【印象的なギターイントロ】マイ・ガール|テンプテーションズ

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はじめに

 1964年12月21日に録音され、

 翌65年1月16日に76位にチャートインし、

 3月6日に全米1位となったThe Temptations(テンプテーションズ)の出世作。

シングル盤ジャケット



 テンプテーションズと同じモータウンに所属していたミラクルズのメンバー、スモーキー・ロビンソン(Smokey Robinson)ロナルド・ホワイト(Ronald White)が書き下ろし、さらにプロデュースも行った。

 シングルでリリースした後1965年発表のアルバム『テンプテーションズ・シング・スモーキー』にも収録され、テンプテーションズのみならずモータウンを代表する曲となった。またアメリカでは結婚式の定番ソングとなっている。

アルバム『テンプテーションズ・シング・スモーキー』のジャケット

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The Temptations(テンプテーションズ)の誕生

 The Temptations(テンプテーションズ)はアメリカのソウル・コーラス・グループでモータウンを代表するグループの一つ。

 1989年にロックの殿堂入りを果たした。

 1960年デトロイトでプライムズとディスタンツという2組のグループのメンバーで結成されたエルジンズが出発点。

 1961年The Temptations(テンプテーションズ)に改名しモータウンからレコードデビューした時のメンバーは

 バリトンのオーティス・ウィリアムス(Otis Williams)
 バスのメルヴィン・フランクリン(Melvin Franklin)
 ファルセットのエディ・ケンドリックス(Eddie Kendricks)
 テナーのポール・ウィリアムス(Paul Williams)
 バリトン・テナーのエルブリッジ・ブライアント(Elbridge Bryant)

 の5人であったが、「Dream Come True」(1962年)のスマッシュヒットを除き、しばらくはヒットに恵まれなかった。

 そのためリード・ボーカルを変更したり、モータウンとしても様々な試行錯誤を行い、局面打開を計ったがうまくいかなかった。

 1964年エルブリッジの後任としてデヴィッド・ラフィン(David Ruffin)が加入してグループの黄金時代となる。

 デヴィッドがリード・ヴォーカルを担当した「マイ・ガール」に続いてその後もヒット曲を量産した。

 5人は全員リード・ボーカルが務まる実力の持ち主で「5人のリード・シンガー」とも言われた。

黄金時代のメンバー

 左からファルセットのエディ・ケンドリックス(Eddie Kendricks)
    バリトン・テナーの問題児デヴィッド・ラフィン(David Ruffin)
    バスのメルヴィン・フランクリン(Melvin Franklin)
    バリトンのオーティス・ウィリアムス(Otis Williams)
    セカンド・テナーのポール・ウィリアムス(Paul Williams)

 1966年には「マイ・ガール」と全く対照的なダンス曲「ゲット・レディ」で再びR&Bチャートで1位を獲得。

 リードをケンドリックスに変えたこともこの曲が成功した一因であった。またこの曲名は後述するTVドラマのタイトルにも使われることになる。

 1965年から89年の間にテンプテーションズが放ったR&Bトップ10ヒットは43曲、うち14曲が1位に輝いている。

 70年代から現在までディスコ・ブームやその後のラップ・ブームに至るまで、それらに飲み込まれることなく、ソウル・コーラス・グループのナンバー1として人気と実力を維持し続けている。

 プラターズがトニー・ウィリアムスの脱退により急速に人気が衰えたことを考えると、テンプテーションズの場合代表曲の「マイ・ガール」がデヴィッドの歌唱に負うところが大きいものの、彼の脱退後も全米1位を2曲も獲得したことは対照的といえる。

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メンバーの変遷

 デヴィッド・ラフィンは才能があるもののアル中で自己中心的言動があるためトラブルも多く1968年に脱退し、デニス・エドワーズ(Dennis Edwards)が加入した。

 1969年に意欲的なアルバム「クラウド・ナイン(Cloud Nine)」を発表、1971年には「ジャスト・マイ・イマジネイション(Just My Imagination(Runnning Away With Me))」が全米1位を獲得する。

 エディとポールが脱退し、デーモン・ハリス(Damon Harris)リチャード・ストリート(Richard Street)を加えた新体制で1972年に「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン(Papa Was a Rollin’ Stone)」で全米1位を獲得する。

 その後もメンバーチェンジを繰り返し、1995年には結成メンバーはオーティス一人となってしまうがテンプテーションズの名前は引き継がれ現在も活動している。

 70年代はデニス・エドワーズをリードに迎え、メッセージ性豊かなサイケデリック・ソウルを展開した。80年代以降はアリ・オリ・ウッドソンが加入、大胆にブラック・コンテンポラリーを導入して若返りを図っている。

「マイ・ガール」誕生の背景

 1964年ヒットに恵まれないテンプテーションズを売り出すためのコンテストがモータウン社内で行われた。

 このコンテストで優勝したのがモータウンの副社長でもあったスモーキー・ロビンソンであった。

 スモーキー・ロビンソンとロナルド・ホワイトは、ミラクルズがニューヨークのアポロ・シアターで公演を行っていた頃に自分のグループが歌う予定で「マイ・ガール」を作り、その後テンプテーションズからの熱烈な請願があってデトロイトでレコーディングされた。

 歌詞はロビンソンの妻クローデットにインスパイアされた内容になっている。

 「マイ・ガール」をテンプテーションズが歌うことになった経緯は後日のスモーキーのインタビュー動画で、メロディをピアノで弾き語りしていたところにテンプスのメンバーが来て「カムヒヤー!マイ・ガール!アイ・ワナ・ラヴ・ユー~!」と大声でデヴィッドが叫んできたという逸話を語っている。

 印象的なイントロのギターのリフは、当時モータウンの専属バンドであったファンク・ブラザーズのロバート・ホワイトが作った。

 それまでは主にエディ・ケンドリックスとポール・ウィリアムスが担当していたリード・ボーカルをこの曲ではデヴィッド・ラフィンが担当し、以後ラフィンは多くの曲でリードを取るようになった。なお2006年のインタビューで作者の一人ロビンソンは元々ラフィンの声を念頭に置いて作ったと語っている。

 またこの曲は実は1964年Mary Wellsが歌った全米1位の「My Guy」のアンサー・ソングであったことはあまり知られていない。

「マイ・ガール」の魅力

 音楽の専門的な分析と解説について詳しいのがこのサイト。

・ギニー・オン・ザ・ウォール [No.440]「マイ・ガール」/テンプテーションズ(’64)

日本発売盤のジャケット

 ヒット当時は動画はもちろん画像にも接することなく音声だけで楽しんでいた。

 インターネットでこのように当時の映像を簡単に見ることが出来るようになって彼らのダンスを初めて見た。

 実にシンプルだが効果的に踊りが使われている。

 トレードマークとなった歌いながらの彼らのステップは「テンプテーションズ・ウォーク」と呼ばれた。

The Temptations(テンプテーションズ)

The Temptations – My Girl

 1998年テンプテーションズのTV伝記ドラマ「ゲット・レディ!栄光のテンプテーションズ物語」がNBCで放映され大反響を呼び、エミー賞をはじめ数々の賞を受賞している。そのビデオの一部がこれ。

Temptations – My Girl & Get Ready – (Rare Stereo Studio & TV Remaster – 1965-66) – Bubblerock – HD

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