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スタンド・バイ・ミー(Stand By Me)~Ben E. King

A--E
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はじめに

スタンダードナンバーのスタンド・バイ・ミーだが、僕にとっては61年ベン・E・キングの曲がオリジナルと思っていた。

その後86年の同名映画で再びヒットチャート入りしたことにより、より多くの人に知られることとなった。

この曲の原点をたどればアメリカの牧師チャールズ・ティンドレイが20世紀の初め頃に作曲したスピリチュアルソングまで行き着くらしい。

この世界的大ヒットの原曲・元ネタとして言及されることが多いようだ。

メロディこそ違うが、ズバリ一致するタイトルと歌詞のストーリーの大まかな枠組みや方向性は共通する。もっと詳しくはここにある。

「stand by me」の意味

「stand by me」は「私のそばに立ってくれ」や「私のそばにいてくれ」という意味になる。このフレーズは、写真を撮ってもらう時などに使う。

「stand by me」には抽象的な意味もあるが、この抽象的な使い方はほとんど日常生活で使われていない。

「stand by me」の抽象的な意味は「私のことを支えて」、「私のことを支持して」になる。この使い方はよく曲に出てくる。



86年の映画でテーマ曲となって再び大ヒット

映画から抜粋

Stand By Me Theme Song • Ben E. King

名作映画『スタンド・バイ・ミー』の誕生秘話とキャストたちのその後

BEN.E.KING / ベン・E.キング

プロフィール

本名ベンジャミン・アール・ネルソンとして、ノースカロライナ州のヘンダーソンで生まれた後、ベンの一家は、彼が9歳の時にニューヨーク市に引っ越した。

中学生の時、彼は、誰にも負けない自らの才能を見つけることとなる。歌の上手い仲間たちとコーラス・グループを結成したのだ。早熟なベンでも、放課後に歌う即興のドゥーワップから、自分のとてつもなく大きな野望が叶い、それから何十年にもわたって、何百万人という世界中の音楽ファンを魅了し続けるというダイナミックな音楽的成功への道が開けるなどとは考えが及ばなかったであろう。

だが、ベニーの若い仲間たちのグループは、The Four B’sとして知られるようになり、地元では最も音楽的才能があるグループの一つとの評判を得るようになった。そして、彼らの努力と成功はお墨付きを得ることとなる。

ある夜、世界的に有名なアポロ・シアターでライバル・グループたちと競演して、第2位入賞を果たしたのだった。

1958年にベンは、有名なアーティストたちのショーの前座をしていた地元のザ・ファイブ・クラウンズのメンバーとして大成功を収めた。同年には、世界一の人気を誇っていたR&Bグループ、ドリフターズのアポロ・シアターでのコンサートの前座を務める機会を得た。

ドリフターズでは、人気だったリード・シンガーがグループを去ってしまったことで、マネージャーのジョージ・トリードウェルは、グループに対して途方もない空虚感と疲労感を感じていたところだった。

そこで彼が思いついたのは、ドリフターズを才気あふれるザ・ファイブ・クラウンズとそっくり取り替えてしまうことだった。

この大胆な移籍作戦のおかげで、ベンは当時最高のR&Bグループのリード・シンガーとなり、自らの楽曲を発表する道が開けたのである。

1959年にレコーディングが行われた最初のシングルは、ベンがジェリー・リーバーとマイク・ストーラーと組んで作ったバラード「There Goes My Baby」で、アトランティック・レコードから発売されると、大ブームを引き起こすヒット曲となった。

ドリフターズはこの曲で、メジャーな音楽のレコーディングにおいて弦楽器(ヴァイオリン)を取り入れた最初のポップグループとして注目を浴びた。

その後ベンは、ドリフターズのヒット曲「ダンス・ウィズ・ミー」 や「ディス・マジック・モーメント」、 「ラスト・ダンスは私に」そして、「アイ・カウント・ザ・ティアーズ」などで、リード・シンガーを務めた。

ところが、ドリフターズの一員として、ありえないような成功の真っただ中にあった1960年に、ベンは、ずっと思い描いていた夢を実現させて、さらに高い所をめざす決意をした。

