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哀しみのソレアード|ダニエル・センタクルツ・アンサンブル

14世紀後半にイタリアで作られたものが原曲となり、72年にイタリアのグループ「ダニエル・センタクルツ」により作曲された。これが74年にヨーロッパで器楽曲として大ヒット。この曲の持つ魅力的なメロディーは歌手たちを魅了し、英語やフランス語の歌詞が付けられた。
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【ベトナム出兵海軍の恋人】ネイビー・ブルー|ダイアン・リネイ

Dリネイは45年生まれ子供の頃から女優を目指しレッスンに明け暮れる。自分でデモテープを作り、売り込みをしていた。62年17歳の時2枚出したシングルはいずれも不発。63年の本作品が世界的大ヒット。日本では伊東ゆかり、伊藤アイコ、九重佑三子とパラキンがカバーし、ヒットパレードを賑わせた。
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わかっているよ|【アルジェリア生まれユダヤ人】エンリコ・マシアス

最初に発売されたLP日本盤の邦訳では「話さなくても」となっていたが日本公演の直後に日本語で吹き込み、これが67年12月から翌春にかけて大ヒット。日本で大ヒットしたことからそれ以降フランス語盤の邦題も「わかっているよ」に変更された。
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【全米トップ10最後の曲】ヴァケイション|コニー・フランシス

歌詞の中には「砂に書いたラブレター」の歌詞の一部や当時流行していたダンス「マッシュポテト」がちりばめられて、若者に受け入れられやすくなっている。日本では弘田三枝子、青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子等多くのカバーが作られたが弘田三枝子盤が20万枚と大ヒット、青山ミチ盤が3万枚であった。
A--E

【子供用の棒付キャンデー】ロリポップ・リップス|コニー・フランシス

全米トップ100に53曲も送り込んだコニーだが、この曲は米国でシングル発売もなく日本だけで独自のヒット。B面にカップリングされたのが皮肉にも出世作「Who's Sorry Now」だった。日本語カバーの」定番は九重佑三子&パラダイスキングのバージョン。
Artist(English)

【送別の料理】ジャンバラヤ|【C&W界の巨人】ハンク・ウィリアムス

47~52年までわずか6年間の活動で数々の名作を発表したハンク・ウィリアムス。ハンク自身の作詞・作曲で、52年に自分のグループをバックに発表。同年ハンクの作品とコロムビアレコードのジョー・スタッフォードの作品でヒット。ハンク死後の58年にミリオンセラーを記録。
A--E(T)

【全米1位再デビュー曲】ダイアナ(Diana)|ポール・アンカ

57年ABCパラマウントの製作部長だったドン・コスタのオーディションを受け即座にレコーディング契約。ベビーシッターだった3歳年上の女性への片思いを綴った自作自演の「ダイアナ」を発売すると、いきなり全米第1位のミリオン・セラーを記録し、弱冠16才で世界的スターとなる。
Artist(English)

【冒頭のスキャットが秀逸】可愛いあの娘|ニール・セダカ

62年にハワード・グリーンフィールドとニール・セダカの名コンビによる最後のヒット曲。全米5位にまでランクされた明るく楽しい楽曲なのだが、日本ではヒットしなかった。日本では印象的なスキャットがそのまま使われたザ・ダーツの「ケメ子の歌」がヒット。
A--E(T)

【世界的な名曲】アドロ(Adoro)|アルマンド・マンサネーロ

メキシコのピアニストでシンガー・ソングライターでもあるAマンサネーロの作品で、彼の自作自演盤が1967年末にヒット。フランスではロス・トレス・コンパドレスが唄って浸透し始め、Fプウルセル楽団の演奏で一気に世界的ヒットになっていた。題名のアドロは「熱愛する」という意味。
Artist(English)

【原曲Mローラン作シャンソン】シバの女王|レーモンルフェーブル

ミッシェル・ローランが67年シャンソンとして作詞作曲。これをレイモン・ルフェーヴルがストリングス風にアレンジして一層際立つ名曲に仕立て上げた。日本では69年にシングル・カットされた『シバの女王』がロングヒットとなったことから知名度が一気に上昇。
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