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(2/2ページ)ドック・オブ・ザ・ベイ(Sitting On The Dock Of The Bay)~Otis Redding

Artist(English)
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オーティスの特徴的な曲作り

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1962年のレコード・デビュー以降、彼は着実にヒットを飛ばしてゆく。

「Pain in my Heart」(1963年)、「That’s How Strong My Love Is」(1964年)、「Mr. Pitiful」(1964年)、「I’ve Been Loving You Too Long」(1965年)

どちらかといえば、当初はバラードを中心にしていたが、彼のライブでの見せ場は何と言ってもアップテンポなダンス・ナンバーである。その代表曲ともいえるのが1965年発表の「Shake」。

Shake

Otis Redding – Shake

オーティスはオリジナル曲も多くあったが、カバー曲を自分のものにして、オリジナルとは別のものにしてしまう才能がズバ抜けていた。
その曲作りの中心はやはりオーティス自身であったが、白人ギタリストのスティーブ・クロッパーとその他のスタックスのミュージシャンたち(ブッカー・T&MG’sなど)とのセッションこそがその原点だったといえる。



オーティスは走り続けた。週に7日のライブを要求。白人からどんなに差別を受けても、言われてもけっしてケンカをしない。そんなことをしたら、相手の思う壺。

「黒人がやればソウルで、白人がやればロック?
そんなことはどうでもいいね。
とにかくおれは、人の前で歌うのが好きさ」

オーティスは酒もドラッグもやらない。ひたすら音楽だけ、次から次へ音楽をつくって歌っていた。

「シャウト(叫び)は魂の解放。魂で感じとってくれ」

レコードデビューから4年、オーティスは壁にぶつかっていた。デビュー時に結婚した妻との間に子供にも恵まれた。金も稼ぎ、牧場つきの豪邸に住んだ。

バラードの名作「愛しすぎて」や「この強き愛」、ダイナミックな声を聴かせる「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」、「シェイク」「サティスファクション」、のちにはローリング・ストーンズにカバーされる「この強き愛」や「ペイン・イン・マイ・ハート」…

出す音楽はヒットはするが、爆発的なセールスには結びつかない。

いつしかオーティスは、「黒人には支持されるが、白人には支持されない」というレッテルをはられ、どの歌もトップ10入りまではいかない。

とにかくオーティスは、No.1になりたかった。

愛しすぎて

Otis Redding – I've Been Loving You Too Long

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ローリングストーン誌のインタビュー(1968年)

 モータウンは重ね録りが多い。機械を使った録音だ。スタックスのやり方は、こうなんだ。どんなことでもいいから、感じたことを演奏する。ホーンもリズムも歌も、全部一緒に録音する。3回か4回やった後、聞きなおしてみて一番できのいいのを選ぶ。誰か気に入らないところがあったら、また全員でスタジオに戻って曲の最初から最後まで演奏しなおす。
去年まで4トラックのテープ・レコーダーさえなかったんだ。1トラックの機械では重ね録りできないだろう。

例えば、彼の代表曲「シェイク Shake」(1965年)におけるMG’sとマーキー・ホーンズの演奏の場合。

まるで機関車のように勢いよく突き進むパワフルな演奏は、彼のヴォーカルとバックの演奏が完全に一体化している。これはオーティスのヴォーカルにピッタリと寄り添うことのできるミュージシャンでなければ不可能な仕事である。

この曲も元々サム・クックがオリジナルだが、まったく別の曲といえるほどのスピード感をもつ曲に生まれかわっている。

ジェームズ・ブラウンは、かつてホーン・セクションをリズム楽器として使うことでファンク・ミュージックに革命を起こした。

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それに対しオーティスはホーン・セクションに自分と同じようにリズム楽器とメロディー楽器、両方の仕事をさせている。

「シェイク」以上に大きく変えてしまった曲としては、ローリングストーンズの代表曲「サティスファクション」(1966年)のカバーがある。

この曲もまた原曲をよりスピードアップさせているが、それだけではなく、歌の中で「サティスファクション」と発音するところをわざと「サティスファッション」と変えている。

こうした歌詞の変更は彼の得意技で、後の「Try A Liittle Tenderness」も、彼はライブで歌詞を変えて歌っていた。

実は、彼は「サティスファクション」の原曲を聞かずに楽譜だけで自分用の編曲をしたという。

発売時期もほとんど差がなかったことから、オーティスのカバーがオリジナルだと勘違いした人も当時多かったという。(その意味では、オーティスが「サティスファクション」を選んだ選択眼も大したものだ)

