はじめに
越路吹雪の大ヒットだったからフランス産のシャンソンだと思っている人が自分を含めて多いはず。
実際ダリダがフランス語に翻案したものをヒットさせた。日本では越路のマネージャー岩谷時子が訳詩をした。
しかしながらこの曲はれっきとしたアメリカン・ポップスで、白人ブルース歌手出身のDoc Pomus(ドク・ポーマス)とピアニストのMort Shuman(モルト・シューマン)が一緒に作った。
60年にドリフターズ(The Drifters)が歌ってこれが全米1位の大ヒットとなった。
原題「Save The Last Dance For Me」、邦題「ラストダンスは私に」
なおJohn Lennonによると、「Hey Jude」はこの曲にインスパイアされて作ったという。しかし何度聞いてもつながりを感じられない。
この曲を語る場合、リード・ボーカルのベン・E・キングを抜きにして語れない。彼はグループを脱退してソロでもスタンド・バイ・ミーなどの大ヒットで知られている。そのバイオグラフィー詳細がここにある。
ドリフターズ(The Drifters)
ドリフターズ(The Drifters)はニューヨーク出身のR&Bボーカルグループ。
元々は1953年にClyde McPhatterを中心に結成され、「Money Honey」や
「Honey Love」等をヒットさせるが、メンバーは入れ替わり、人気は低下。
ロックエラにヒットを飛ばしたDriftersは、58年に既にオリジナルメンバーは誰もいないDriftersとアポロシアターで共演したFive Clownsというグループのこと。
マネージャーのGeorge Treadwellがメンバーを全員クビにし、Five ClownsをDriftersにしてしまったのである。その時のリードテナーがBen E. King。
足が不自由だったDoc Pomus(ドク・ポーマス)の切ない思い
作詞のドク・ポーマス(Doc Pomus)は、小児麻痺の影響で下半身に障害を負い、この詞を書いた時には脚に金具を付け両手で松葉杖をついて歩くという状態だった。
更に後には車いす無しには生活できなくなった。
彼の妻Willi Burkeは、ブロードウェイの女優兼ダンサーで、踊ることが大好き。
Docの足では妻とダンスをすることができないし、かと言って、他の男と踊るなとも言えない。
立っているときは両手が松葉杖でふさがれているので、片手を女性の手に添え、もう片方の手は相手の肩か腰に当てて、ダンスを踊るということができなかった。
彼は自身の結婚式に車椅子で出席した。ブロードウェイで舞台女優の花嫁と来賓たちとが手を取り合い踊る姿を見て、この歌詞が浮かんだという。
こんなDocのやりきれない悲しい思いと、愛する妻への温かい思いやりが、この曲のメッセージである、「女性に手を取ってもらい肩に手を当ててもらいながら、自分は松葉杖をついてでも動くから、ラストダンスだけは私のために残して置いてくれ、そして一緒に踊ろう」に込められている。
こんな切ない願いが込められているのに、これっぽちも「影」が感じられない、明るく、弾むようなメロディには、Docがどれほどラストダンスを楽しみにしていたのかをうかがい知ることが出来る。
Doc Pomus(ドク・ポーマス)
Doc Pomus(ドク・ポーマス)(1925-1991)
アメリカの元々はブルース歌手であった。その後はロックンロールの作詞で知られる。
1925年にブルックリンにてユダヤ移民の息子として生まれた。子供時代のポリオのため松葉づえ生活を余儀なくされる。
10代でブルース歌手となり、ハンデのおかげで黒人聴衆の共感を得て、ニューヨークのクラブで鍛え、ミルト・ジャクソンやキング・カーティスと共演した。1940~50年代に40曲の録音を残している。
1950年代にブロードウェイの女優と結婚、家族を養うために歌詞のほか雑誌記事を書く。ハネムーン中に自身の作品”Young Blood”のザ・コースターズによるバージョンをジュークボックスで聴き、しばらくして1500ドルの印税小切手が来た。それで作詞も悪くないな、と思ったという。
1956年にはレイ・チャールズに曲を提供し、1957年には専業ライターになっていた。
自身のいとこと付き合っていたピアノ弾きのモルト・シューマンと、コンビを組むようになった。
シューマンを選んだのは、自分がロックンロールを知らなかったためだという。シューマンとの共作に「恋のティーンエイジャー (A Teenager in Love)」、「さよならはダンスの後に (Save The Last Dance For Me)」、
「Turn Me Loose」、「スウィーツ・フォー・マイ・スウィート」、 エルヴィス・プレスリーの「ラスベガス万才」、「リトル・シスター」、「サレンダー」、「マリーは恋人」などがある。
1960年代にはフィル・スペクター、リーバー=ストーラーとも共作。ほかにも共作者がいた。
1991年65歳で肺がんのため死去。1992年ロックの殿堂、ソングライターの殿堂、2012年ブルースの殿堂入り。
このDoc Pomasが死の直前の90年代に入ってから、不遇のどん底にいたJimmy Scottをもう一度表舞台に送り出そうと、親身になって骨を折った。しかし、その労が実らないうちに肺がんでこの世を去ってしまった。
「俺が死んだら、ガーシュインの”Someone To Watch Over Me”を唄ってくれ」とJimmyに言い残した。
教会のパイプオルガンの伴奏で、Jimmy Scottは一世一代の”Someone To Watch Over Me”をDocに唄った。
Warner Brothersのレコード会社、Sire Recordの社長、Seymour Steinがその場に居合わせ、感銘を受けた。そして、Jimmy Scottは60代半ばの歳でカムバックを果たすことが出来た。
岩谷の訳詞は翻案というべき
この曲は日本でも多くの歌手がカバーしたが、中でも越路吹雪が岩谷時子訳詞の歌詞で1961年にリリースしたものが最大のヒットとなり、今でも日本では越路の歌というイメージが定着している。
岩谷版日本語詞では、遠くで、別の女性と踊っている男性に、「私の事を忘れないでね」「いつか二人きりで旅に出ましょうね」と投げかけている歌詞なのだが、原詩はこんな呑気で薄っぺらな「色恋沙汰」を歌ってはいない。
因みに最初の邦題では「ラストダンスは私と」であったものが、越路&岩谷版が日本で大ヒットとなったことにより、「ラストダンスは私に」となって定着することとなった。
前者の方が原詩の「切なさ」があり、原詩のイメージに忠実である。
