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私の孤独(Ma Solitude)~Georges Moustaki

Artist(English)
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ジョルジュ・ムスタキとは

フランスのシンガー・ソングライター「ジョルジュ・ムスタキ」といっても今の日本で殆どの人は知らないと思う。ましてやその彼の「私の孤独」という曲を知ってる人は読者の中に何人いるのか。僕の世代では彼の信奉者が結構いたのだが、それもかなり昔のことになってしまった。

彼はギリシャ系ユダヤ人の両親がエジプト亡命中の34年に生まれた。フランス系の学校に通っていたが民族問題のトラブルがあり、自らを地中海人と見做すようになる。

17歳の時には結婚していた姉を頼ってパリに出る。ギターの弾き語りや作曲を始め、モンパルナスの界隈を流し歩いて生活していた。

54年には結婚し娘が生まれるが破局し、バーテンダーやエジプト新聞通信員などの仕事に就く。

58年にはキャバレーやクラブで歌うようになり、そこで友人の紹介でエディット・ピアフとの運命的な出会いがあった。ピアフ41歳、若き青年ムスタキが23歳の時。当時のムスタキはかなりの美男だったという。ピアフは面食いだったらしい。

女帝ピアフに捧げた「ミロール」を作詞作曲し評判になり、さらにギタリストとしてピアフのアメリカ公演にも同行するようになる。またイブ・モンタンやダリダなどの曲も担当するようになった。

しかしやがて破局が訪れムスタキは自立。失意のムスタキはバルバラや他の友人の励ましにより立ち直って「サラ」などを書く。

69年シャンソン界に歌手としてデビュー、自分を歌った「異国の人」が大ヒットとなり、バルバラのオランピア公演にゲスト出演する。

歌手としては愛だけでなく、自由・革命など様々なテーマを歌った。「生きる時代」で5月革命を、「地中海にて」ではギリシャの民主化運動を、「フラメンコ」ではフランコの危篤による新しい時代の到来を歌った。

70年代には世界中をツアーし、国際的な成功を収めた。73年の東京国際音楽祭にゲストとして初来日し、LP「ライブ・イン・ジャパン」も発売し大塚博堂・さとう宗幸・小椋桂・加藤登紀子など多くのファンが出来た。

75年に再来日し日比谷公会堂ほかで公演。80年代には世界30カ国以上で活発に公演活動。



木下恵介アワー「バラ色の人生」

日本に彼の名前と音楽が広く知られる切っ掛けとなったのがTVドラマ「バラ色の人生」である。実は僕も同じようにこのドラマでテーマの「私の孤独」をはじめドラマの全編で流れる静かだが人を惹きつける彼の曲の数々に魅了された一人である。今回僕と同じようにこのドラマに魅了された人のブログを見つけた時は、僕にとって大発見の感動であった。

こうして当時日本でもヒットした「私の孤独」の原題は「Ma Solitude」で66年発表。

この曲の訳詩は岩谷時子版で歌われていることが多いが、今までの例で原詩とかなりかけ離れた世界が歌われていると思い、探したらやはり自分なりに忠実に訳した人のサイトがあった。

ジョルジュ・ムスタキ年譜

1934.5.3  エジプトのアレキサンドリア生まれでギリシャ人。生家は書店を経営。現地リセ、フランス人学校で教育を受ける。

1951 フランス人と結婚していた姉を頼って17歳でパリに渡る。義兄は詩人で書店を経営。パリでは下町のような左岸の生活の場としてギタ-の弾き語りや作曲の真似をはじめる。ジョルジュ ブラッサンスの知己を得て、モンパルナス界隈のカフェを流し歩いたり・・・

1954 20歳で結婚、まもなく娘のピアが生まれるが破局。バ-テンダ-やエジプト新聞通信員などの仕事につく。

1958 キャバレ-やクラブで歌うようになり、そこで友人の紹介でエディット ピアフとの運命的な出会い。往年のピアフ41歳、若き青年ムスタキが23歳の時。当時のムスタキはアポロさながらのギリシャ美男であった。ピアフは美男に弱かった。1958年、ムスタキは有名な女帝ピアフに捧げた「ミロ-ル」を作詞し評判になる。ギタリストとしてピアフのアメリカ公演にも同行、しかし二人の仲は長続きせず、自立。ピアフとの悲しい別れの後、失意の時を過ごしたムスタキが、バルバラや、他の友人たちの励ましによってやがて立ち直って、セルジュ・レジニアのために「サラ」など書く。




1969 シャンソン界に歌手として、デビュ-。秋にジョルジュ ブラサンスの前座として「異国の人」が大ヒット。バルバラのオランピア公演にゲスト出演。68年の五月革命や喧騒とした政治の季節が吹き荒れたパリの一角で一転して安らぎを求めていたパリジャンに、そのナイ-ブで淡々とした歌声は、傷んだ心に沁みたに違いない。

1970 パリ、ボリノ座初出演、リサイタル、アフリカ、カナダ等海外公演が始まる。シャンソン界に新しい風を送り込む。

1973 第2回東京音楽祭のゲストとして初来日。1970年代、半年に及ぶワ-ルド ツア-、ドイツ、日本、ベルギ-、オランダ、ニュ-ヨ-ク、カナダ、メキシコを回り、世界の舞台に立つ。フランス国内ツア-やパリ公演など旺盛なライブ活動。

1975 来日公演、日比谷公会堂ほか

1976 「私の孤独-自伝的エッセ-」の邦訳が出版される。

1980年代 パリを拠点に、国内、国外公演約30カ国以上と大活躍。

1998 自伝「思い出の中の女性たち」をパリで出版。

Georges Moustakiを聞く

Georges Moustaki – Ma solitude (1970)
Georges Moustaki – Ma solitude (1969)

ライブ

Georges Moustaki – Ma solitude (sous-titres en français)

歌詞・訳詞付

ジョルジュ・ムスタキ Georges Moustaki/私の孤独 Ma Solitude(1966年)

日本での知名度アップに大きく貢献したのはこのドラマ 「バラ色の人生」最終回より

ドラマ『バラ色の人生』主題歌
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