オーティスにカバーされることは、作曲者にとっては幸いなことだったのであろうが、カバーされる歌い手にとっては嫌なことだったかもしれない。




Try A Liittle Tenderness

Otis Redding – Try A Little Tenderness

スタジオでの録音の際、彼はすべての楽器について指示を出し、それを口で真似しながら録音を行ったという。

その時の口癖「ファ・ファ・ファ・ファ・・・・」は、スタジオ・ミュージシャンたちにとっても忘れられないもので、ギタリストのスティーブ・クロッパーはそのフレーズを元にオーティスの代表曲「FA-FA-FA-FA-FA(Sad Song)」(1966年)を作ったといっている。

 不思議なことに、オーティスがホーン・ラインの着想をどうやって得ていたかは誰も知らない。その影響がどういうものだったかも、他の連中のホーン・アレンジについてオーティスが話しているのを誰も聞いた記憶がないのだ。 ロブ・ボウマン(ジャーナリスト・音楽学者)

FA-FA-FA-FA-FA(Sad Song)

FA-FA-FA-FA-FA (Sad Song) by Otis Redding LIVE 1967
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名曲誕生

彼の代表曲であり多くの人が最高傑作と呼ぶ「Try A Liittle Tenderness」(1966年)をオーティスのオリジナル曲と思っている人は多いはずだが、実はこれもまたカバー曲。それも30年代に作られた古い曲で、最初に歌ったのはビング・クロスビーだったとのこと。

元々この曲はオーティスのマネージャー、フィル・ウォルデンが、エド・サリバン・ショーに出る時に歌える曲を作っておこうと言い出したことから選ばれ、録音されることになったという。

オープニングからの美しいホーンのアレンジは、スタックスを後に支えることになるアイザック・ヘイズによるもの。

スネアの縁を叩く印象深いドラム演奏は、アル・ジャクソンのアイデア。余計な飾りつけを取り除き、それぞれの楽器が究極のパフォーマンスを展開するという点でこの曲はオーティスの代表曲であると同時にスタックス・レーベルの黄金時代を象徴する曲だった。

「『Try A Liittle Tenderness』はわたしのフェバリットだよ。レコード制作という点から見て、彼が作ってきたすべてのもの、そうすべてのもの、何から何までのやり方で、あの曲はベストだった。ジャクソンがテンポを変える時はまるでメトロノームのようだろう。あのドラムパートにはしびれっ放しさ。どのドラマーだって、正確にあんなことできやしない。スタックスのすべてのレコードの中でもわたしのフェバリットの1曲だ。最初から終わりまで、スタックスの歴史がそこにこめられているといっていいね」 ジム・スチュアート(スタックス社長)



人間の心情を語ったオーティス

ジョニー・ジェンキンズのバンドで鳴かず飛ばずの存在だったオーティスの人生は、「These Arms of Mine」1曲で激変することになった。

These Arms of Mine

Otis Redding These Arms Of Mine

オーティス・レディングは、60年代の黒人音楽の中心部へと進み出た。

当時のブラック・ミュージックは、デトロイトに大ヒット・レーベル、モータウンがあり、シカゴにはジ・インプレッションズ(カーティス・メイフィイールド)らがいて、60年代の後半からはアリサ・フランクリンがニューヨークのアトランティック・レコードと契約し、名実共に「ソウルの女王」へ上り詰める、そんな時代だった。

ウィルソン・ピケット、ジェイムズ・ブラウン、ソロモン・バーク、ジョー・テックス、サム&デイブ……数多くのスタイリスト、ヒット・メイカーが活躍する中で、オーティスが在籍したスタックス・レコードは、アラバマのフェイム・スタジオとならび、南部の味わいとダイナミクスを提供するソウルの「台風の目」となっていく。

ちなみにアトランティック・レコードがピケットやアリサたちを、わざわざ南部へ連れて行き、歴史的な録音を行なったことは、あまりにも有名である。

オーティス・レディングは、この南部メンフィスのスタックスで、「台風」を起こす中心人物となったのである。

雄々しくドラマティックなラブ・バラード「この強き愛」(64年)、苦渋に満ちた愛の告白「愛しすぎて」(65年)ほか、しみじみと胸に染み入るこれらのスロウ・ナンバーは、現在の音楽から見れば、ほとんど小細工がないに等しい。

歌がいい。歌に気持ちが充分に乗っている。バンドはそれを十全に盛り上げる。たったそれだけのことだ。しかし、初期のビートルズら当時のロックにも当てはまることだが、だからこそシンガーの隠しようもない熱意が伝わるのである。

オーティス・レディングは、ほとんどのアメリカ黒人にとっての古里である南部で、誠実に、人間の心情を語った巨木として大いに敬意を払われたシンガーとなった。

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