はじめに
71年に発売され全米2位の大ヒットとなったジョン・デンバー(John Denver)の代表曲。
歌詞に繰り返しウェストバージニア州が登場することから、ウェストバージニア州の代名詞的な楽曲となっている。
ただしブルーリッジ山脈は全くウェストバージニア州を通っておらず、シェナンドー川もわずかにかかるだけで、その殆どは隣のバージニア州を流れている。
原題は「Take Me Home,Country Roads」、当初の邦題は「故郷に帰りたい」 作詞・作曲は、ジョン・デンバー、ビル・ダノフ(Bill Danoff)、タフィー・ナイバート(Taffy Nivert)による共作。
2014年に公式にウェストバージニア州の4番目の州歌となった。 オリビアのカバーが73年に出て日本では76年になって大ヒットしたため、オリビアバージョンで知った人が多いようだが、何といってもジョン・デンバーが最高。
なおオリビアバージョンがヒットしたのはTBSの朝の番組でテーマ曲として使われたため。この時に邦題も「カントリー・ロード」とされた。
邦題が「故郷に帰りたい」の時の日本発売盤
曲の誕生秘話
契約期限の崖っぷちだった
1970年、ジョン・デンバーはシンガーソングライターとして崖っぷちに立っていた。前年にRCAから念願のソロデビューを果たしたものの、鳴かず飛ばずのまま契約期限を迎えようとしていた。
無名の学生二人との共作だった
「カントリー・ロード」といえば、ジョン・デンバーの大ヒット曲として一般的に知られているが、彼が一人で作詞作曲したのではなく、作詞にビル・ダノフ、作曲にはタフィー・ナイバートがそれぞれ共作者としてクレジットされている。
当時ビルとタフィーはワシントンDCにあるジョージタウン大学の学生で「ファット・シティ・バンド」というバンドを組んで小さなライブハウスで歌っていた。
数枚のレコードも発表していたけれど、ジョンと同じくヒットには恵まれていなかった。 彼らの将来性を見込んだプロモーターのサム・ラハメドゥーが、ある日「男女2人組のアコースティックヂュオとなってジョン・デンバーのライブの前座をしないか?」と声をかけた。
それがきっかけでジョンとビルとタフィーは一緒に仕事をするようになった。3人で各地をまわる生活を送っていたある日、ビルのもとに1通の手紙が届く。それはウェスト・バージニア山脈に住むビルの友人からのものだった。この時ビルは手紙を読みながら曲想が浮かんだという。
ビルとタフィーはそれまでと同じように二人で協力しながら曲を完成させようとしたが、一ヶ月経っても納得のいくものが出来なかった。
ワシントンDCにあるセラードアーというライブハウスでのクリスマス・ライブが終わって、ジョンは妻のアニーやマネージャーのクリス・オコーナーらと車でビルとタフィーの家に向かった。 二人はその曲をジョンに歌って聞かせ、まだ未完成であることも伝えた。
その2番の歌詞は、60年代に流行していたヒッピーのファッションや生活ぶりを描いたものだった。ジョンは「歌詞がラジオ向きではない」と指摘し、主人公の心情に迫るサビを付け加えることを提案した。 ジョンの書き換えによって歌詞の世界観は多くの共感を呼ぶものへと一変した。
ライブのアンコールでサプライズ初演
こうして一晩のうちに出来上がった新曲「カントリー・ロード」を、ジョンは翌日のライブのアンコールで披露した。もちろん原案者であるビルとタフィーをステージに呼び込んでのサプライズ・セッションだった。
すると初めて観客の前で歌う曲だというのに、客席からは大歓声が沸き起こったという。
1970年12月に完成した「カントリー・ロード」は、翌年の3月8日にジョン・デンバーの新曲として発売され、3月下旬にはチャート50位圏内にランクインし、7月にはトップテンに入り、8月にはミリオンセラーになるという快挙を果たす。
この大ヒットのお陰でジョン・デンバーはRCAとの契約を更新し、新たなる飛躍のチャンスを掴んだ。
ジョン・デンバー(John Denver)
略歴
他の二人とこの曲を共作したジョン・デンバーはニューメキシコ州出身で父親が空軍士官で教官であったためアメリカ南西部を転々として育った。
21歳の時テキサス工科大学建築科を中退しロスアンジェルスに移ってフォークソングクラブで歌い始めた。
フォークグループで活動していたが26歳の時ソロ歌手となりRCAから初のアルバムを出す。
ヒットにはならかったもののこのアルバムには、後にPPMによってNo1ヒットとなる「Leaving On A Jet Plane」が含まれていた。
そして翌年に出したアルバムの中で記録的大ヒットとなったこの曲が歌われることとなった。
97年10月自分の操縦する飛行機の墜落事故により死亡。
オリジナル
John Denver(ジョン・デンバー) スタジオ録音盤
81年日本ライブ
カバー・セレクション
Olivia Newton-John(オリビア・ニュートン・ジョン)
1973年のアルバム『Let Me Be There』収録。イギリスでは1973年1月13日付の全英シングルチャートで最高位の15位にランクインした。
1976年には日本でもシングルカットされ、オリコン洋楽チャートで1976年11月29日付から15週連続1位を獲得、45万枚を売り上げる大ヒットになった。
TBSテレビ『おはよう700』主題歌。 映画『耳をすませば』のオープニング曲。
Ray Charles(レイ・チャールズ)日本ライブ盤アルバムより
Brenda Lee
Loretta Lynn(1971年)
Skeeter Davis(1972年)
Pavel Bobek(チェコ語)「Veď mě dál cesto má」
日本のカバー
キャンディーズ
ピンクレディー(7曲目24:15くらいから)
沢尻エリカ(サントリーCMで鼻歌で歌ってる)
デデマウスと本名陽子
1995年に発表されたスタジオジブリのアニメ映画「耳をすませば」のテーマ曲「カントリー・ロード」を聴いて「懐かしい」と思われた方も多いはず。劇中では日本語詞で本名陽子によって歌われ、スマッシュ・ヒットした。この時、日本語詞をつけたのは、宮崎駿と鈴木麻美。
<歌詞>
単純そうでかなり奥深いこの歌詞にとりんでいるこのサイトにより理解が深まる。
Almost heaven, West Virginia
Blue ridge mountains, Shenandoah river
Life is old there, older than the trees
Younger than the mountains, blowing like a breeze
Country roads, take me home
To the place I belong
West Virginia
Mountain mamma, take me home
Country roads
All my memories, gather round her
Modest lady, stranger to blue water
Dark and dusty, painted on the sky
Misty taste of moonshine, teardrop in my eye
Country roads, take me home
To the place I belong
West Virginia
Mountain mamma, take me home
Country roads
I hear her voice in the morning hour she calls me
Radio reminds me of my home far away
Driving down the road I get a feeling
That I should have been home yesterday, yesterday
Country roads, take me home
To the place I belong
West Virginia
Mountain mamma, take me home
Country roads
Country roads, take me home
To the place I belong
West Virginia
Mountain mamma, take me home
Country roads
Take me home, down country roads
Take me home, down country roads
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