【ジェットストリーム】ミスター・ロンリー|ボビー・ヴィントン

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はじめに

 1964年に全米1位を獲得したBobby Vinton(ボビー・ヴィントン)の代表曲。

 62年に彼と彼の親友ジーン・アラン(Gene Allan)によって作られた。

 原題「Mr. Lonely」、邦題「ミスター・ロンリー」

日本発売盤ジャケット

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Bobby Vinton(ボビー・ヴィントン)のプロフィール

 Bobby Vinton(ボビー・ヴィントン)は1935年4月16日 生まれ、米国ペンシルベニア州キャノンズバーグ出身のポーランド系アメリカ人。

 父親は音楽に関心を持ってもらおうと練習する度に25セントを与えた。

 高校時代のバンドでは、クラリネット、オーボエ、サクソフォン、ピアノ、ドラム、トランペットの楽器を演奏。メンバーの要請で歌を始めた。

 彼のニックネームは“ポーランドの王子”。

 デュケイン大学では音楽を学んだ。その後2年間、米軍の軍楽隊に入りトランペットを演奏。

 1960年エピック・レーベルと契約。1960年にハイスクールのバンド仲間とLPをリリース、1962年には歌手として“涙の紅バラ”(本記事の最後で紹介)を発表し、同年夏にはチャート第1位を記録した。

この年、ドリーと結婚し、5人の子供に恵まれた。長男のロビーは、のち俳優となる。

 その後、”ブルー・ベルベット““ミスターロンリー””こんなに愛しているのに””涙のくちづけ”などコンスタントにヒット曲をリリースした。

 なおボビーヴィントン・ブルーベルベット劇場を彼は所有していたが、現在は売却されている。またブルー・ベルベットは1986年にデヴィッド・リンチ監督の映画『ブルーベルベット』が制作された。

 1990年には英国のテレビCMに起用され大ヒットを記録した。

 自作のジョンレノンを追悼した「ジョンに捧げる歌」(1981年)は、映画「アメリカン・バイオレンス」の主題歌としても注目された。

最盛期の実績

「涙の紅バラ (Roses are red)」         62年7月1位
「ブルー・オン・ブルー」             63年6月3位

「ブルー・ベルベット」              63年9月1位

「ブルー・ファイア There I’ve said it again」   64年1月1位

「ミスターロンリー」               64年12月1位を1週間

 1975-78年にTV放映されたヴァラエティショウBobby Vinton Showに出演していた。

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ミスター・ロンリー(Mr. Lonely)の誕生

 この曲はベトナム戦争に従軍する孤独な兵士の気持ちを表した曲。

 ケネディ大統領がベトナムからの撤収を決定後に暗殺されたため、さらに終戦が遠のいた。1964年に彼が歌い、大ヒットさせた。自分の意思とは無関係に戦場に送られた若い兵士の孤独な心を切々と歌っている。

 当時ボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)は所属していたエピック・レコードから高い評価を得ていなかったようで、鳴かず飛ばずの中1962年の「涙の紅バラ」を最後に解雇の方針だったという。ところがこれが全米1位の大ヒットという皮肉な結果になった。

 ミスター・ロンリーを書いたのはボビー・ヴィントンが軍隊にいた時。

 「涙の紅バラ」を録音したとき、他に自作曲は無いかと尋ねられ、この曲を披露して気に入られた。

 ところがこの曲はエピックの他のアーティストBuddy Grecoに歌わせることになり、ボビーの音源はシングルリリースされることはなく、お蔵入りに。

 そのBuddy Grecoのオリジナル・バージョンは全米64位の結果となり、そのまま忘れ去られる運命のはずだった。

 ところが大ヒット連発のボビーのベストアルバムが企画され、ボビー自身が「Mr.Lonely」を入れることを強く主張したという。

 このアルバムを聴いたファンにとっては初めて聴く曲であり評判となって、結局シングルリリースされた。その結果ボビーとしての4番目のNo.1ヒットとなった。

ボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)の特選動画

画像はアルバムジャケット

Bobby Vinton(ミスター・ロンリーと涙の紅バラのミックス)

02年ライブ

映画の中で度々使われた 「グローイング・アップ」「アメリカン・グラフィティ2」他

映画「グローイング・アップ」1978年で使われた

「グローイングアップ」”Lemon popsicle”では”Mr.lonely”が効果的に使用され、日本でもこの曲のよさが再認識された。

映画「アメリカン・グラフィティ2」1978年でも使われた

”More American Graffitti”(アメリカン・グラフィティ2)(1978)でも使われた。

イスラエル映画「Lemon popsicle」で使われた

忘れられたオリジナル

 ボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)が大ヒットを飛ばす前に同じレコード会社のアーティストに提供し、リリースされたものが全米64位の結果であった。ボビー自身の音源は既にあったようでどちらがオリジナルと呼べるかは微妙なところ。

 しかし現在は殆ど知られることも無く忘れられた存在となっているバージョンを紹介する。

Buddy Greco(バディ・グレコ)

