シャノン(Del Shannon)の最初のヒットは、彼自身のデビュー作でもある「悲しき街角 Runaway」(1961)だが、同じ年に早くも「花咲く街角 Hats Off to Larry」「さらば街角 So Long, Baby」の2作がリリース。いずれもヒットを記録した。まさに破竹の勢いと言っていい。

 さらに、「鏡の中のジニー Ginny in the Mirror」(1962)、

 「街角のプレイ・ガール Little Town Flirt」(1962)、

 「フロム・ミー・トゥー・ユー From Me to You」(1963)、「太陽を探せ Keep Searchin’(We’ll Follow the Sun)」(1965)、

 「さすらいの街角 Stranger in Town」(1965)、

 とリリースは続いた。シャンソンありカンツォーネありの当時のヒット・パレードの中にあって、彼が最も日本人に愛されたアメリカのシンガーであったのは間違いないだろう。

 もちろん、これは日本だけのことではない。1961年2月リリースの「悲しき街角」はビルボードの全米チャートで年間5位に輝いたし、わずか2か月後にリリースの「花咲く街角」も同じく44位に入った。単月ではどちらも1位、4位に入ったという記録もある。

 続く諸作も、ビッグ・ヒットにはならなかったものの、安定した売れ行きだった。

 ちなみに、当時のチャート年間1位を見ると、1961=ボビー・ルイス、1962=レイ・チャールズ、1963=ジミー・ギルマー&ザ・ファイアボールズ、1964=ビートルズという顔ぶれ。

 これらの歌い手、グループに充分伍していて、しかもそれが数年続いたのだから、1曲のヒットで使い捨てになるようなシンガーではなかったことがわかる。

 デル・シャノン(Del Shannon)の歌は、ヒット・チャートに居並ぶ数々の曲の中にあって、ひときわ個性的でもあった。何よりも、ロック色が強かった。

 これは、そもそも彼はロック・バンドを率いて音楽の世界に入ってきたからで、最初のヒット曲「悲しき街角」もバンドでキーボードを担当するマーク・クルックが作ったメロディの断片をもとに作られた。

 ヒットした曲はそれぞれ新作ではあったが、バンド活動で積み上げてきた経験から作り上げた曲という印象が強い。

 もうひとつ、デル・シャノン(Del Shannon)は本質的にシンガー・ソングライターであって、自作の歌を歌い続けたという点も、リスナーからの安定した評価につながったのだろう。

 作詞作曲家が作り上げた楽曲をプロデューサーの意図のままに歌うという方式では、共通の基本トーンを感じさせる彼の一連の曲は生まれなかったはずである。

 ただし、ある時期から、それが彼自身の足かせになった。

 アメリカのポップス・シーンは、1964年、イギリス・リヴァプールから前年にデビューしたビートルズのアメリカ上陸によって劇的に変化した。

 ソロとして活動するシンガーにとってかわって、バンド・ミュージック優位の時代が来たのだ。

 65年はローリング・ストーンズが、66年はモンキーズが年間チャート1位の座をいとめたのがそのことを証明している。

 バンド・ミュージックを引きずるデル・シャノンには有利な環境ができたはずだが、実際にはそうはならなかった。

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衝撃的な急死

 65年の小ヒット「さすらいの街角 Stranger in Town」(上述)を最後に、彼の名はヒット・チャートから消える。

 原因は「酒」だといわれる。心に病めるものがあり、それが彼自身を深酒に追い込んだ。結果、曲が書けなくなった。スランプは17年続く。

 デル・シャノン(Del Shannon)のヒット・ソングの世界への復帰は遅く、やっと1982年になってからである。この年、彼は久々のアルバム『ドロップ・ダウン・アンド・ゲット・ミー』をリリース。

 ロック・グループ、ハートブレーカーズを率いるトム・ペティのプロデュースによるこの1作は、音楽的に大きな充実をみた。アルバムからシングル・カットされた「シー・オブ・ラブSea of Love」も人気を呼び、全米チャートの40位にランクインした。

 皮肉なことにこの曲は彼のオリジナルではなくフィル・フィリップスの1959年のヒット曲のカバーだったが、それでも彼の名がチャートに復活したのは間違いなかった。

 しかし、といって彼が心身ともに万全の状態に戻ったわけではなかった。

 1990年2月8日、カリフォルニア州サンタ・クラリタにある自宅でデル・シャノンは22口径のライフルの銃口を自分自身に向け、引き金を引いた。鬱の深まりの果てと言われるが、本当のところはわからない。彼は遺書も書き置きも残すことなく、逃亡(ラナウェイ)するようにこの世を去った。

カバーセレクション

Eleanor Bodel(1969 SWEDEN)

 Bobby Sherman and Donna Loren

Gary Lewis & The Playboys

The Charms – Εξω Απ’ Τον Κόσμο

Sam HUI

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日本のカバー

 日本で多くのカバーがあったはずだがネットにアップされているのは非常に少ない。

テンプターズ

 テンプターズも1969年の7月に発売されたアルバム『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』(1969年の4月20日に行われた東京厚生年金会館大ホールでのライブ録音)のA面4曲目で、ショーケンのかーっこいい哀愁ハープ付きでカバーしていた。

アルバムのジャケット写真

<歌詞>

No one will understand what I’ve gotta do,
I’ve gotta find a place to hide with my baby by my side,
She’s been hurt so much, they treat her mean and cruel,
They try to keep us far apart, there’s only one thing left we can do.

We gotta keep searchin’, searchin’, find a place to hide,
Searchin’, searchin’, she’ll be by my side,
If we gotta keep on the run we’ll follow the sun-ah, wee-ooh,
Follow the sun-ah, wee-ooh.

Doesn’t matter, doesn’t matter what people might say,
She’s mine and I’m gonna take her anyway.

Gotta keep searchin’, searchin’, find a place to stay,
Searchin’, searchin’, every night and day,
If we gotta keep on the run, we’ll follow the sun-ah, wee-ooh,
Follow the sun-ah, wee-ooh.

We gotta keep searchin’, searchin’, find a place to hide,
Searchin’, searchin’, she’ll be by my side,
If we gotta keep on the run we’ll follow the sun-ah, wee-ooh,
Follow the sun-ah, wee-ooh.

Follow the sun-ah, Follow the sun-ah, Follow the sun.

ソングライター: Del Shannon

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