つまり、ソロ・アーティストとして自らの曲を歌って行くことを選んだのである。それには、ドリフターズ在籍時と区別できるよう、ソロ・アーティストとしての名も必要となった。そこで彼は、本名を短くし、ミドル・ネームをイニシャルにしたところに、さらに名字を変えて、ベン・E.キングという新しい名で人々に知られるようになった。

1961年にリリースしたソロ最初の曲は、ソウルの女王までもがカヴァーした、華麗なラテン・タッチの「スパニッシュ・ハーレム」で、彼は、ベン・E.キングとして世界中から絶大な人気を得ることとなった。

心に染み入るヴォーカルが印象的な2枚目のシングル「スタンド・バイ・ミー」で、彼はさらなる偉業を成し遂げた。

R&Bチャート1位、全米ヒットチャートのトップ5位入りを果たしたこの曲は、ベン・E.キングとリーバー、ストーラーとの共作で、今も非常に多くのミュージシャンによって歌われ、カヴァーされ続けている。

また、ハリウッドの映画監督ロブ・ライナーは、この曲からインスピレーションを受けて、1986年公開の長編映画のタイトルを『スタンド・バイ・ミー』とし、同名のこの曲を主題歌に選んだ。

これを機に、「スタンド・バイ・ミー」はシングルとして再発され、全米チャートトップ10まで上昇し、イギリスでは1位を獲得した。

1962年もベン・E.キングは次々とヒット曲をとばした。「ドント・プレイ・ザット・ソング」は、再び商業的な成功をおさめ、「アイ・フー・ハヴ・ナッシング」やラテン調の「アモール」もそれに続いた。

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1度ボツになってた、スタンドバイミー

ベン・E.キングが「スタンド・バイ・ミー」を作ったのは1960年。当時、彼は、R&Bのボーカル・グループ「ザ・ドリフターズ」のリードシンガーだったが、待遇をめぐってマネジャーと衝突。グループを脱退しようとした彼だが、心残りが一つあった。それが、新婚の妻ベティさんのために作った「スタンド・バイ・ミー」を世に出したいという思いであった。

しかし、その場しのぎで曲を聴いたマネジャーは、冷たく言い放った。

「この曲はいらないな」

そこで彼は、ベン・E・キングの名でソロシンガーになる。デビュー2曲目で、日の目を見なかった「スタンド・バイ・ミー」を発表。「一度はどぶに捨てられたダイヤ」とベンが語る名曲は、は1961年、R&Bチャートで4週間ナンバー1に輝いた。

さらに「スタンド・バイ・ミー」は、25年後、映画のテーマ曲として、再び光が当たることになる。

映画監督ロブ・ライナーが、スティーブン・キングの小説「ザ・ボディ(死体)」を映画化するにあたり、「このままじゃホラー映画を想像しちゃう」という理由でタイトルに曲名を採用。さらに、映画のテーマ曲にもなった。

試写会当日、ベンは「自分の歌が映画で使われる」とだけ聞いて、妻ベティさんと席についた。ラストシーンには、ベンの歌がそっくりそのまま流れた。

当時のことをベンは、こう語っている。

 「どんな使われ方をするのか知らなかったからもうびっくりさ。隣の妻と目を合わせて言ったんだ。『俺のせいじゃないよ』ってね。映画のおかげで、この曲が、恋や結婚、裏切り、絶望といった人生のどんな状況でも、人びとに力を与えてくれることが伝わったんだ」

曲、映画、どちらも日本人にも愛された「スタンド・バイ・ミー」。ロケ地の住民によると、観光に訪れるのは圧倒的に日本人が多いそうだ。

Ben E. KingのソロとThe Driftersの2つのバージョンがある

Ben E. Kingはこのグループからソロとして独立して、スタンド・バイ・ミーをヒットさせたがグループのバージョンもあるということはこちらが古い?

The Driftersのバージョン

The Drifters

The Drifters – Stand By Me

歌詞付き

The Drifters Stand by me (lyrics)
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Ben E. Kingソロのバージョン

Ben E. King

耳慣れたオリジナルと思っていた当時の映像

Stand By Me, Ben E King, 1961

Ben E. King(映画「スタンドバイミー」画像入り)

Ben E. King – Stand By Me (HQ Video Remastered In 1080p)

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