はじめに
ビージーズ(Bee Gees)はイギリス領マン島生まれのイギリス人3兄弟を中心に構成された男性ボーカルグループ。
63年にオーストラリアからレコードデビュー、73年からは米国を中心に活動。
イギリスやオーストラリア等で、ビージーズにとって初めてとなるNo.1ヒットであり、世界で500万枚を超える空前のヒットとなった。
どこかノスタルジックなこのメロディーは、ロック史に残る名曲の一つに数えられている。
原題は「(The Lights All Went Out In) Massachusetts」、邦題は「マサチューセッツ」で67年に全米11位全英1位のヒットとなった。
日本発売シングル盤 ジャケット
日本盤のB面は全米16位の「ホリデイ」とのカップリングになっている。
この曲の歌詞は13行という異常な短さである。
そしてその内容についてマサチューセッツに残した恋人に対して故郷が懐かしい、マサチューセッツに帰りたいと歌う単純なラブソングではないと深読みをする人たちもいる。
「 マサチューセッツ(Massachussetts )」 はヒッピーに憧れて田舎から来た若者が、クスリ等で乱れていた都会に失望し、田舎に帰って、昔の彼女と 「 普通の生活を送りたい 」 と言う、そんな心情を歌っている。
日本では当時はグループサウンド全盛で、チャートもそう言った曲が多い中の第1位獲得であった。
日本人以外の歌手が第1位を獲得したのは 「マサチューセッツ(Massachussetts ) 」 が最初だった。
各国で第1位を獲得した 「マサチューセッツ(Massachussetts ) 」 だが、何故かアメリカでは11位にとどまっている。
ビージーズ(Bee Gees)
グループの結成
イギリス中央部の沖合いにある、オートバイレースで有名なマン島 ( Mann ) 生まれ。英国系オーストラリア人の3人兄弟で構成されたボーカルグループ。
* Barry Gibb ・ 1946年9月1日生 ( バリー ・ ギブ )
* Robin Gibb ・ 1949年12月22日生・モーリスと双子 ( ロビン ・ ギブ )
* Maurice Gibb ・ 1949年12月22日生 ( モーリス ・ ギブ)
1950年、父の故郷であるイングランド・マンチェスター ( Manchester ) に移住。
1956年アマチュア・コンテストに3人で出演、以降3人グループとしてプロを目指すようになる。
1958年家族でオーストラリアのクイーンズ州ブリスベン ( Brisbane ) に移住。
1964年、「 ダウン・アンダー 」 でスターダムに上る。
1955年、ギブ兄弟は教会の合唱団に所属しキャリアをスタートさせる。自宅の近所には、後にハーマンズ・ハーミッツのリード・ヴォーカルとして英米で大人気を博すピーター・ヌーン一家が居り、ギブ一家とは家族ぐるみの付き合いをしていた。
グループ名の由来
1958年、父の仕事の都合により移住したブリスベンで兄弟は、小遣い稼ぎに唄うようになる。
最初のグループ名はラトルスネークス(Rattlesnakes)、その後、ウィー・ジョニー・ヘインズ&ザ・ブルーキャッツ(Wee Johnny Hayes & the Bluecats) になった。
そして3人はラジオのDJ、ビル・ゲイツ(Bill Gates,マイクロソフト創業者とは別人)に紹介される。紹介者は、レーサーのビル・グード(Bill Goode)。
ゲイツは、自分とグードのイニシャル(BG)から彼らのグループ名をBee Geesとつける。
ヒット連発で一躍人気グループに
1967年 「 Spicks & Specks ( スピックス・アンド・スペックス ) 」 が、全豪チャートNo.1となった直後にイギリスに戻り、
同年セカンド・シングル 「 New York Mining Disaster 1941 ( ニューヨーク炭坑の悲劇 ) 」 のヒットで注目を集め、
立て続けに 「 Massachusetts ( マサチューセッツ ) 」
・「 How can You Mend a Broken Heart ( 傷心の日々 ) 」
・「 Holiday ( ホリデイ ) 」
等のトップ10ヒットを連発、一躍人気グループとなった。
1971年から1979年にかけては、米国のビルボードチャートに9曲ものナンバーワンヒットを送り出した。
彼らにとって初めてのダンス系ナンバーワンヒット、1975年の 「 Jive Talkin’ ( ジャイヴ・トーキン ) 」 で、スーパー・スターダムの引き金となり、それまで以上にビッグになった。
70年代後半以降もトップの座で生き延びる
