歌詞

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【誤訳に近い邦題】この世の果てまで|スキータ・デイヴィス

元々カントリー歌手であったスキータ・デイヴィスがクロスオーバーとして成功し時代を超えたポップスの名曲として音楽史に残したのがこの曲。スタンダードとして歌い継がれている証として数え切れないほどのカバーの存在がある。ブレンダ・リー、カーペンターズ等々。歌詞付
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【33年のミュージカルが原曲】煙が目にしみる|プラターズ

オリジナルは33年のミュージカル「ロバータ(Roberta)」に使われたのが最初。元々は行進曲風の曲であったようだが、ゆったりとしたテンポのバラードに変えたものが使われるようになった。この曲を世界的に有名にさせたのは58年にプラターズがリバイバルヒットさせたお陰である。
A--E

【ソロデビュー曲】二人だけのデート|ダスティ・スプリングフィールド

63年11月発売のダスティのデビュー曲でいきなり全英4位のみならず全米5位の大ヒット。結果アメリカでミリオンセラー、ゴールド・ディスク。英国で自身のテレビ番組まで持つようになり、その番組の特番としてダスティはモータウン特集を企画し、この贅沢な特別番組にはキラ星のごとくモータウンのスターが勢揃いした。
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【日本のカンツォーネブームに火をつけた】月影のナポリ|ミーナ

オリジナルの歌詞にはどこにも「ナポリ」なんて出てこないのに「月影のナポリ」。原詩では白い月の光を浴びて肌を白く焼くという何とも珍妙な歌を岩谷時子の訳詩はお得意の翻訳というより翻案だが日本でも大ヒット。森山加代子はこの曲でデビューし、いきなりの50万枚ヒット。
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【日本だけのヒット】マンチェスターとリヴァプール|ピンキーとフェラス

「恋は水色」で有名なアンドレ・ポップが作り、まずフランスの女優マリー・ラフォレにより66年に歌われてヒットした。その後68年にピンキーとフェラスによって別の歌詞で歌われ、日本で31万枚を売り上げチャート1位を5週間続けた。歌詞と和訳。マリー・ラフォレ版仏語歌詞と和訳。
A--E

モアは世界残酷物語の主題曲|アンディの美しい歌声を聞く

映画が完成した後にタイトルがつけられたため、オリジナルサントラには『MORE』という表記は無い。イギリス公開時に音楽面からテコ入れという目的で曲名が後付けされた。独立した曲として最初に録音したダニー・ウィリアムス盤が大ヒット。その後続々とカバー盤が続いた。
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マイ・ウェイを動画で|原曲及びカバー名曲3選

クロード・フランソワが67年に作詞して歌った「マイ・ウェイ」の原曲。原詩はなんともサエない感じの尻に敷かれた寂しい夫の物語で恋人だったアイドル歌手フランス・ギャルとの破局から生まれた曲。デヴィッド・ボウイ、プレスリー、シド・ヴィシャスの異色カバー。
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恋の終列車(Last Train To Clarksville)~The Monkees

アメリカがザ・ビートルズに対抗する目的でオーディションで集め結成させたグループ「モンキーズ」。募集から1年後の66年9月に始まったTV番組が『モンキーズ・ショー』。それに先立つ8月16日に発売されたこのデビューシングルが11月5日には全米1位。このTV番組は翌67年から日本でも放映。
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愛はどこへ行ったの(Where Did Our Love Go)~ザ・スプリームス(The Supremes)

61年モータウンと契約したが下積み生活が続いた。64年に吹き込んだ「愛はどこへ行ったの」が1964年8月1日付で5位にランクされ、その3週間後に初めて全米1位を獲得。この大ヒットをきっかけに5曲連続全米1位の前代未聞の大進撃が始まった。
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砂に書いたラブレター(Love Letters In The Sand)~Pat Boone

元をたどれば19世紀のトラディッショナル音楽が原曲で1871年にピアノアレンジされた。これを1931年に更にアレンジしたものが「砂に書いたラブレター」としてヒット。プレスリーと並ぶ人気だったパット・ブーンが57年主演映画の中で歌いミリオンセラーとなった。
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