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カバーセレクション レターメン・エイコン他

 意外とカバーは少ない。その中で歌詞を女性版に変更したものを発見

The Lettermen(レターメン)

1970年にレターメン(英語版)がカバーした。

Sandy Posey – Miss Lonely (1966)

Russian Red

Akon-Lonely

 2005年にはセネガル系アメリカ人のエイコン(Akon)がボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)のヴァージョンをサンプリングした「Lonely」をリリースし、全英チャートで1位を獲得した。

ジェットストリーム 城達也

 「JET STREAM(ジェット・ストリーム)」は、「TOKYO FM(エフエム東京)」をキー局にJFN38局で放送されているイージーリスニングの音楽番組である。

 長寿の番組で1970年4月26日に民間初のFM放送局として開局した東京FMで始まった。

 それ以前に1967年7月3日から、当時、東海大学の実験局だったFM東海から放送されたのが最初である。

 現在のパーソナリティは「大沢たかお」だが、やはり、初代パーソナリティの「城達也」の声と語りが忘れらない。

 そして、オープニング曲のボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)作曲の「ミスター・ロンリー」も、この番組のために作られた曲のように思えてならない。

 日本ではフランク・プールセルのバージョンがこの番組「JET STREAM」で長らく使用され有名となった。

 ジェット・ストリームは、1970年4月から、TOKYO FMで、月~金曜日の午前0時から放送していた。パーソナリティは「城達也」、スクリプトは「伊藤酒造雄」、「堀内茂男」、「原田宗典」が担当して放送された。

 パーシー・フェイス(Percy Faith)、ポール・モーリア(Paul Mauriat)、レイモン・ルフェーブル(Raymond Lefevre)、カラベリ(Caravelli)、フランク・プゥルセル(Franck Pourcel)、リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman)等のイージーリスニングを流して、曲と曲の間に、すごく洒落た「城達也」語りを挟む。澄んだ、やさしい、落ちついた声で次々とラジオから語りかけてきて本当に癒される時間だった。

 まだ、海外旅行に気軽に行くことができなかった時代に、世界各地の都市を物語風な洒落た言葉、センスで紹介された。本当いろいろな国々に憧れたものだった。

 空の旅を上手にアピールする「夜の静寂のなんと饒舌なことでしょうか」といったスクリプトも素晴らしいし、そのイメージを守り通すスタッフらのプロ意識が素晴らしい番組であった。

 これぞ飛行機による海外旅行のロマンといった、城達也が雰囲気のある語り口でパイロットを演じていた。パイロットのイメージを守るために、顔出しが必要な番組には出演しなかったというプロ意識は、食道がんのせいで声がイメージを壊すようになったと降板するほどのものだった。亡くなる約3か月前のことである。

 ジェット・ストリームのオープニングとエンディングのナレーションスクリプトと、1994年12月30日の「城達也」担当最後のナレーションスクリプトはこちらで確認できる。

 また、城達也のナレーションを集めた動画もある。最後に、「城達也」最終回のメッセージが入っている。

ジェット・ストリーム 城達也OP・EDコレクション(YouTube)

 年が明けた、この2ヶ月後に「城達也」は亡くなった。27年間で、放送回数は、7,387回だった。

JET STREAM 城達也 最終回

Franck Pourcel(フランク・プールセル)

映画「ミスター・ロンリー」2007年

 1963年に全米1位にランクインしたボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)の「ブルー・ベルベット」に触発されて、後にデイヴィッド・リンチが独特の世界観を持った同名の映画を製作したように、映画「ミスター・ロンリー」もボビー・ヴィントンの哀切に満ちた美しい歌声の世界がこの作品の土台となっている。

 マイケル・ジャクソンやマリリン・モンローのそっくりさんとしてこれまでの人生を生きてきた二人の男女がロンドンで出会う。そしてこの二人が向かったのが同じようにそっくりさんを生業としている人々が集団で生きている英国北部の古い古城。

 マイケル・ジャクソンのそっくりさん役を演じたラテン系俳優ディエゴ・ルナそしてマリリン・モンローのそっくりさん役を演じたサマンサ・モートンが「ミスター・ロンリー」の精神世界をすばらしく印象的に演じていた。

Roses Are Red (My Love)(涙の紅バラ)1962年

<歌詞>

Lonely, I’m Mr. Lonely
I have nobody for my own
I am so lonely, I’m Mr. Lonely
Wish I had someone to call on the phone

Now I’m a soldier, a lonely soldier
Away from home through no wish of my own
That’s why I’m lonely, I’m Mr. Lonely
I wish that I could go back home

Letters, never a letter
I get no letters in the mail
I’ve been forgotten, yes, forgotten
Oh how I wonder, how is it I failed

Now I’m a soldier, a lonely soldier
Away from home through no wish of my own
That’s why I’m lonely, I’m Mr. Lonely
I wish that I could go back home

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