スポンサーリンク

ペパーミント・ツイスト(Peppermint Twist)~Joey Dee & Starliters

Artist(English)
スポンサーリンク

はじめに

スポンサーリンク

1961年にリリースし、翌62年にビルボード1位を獲得したジョイ・ディー&スターライターズの曲。年間チャートでも25位にランクインしている。

日本でもツイストブームが起ってこの曲を邦題「ツイストNo.1」として黒ずくめの服で登場し、あっという間に日本のツイストキングとなったのが藤木孝。

ところが1年も経たず、強烈な印象を残したままマスコミから消えてしまった。役者になる積りとかいう話はどこかで聞いた。

だからジョイ・デイの名前も映像も今回初めて知った。画像ではジャンプしている(アップ&ダウンと歌いながら)が日本の踊りではジャンプするのは無かったように記憶している。

Joey Dee & Starliters(ジョイ・ディー&スターライターズ)

1958年米国ニュージャージー州で結成されたロックバンド、The Starlitersが母体となった。

「Joey Dee」とリード・シンガーの「Rogers Freeman」が中心となって結成したバンドだが、結成当初からセッションバンドの形態に近く、多くのメンバー変遷を経て1965年まで活動した。

Joey Deeは1940年6月ニュージャージー州パサイック生まれ。バンドメンバー時代からソロ録音があり、その後に新メンバーによる「Starliters」再結成の活動がある。

メンバーの「Felix Cavaliere(フェリックス・キャヴァリエ)」、「Eddie Brigati(エディ・ブリガティ)」は共に「Rascals(ラスカルズ)」などでも活躍した。



結成直後の1960年には活動の拠点をニューヨークの「ペパーミント・ラウンジ」に移してダンス・バンドとして活躍。

当初は週末だけ一回きりの出演の条件で呼ばれるが、そこから人気に火が付き、結局一年以上ハウス・バンドとして活躍した。

同60年”Little””Scepter”レーベルに録音。翌61年には”Roulette”レーベルと契約してリリースされた「ペパーミント・ツイスト」が大ヒットを記録した。

その後も映画「Hey,Let’s Twist」や、「Two Tickets to Paris」に出演し、1964年にはヨーロッパ・ツアーに行き、ストックホルム公演ではザ・ビートルズが彼らの前座を務めた。

メンバーは流動的ながら前述の2名の他、ジーン・コーニッシュも在籍しており、1965年のツアー・メンバーには下積み時代のジミ・ヘンドリクスが参加していた。

 

Joey Dee & Starliters(ジョイ・ディー&スターライターズ)

Joey Dee & The Starliters – Peppermint Twist.

映画の中で歌ってるようだが詳細不明

Joey Dee & The Starliters ~ Peppermint Twist

スポンサーリンク



当時のニュース映画で始まる

Peppermint Twist – Joey Dee & The Starliters

熟年になったJoey Dee

Joey Dee – Peppermint Twist

Dance, Dance, Dance

1963年のこの曲には無名時代のザ・ロネッツがコーラスで参加している。

Joey Dee – Dance Dance Dance

スポンサーリンク



日本のツイスト・キング、藤木孝

ペパーミント・ツイスト(邦題ツイスト NO.1)

藤木孝 ツイスト No.1 1962 / Twist No.1(Peppermint Twist)

キッスン・ツイスト

藤木孝 キッスィン・ツイスト 1962 / Kissin' Twist

ママのツイスト 1962 / Little Mama Twist

藤木孝 ママのツイスト 1962 / Little Mama Twist
スポンサーリンク

コメント