岩谷の訳詞は他にも多数のヒットを量産しているが、いずれも原詩に忠実というより、日本で受け入れやすいシチュエーションを勝手に作り上げるケースが殆どで、翻訳というより翻案というべきである。
オリジナル大ヒットを飛ばしたザ・ドリフターズはメンバーが入れ替わっているが当時のリード・ボーカルは後にソロになってスタンド・バイ・ミーの大ヒットを飛ばすベン・E・キングだった。
オリジナル
The Drifters(ドリフターズ)
ライブ映像
カバーセレクション
フランス語バージョン
1976年にAndré Michel Salvet と F. Llenasによってフランス語に翻案され、ダリダが歌った。
タイトルはGarde-moi la dernière danseとされた。
曲を作ったモール・シューマン自身が、フランス語で歌っているほか、ペトゥラ・クラークPetula Clarkもフランス語で歌っている。
日本人でこの曲をシャンソンだと思っている人が多い原因の一つが、ダリダのフランス語バージョンのフランスでのヒットがある。
仏題「Garde-moi la dernière danse」
DALIDA
Danielle Darrieux(ダニエル・ダリュー)
Petula Clark – Garde la Dernière Danse Pour Moi
Carole Laure – Danse avant de tomber(1988年)
フランスのトランペット奏者?
Mort Shuman
作曲者自身のセルフカバー、フランス語の歌詞で歌っている。
英語バージョン
Paul Anka(ポール・アンカ)
Michael Buble(マイケル・ブーブレ)オフィシャル・ミュージック・ビデオ
Maya Casabianca(マヤ・カサビアンカ)
彼女はダリダの良きライバルと言われたらしい。
Ben E. King
これはソロになってからのカバー
Emmylou Harris
ウェスタン風のアレンジで心に沁みる歌い方が心地良い
Ramona Wulf
ドイツのディスコ・グループSilver Conventionで活躍した女性ボーカリスト。元はドイツのアイドル歌手で、この曲は1976年彼女のアイドル歌手時代の大ヒット曲。
Buck Owens(バック・オーエンス)
Cliff Richard(クリフ・リチャード)
Bruce Willis
レナード・コーエン
80歳のレナード・コーエン(Leonard Cohen)カナダのシンガー・ソングライターとして活躍した彼は2016年11月死去。2013年ダブリンで歌う彼に会場の大合唱が味わい深い。
日本での定番となった越路吹雪バージョン
日本では多数の歌手がカバー盤をリリースしたが、越路吹雪のシングルは50万枚を売り上げるヒットとなり、『愛の讃歌』『サン・トワ・マミー』などとともに越路の代表曲の一つとなっている。
NHK紅白歌合戦では1961年の『第12回NHK紅白歌合戦』、および1963年の『第14回NHK紅白歌合戦』と越路によって2回歌唱されている。
越路吹雪(Hubuki Koshiji)
美空ひばり
岸洋子 ラスト・ダンスは私と リサイタル74
中森明菜
福山雅治
今井美樹
萩原健一
カッコいいショーケン
ここでちょっと寄り道でオマケ
大阪で生まれた女 - 萩原健一
オリジナルのBOROもいいが、ショーケンのこれも味がある
クミコ
アップテンポなロック調のアレンジが新鮮
ザ・キングトーンズ - ラストダンスはヘイジュード
冒頭で述べた「Hey Jude」とのつながりがこの曲を聴いて初めて分かった。大瀧詠一プロデュースで2つの楽曲をシンクロさせている。
<歌詞>
You can dance
Every dance with the guy
Who gave you the eye
Let him hold you tight
You can smile
Every smile for the man
Who held your hand
‘Neath the pale moonlight
But don’t forget who’s taking you home
And in whose arms you’re gonna be
So darlin’
Save the last dance for me, mmm
Oh I know
That the music is fine
Like sparkling wine
Go and have your fun
Laugh and sing
But while we’re apart
Don’t give your heart
To anyone
But don’t forget who’s taking you home
And in whose arms you’re gonna be
So darlin’
Save the last dance for me, mmm
Baby don’t you know I love you so?
Can’t you feel it when we touch?
I will never, never let you go
I love you oh so much
You can dance
Go and carry on
Till the night is gone
And it’s time to go
If he asks
If you’re all alone
Can he take you home
You must tell him no
‘Cause don’t forget who’s taking you home
And in whose arms you’re gonna be
So darlin’
Save the last dance for me
‘Cause don’t forget who’s taking you home
And in whose arms you’re gonna be
So darlin’
Save the last dance for me, mmm
Save the last dance for me, mmm
Save the last dance for me
コメント
[…] 「ラストダンスは私に」の由来、へー!全然知らんかったー!泣きそうなええ話や。ShinBowさんの「ラストダンス」は、そんな哀しみを含んで、そのまま出してみたり、奥に隠して笑ってみたり、唯一無二。この話を聴いてからのこの歌は、今までロマンチックとしか思っていなかった歌なのに、こびりつくような、哀しくも愛おしい演奏として、心に残った。 […]