70年代後半は、折からのディスコ・ブームに乗り製作された映画、「 サタデー・ナイト・フィーバー ( Saturday Night Fever) 」 のサウンド・トラックに参加、それ迄の歴史上、最も売れたサウンド・トラック・レコード (4,000万枚) となった。
その後も 「 How Deep Is Your Love ( 愛はきらめきの中に ) 」
・「 Stayin’ Alive ( ステイン・アライブ ) 」
・「 Night Fever ( 恋のナイト・フィーバー ) 」
等々、一連のナンバーワンヒット・シングルを続々と輩出。
長い音楽生活の中で時代の流れとグループの方向性を上手く調整出来たからこそトップの座で生き延びてこられたが、その間にメンバー相互の不協和音は当然発生する。そしてその都度血の結束力で乗り越えてきた彼らの起死回生の物語がここにある。
追記:削除された
ビージーズ(Bee Gees) (1967)
歌詞の意味解説 この曲はメッセージソング?
Tried to hitch a ride to San Francisco
2番の1行目 Tried to hitch a ride to San Francisco
1967年はスコット・マッケンジーの花のサンフランシスコがヒットした年。 いわゆるフラワーチルドレンがこぞってサンフランシスコに集まったヒッピー文化全盛期。
『マサチューセッツ』の主人公の若者も, ヒッチハイクで東海岸から西海岸へ行って見ようとしたようだ。
でもやはり故郷がなつかしい,忘れられない。
I will remember Massachusetts
で I will remember Massachusetts と歌う。
すなわちこの歌ヒッピー・ムーヴメントを象徴するスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ San Francisco」に対するアンサー・ソング的な意味合いが見てとれる。
映画モンタレイと69年のウッドストックの間に「マサチューセッツ」は発売されているが、非常に醒めているというかその後の結末をしっていたかのような歌詞になっている。
この歌、正式名は「The Lights All Went Out In Massachusetts(マサチューセッツの灯りはすべて消えた)」。
これが暗示するのは新しい時代の到来である。この歌の主人公も新しい時代の流れに乗って1度はサンフランシスコに来たものの(恐らくヒッピー)、このヒッピー文化どこか変と感じたのではないだろうか。
Something’s telling me I must go home
(Something’s telling me I must go home という2行目にこの感じが出ている。)
やはり『健全』な古い社会=マサチューセッツの方がいいと思っている。
後の退廃しきって破滅してしまうヒッピー文化のことを考えるとそれで結果オーライだったが、この歌は当時の基準から言うと反動主義的な歌ではあったと言えるのではないだろうか。
ビージーズ(Bee Gees)の動画
視聴回数6千万回超のライブ映像
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67年TV映像
72年TV映像
74年TV映像
1997年ラスベガス・ライブ
89年ライブ(オーストラリア・メルボルン)
Robin Gibb 2010年デンマーク国立管弦楽団とのコンサート
カバー曲については紹介に値するものが見つからなかった。
<歌詞>
Feel I’m goin’ back to Massachusetts,
Something’s telling me I must go home.
And the lights all went out in Massachusetts
The day I left her standing on her own.
Tried to hitch a ride to San Francisco,
Gotta do the things I wanna do.
And the lights all went out in Massachusetts
They brought me back to see my way with you.
Talk about the life in Massachusetts,
Speak about the people I have seen,
And the lights all went out in Massachusetts
And Massachusetts is one place I have seen.
I will remember Massachusetts…
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