【原曲は19世紀】砂に書いたラブレター|パット・ブーン

Artist(English)
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はじめに

 アメリカ西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーンの子孫であるパット・ブーン(Pat Boone)が1957年に放った全米1位の大ヒット。

 原題「Love Letters In The Sand」、邦題「砂に書いたラブレター」

 5週連続1位、300万枚のセールスであった。アレンジと指揮はビリー・ヴォーン楽団が担当している。

最初の日本発売シングル盤ジャケット

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19世紀の原曲からパット・ブーン(Pat Boone)までの流れ

 この曲は元をたどれば19世紀の「The Spanish Cavalier」というトラディッショナル音楽で1871年にウィリアム・D・ヘンドリクソン(William D. Hendrickson)がピアノアレンジをしている。

The Spanish Cavalier(スペインの騎士・紳士・伊達男の意) 19世紀

1931年のアレンジが原型となった

 この歌を1931年にアレンジしたものが「砂に書いたラブレター(Love Letters In The Sand)」である。

 作曲フレッド・コーツ(Fred Coots)、作詞ニック・ケニー(Nick Kenny)とチャールズ・ケニー(Charles Kenny)で、サム・ラニンのオーケストラ(Sam Lanin’s Orchestra)の演奏でヒットした。

 同年にはGene Austin、Lee Morseも歌っている。

Sam Lanin’s Orchestra 1931年

Gene Austin 1931年

 ジーン・オースティン(Gene Austin)は20世紀初めから中期のアメリカ人シンガー・ソングライターでナット・キングコールやフランク・シナトラとか、ジャズ・ボーカルで歌われている曲があり、リンゴ・スターもソロ・アルバムで彼の曲を歌っている。

Lee Morse  1931年

Sammy Kaye and His Orchestra

また1945年にはサミー・ケイ(Sammy Kaye)楽団がダンス曲として発表しヒットした。

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歌手パット・ブーン(Pat Boone)の誕生

 パット・ブーン(Pat Boone)は1934年6月1日フロリダ州ジャクソンビルに生まれた。

 彼は西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーンの子孫で熱心なキリスト教信者としても知られている。

 大学在学中から歌の上手さで人気者だったパットは、スポーツも万能の好青年だった。

 20歳の時に人気番組「アーサー・ゴッドフリーのタレント・スカウト・ショー」で優勝し、当時人気のエルヴィス・プレスリーとは対照的な、上品で優しく都会的な雰囲気を持った歌手として1955年ドット・レコードからデビューした。

 ファッツ・ドミノ1955年のヒット「Ain’t That a Shame」(文末参照)をカバー、全米1位を獲得。

 デビュー当時の彼は黒人系の曲をカバーしていた。リトル・リチャード「Long Tall Sally」(全米8位)、「Tutti Frutti」(全米12位)、アイボリー・ジョー・ハンター「I Almost Lost My Mind」(全米1位)、ザ・フラミンゴス「I’ll Be Home」(全米4位)などのヒットを放った。

 1961年までに全米1位に輝いたこの他の曲は次の5曲である。

Ain’t That a Shame、
I Almost Lost My Mind、
Don’t Forbid Me、
Love Letters In The Sand、
April Love、Moody River

 最後にトップテン入りしたレコードは1962年発表の「スピディー・ゴンザレス」(全米6位)

 そしてこの「砂に書いたラブレター(Love Letters In The Sand)」を、パットは自分が主演した映画「バーナ・ディーン」(1957年、日本未公開)の中で歌い、ミリオン・セラーを記録した

 1977年には彼の娘が「恋するデビー」で全米1位を記録し、フランク・シナトラに次ぐ親子二代の全米1位歌手となった。

 彼は後日「僕は教師になるつもりだった。レコーディングが終わった時でも、これは趣味だと思っていた。700万枚のレコードを売り、300万ドルの契約した時、歌手としてやっていけるかなと思い始めた。」と述懐している。

常にエルヴィスと比較される

 パット・ブーン(Pat Boone)はデビュー当時から、常にエルヴィスと比較されていた。

 エルヴィスが特に親の世代からの非難を一身に浴びていたのに対し、エルヴィスとは全く正反対の待遇で見守られていた優等生歌手パットはロックン・ロールを歌っても好感度で扱われ順調にヒットを生産していた。

 エルヴィスは貧しい生まれからスターへと自らの力で駆け上ったハングリー精神あふれるタイプであるのに対し、優等生タイプのパットは、保守的な白人の大人たちにも抵抗なく受け入れられた。

 特にこの曲がリリースされた1957年はブーンとプレスリー、ポール・アンカの3人がヒットチャートで激烈なトップ争いを展開したことが語り草になっている。

 4月13日から8週連続1位のエルヴィスの「恋にしびれて」。パットが「砂に書いたラブレター」で6月3日から5週連続で1位を奪うと、次にまたエルヴィスの「テディ・ベア」が1位を奪回。

 その後ポール・アンカの「ダイアナ」などが挟まり、10月には再びエルヴィスが「監獄ロック」で1位を7週間続けると、12月にはパットが「4月の恋」で2週連続1位に輝いた。

Love Lettersとは日本語のラブレターとは異なる

 この曲のタイトルと歌詞の中で使われているLove Lettersとは一般に日本で使われているラブレター(手紙)の意味とは異なっている。

 複数形であることからもわかるように砂の上に書いた文字列のことを指すと考えるのが妥当である。

 恋人同士が砂浜で”LOVE”と書いては波に消されるということの繰り返しを思い浮かべるのが、この曲の状況として最も相応しいと思われる。

Pat Boone(パット・ブーン)の動画

「砂に書いたラブレター」初期音源

Pat Booneの歌う映像

パット・ブーン初期のカバーヒット聞き比べ

[オリジナル]1955年Ain’t That A Shame-Fats Domino

パット・ブーンのカバー全米1位

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パット・ブーン(Pat Boone)以後続々発表されたカバー

Andy Williams(アンディ・ウィリアムス)

The Lettermen(レターメン)

Bobby Solo(ボビー・ソロ)

Paul Anka

 軽快なジャズ風アレンジが特徴的

Patsy Cline(パッツィー・クライン)

イージーリスニング

Billy Vaughn(ビリー・ボーン)

Ray Conniff

FRANK CHACKSFIELD

日本のカバー

 1957年(昭和32年)当時といえば日本も戦後12年でやっと落ち着いてきたころで、この曲を誰がカバーしていたかレコーディングはウェブでは見当たらなかった。

 しかしディック・ミネがジーン・オースティンから、旗照夫はパット・ブーンからのそれぞれカバーで歌っていたようである。

サーカス

鈴木ヤスシ

メタルバカ一代ー晩年にイメチェン

一体どうしたの?何があったの?と言いたくなるような優等生の晩年突然の変身。

<歌詞>

On a day like today
We pass the time away
Writing love letters in the sand

How you laughed when I cried
Each time I saw the tide
Take our love letters from the sand

You made a vow that you would ever be true
But somehow that vow meant nothing to you

Now my broken heart aches
With every wave that breaks
Over love letters in the sand

[Whistlin’]

Now my broken heart aches
With every wave that breaks
Over love letters in the sand

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