はじめに
60年代前半に活躍した米国シンガーソングライターであるジョニー・ティロットソン(Johnny Tillotson)の代表曲。
彼にとって5枚目のシングルで60年10月に全米2位(翌年全英1位)を獲得している。ポール・カウフマン&マイク・アンソニー作。
原題は「Poetry In Motion」、日本発売は少し遅れて64年で邦題は「ポエトリー」
ジョニー・ティロットソンは60年代前半にこの曲を含む3曲のトップ10ヒット、14曲のトップ40ヒットを飛ばしている。
しかし後述のように日本語で日本独自のヒット曲をいくつも飛ばし、米国以上に日本での活躍が目立った。
米国発売盤ジャケット
ジョニー・ティロットソン(Johnny Tillotson)のデビュー
ジョニー・ティロットソンは1939年にフロリダ州ジャクソンヴィルに生まれる。
そして高校生となった1957年には自作の曲を地元のコンテストで歌うようになり、フロリダ大学に入学した頃にはテレビにも出演するようになった。
大学在学中の58年にエヴァリー・ブラザーズが在籍していたケイデンス・レコードと契約し、彼の自作曲のシングル「Dreamy Eyes(夢見る瞳)」でデビューするが、全米63位とそれほどのヒットにはならなかった。
その後も59年から60年にかけて54位、42位、57位と全米トップ100にはチャート・インするものの大ヒットとはならなかった。
●初の大ヒットから絶頂期へ
そうこうするうち、60年にリリースしたこの曲が全米2位の大ヒットとなり一躍スターの仲間入りを果たす。
翌1961年には「Jimmy’s Girl」(全米25位)、
自作曲「Without You」(全米7位)と続き、
1962年にデビュー・シングルの「Dreany Eyes(夢見る瞳)」が再発売され全米35位を獲得、
自作曲で後にエルヴィス・プレスリーなどにもカバーされる「It Keeps Right On A-Hurtin’(涙ながらに)」(全米3位)などがヒットする。
1963年には自作曲「Out Of My Mind(涙でいっぱい)」(全米24位)、
「You Can Never Stop Me Loving You(恋に弱い子)」(全米18位)
などのシングルをヒットさせた後、ケイデンス・レコードからMGMレコードへと移籍する。
●レコード会社移籍
そして1963年の移籍後リリースしたMGM第1弾シングル「Talk Back Trembling Lips」(全米7位)は幸先良く全米トップテン入りの大ヒットとなったものの、その後1965年までにリリースしたシングルは全米トップ100入りはするものの以前のような大ヒットにはならず、1966年以降は全米チャートに入ることも無くなった。
64年ころからはアメリカでもビートルズ旋風が起こりそれまでの明るく甘いジョニー・ティロットソンのようなアメリカン・ポップスは好まれなくなったことが関係してると思われる。
この曲のシングル発売前にひっそりとEP盤のカップリングで入ってた
この曲の日本でのシングル盤発売は64年まで待つのだが、あまり知られていない事実として62年に4曲入りEP盤の中に入っていたのだ。
メインの曲は上述のように当時アメリカで3位の大ヒットとなっていた「涙ながらに(It Keeps Right On A-Hurtin’)」
●日本での大ブレイク
一方で日本におけるブレイクはアメリカとかなり時間差があった。
またその曲目の順序も様相が異なっている。
1963年に日本での最初のヒットとなった自作曲「キューティー・パイ(Cutie Pie)」はアメリカでは上述の「Without You」のB面曲であった。
伊東ゆかりのカバーがヒットしたこともあって、デビュー曲のヒットで人気に火が付いて日本でも人気者になった。
続いてのヒット自作曲「プリンセス・プリンセス(Princess Princess)」はアメリカでは「Poetry In Motion」のやはりB面曲であった。
そしてアメリカに遅れること4年経った1964年にやっと「Poetry In Motion」が邦題「ポエトリー」としてシングルでリリースされ、これが大ヒットとなった。
遅れた理由としては63年まで所属したケイデンス・レコードが日本での販売権が無かったためとされている。
上記「キューティー・パイ(Cutie Pie)」と「プリンセス・プリンセス(Princess Princess)」が日本で予想外のヒットとなったため、日本ではシングル未発売であったこの曲を慌ててリリースしたと思うのは勘ぐりだろうか。
日本発売盤ジャケット
ジョニー・ティロットソンの動画
Johnny Tillotson(ジョニー・ティロットソン)
冒頭に録音時の会話が残っている珍しいバージョン
熟年になってからのライブで歌ってる
●タイトルの意味
タイトルの「Poetry In Motion」というのは彼女のしぐさを「まるで一遍の詩の様だ」と歌っている。
また前年1959年のThe Searchersの大ヒット「恋の特効薬(Love Potion Number Nine)」を歌詞の中で引き合いに出して「Love Potion Number Nineではなくても、彼女をもっと好きになれる」と歌っている。それほど優美なしぐさということになる。
●本国以上の日本での人気
彼の日本での人気は高く1965年には浜口庫之助作詞作曲の「涙くんさよなら」(英語題Goodbye Mr. Tears)を日本語で歌って大ヒットした。
1966年この曲をもとにジュディ・オング、山内賢出演の日活映画が作られ、来日を果たしている。
さらに1966年夏、やはり浜口庫之助作の「バラが咲いた」を日本語でカバーしこれもヒットさせている。
こうしてアメリカでの実績と重ねてみると丁度アメリカでヒットが出なくなった時期に日本での活動が活発化していることがわかる。
●日本でのカバー
ザ・ピーナッツ
●その他
それほどヒットしなかったが63年のこの曲も好きだった。
Blue Velvet
All Alone Am I
<歌詞>
When I see my baby
What do I see
Poetry
Poetry in motion
Poetry in motion
Walkin’ by my side
Her lovely locomotion
Keeps my eyes open wide
Poetry in motion
See her gentle sway
A wave out on the ocean
Could never move that way
I love every movement
And there’s nothing I would change
She doesn’t need improvement
She’s much too nice to rearrange
Poetry in motion
Dancing close to me
A flower of devotion
A swaying gracefully
Whoa
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa
Whoa
Poetry in motion
See her gentle sway
A wave out on the ocean
Could never move that way
I love every movement
There’s nothing I would change
She doesn’t need improvement
She’s much too nice to rearrange
Poetry in motion
All that I adore
No number-nine love potion
Could make me love her more
Whoa
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa
コメント