【殺人事件実話から】トム・ドゥーリー|キングストン・トリオ 

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はじめに

 19世紀半ばの南北戦争で南軍に参加したトーマス・ドゥーラという実在の人物が、心変わりした恋人を殺し、絞首刑になった時の告白が元になった歌である。

 ということを今回初めて知って驚いた。

 キングストン・トリオ(The Kingston Trio)のデビューアルバム「The Kingston Trio」シングルカットされたのがこの曲。

 原題「Tom Dooley」、邦題「トム・ドゥーリー」

 リズミカルな曲でそんな暗い影は感じないでサビの聞き取れる英語だけ真似をして歌ってたものである。

 今から思えば無知とはいえノー天気な自分に恥じるばかりである。

日本発売盤

 あの頃は何人か集まればギターを弾きながら一緒にこんな曲を歌っていた。4つか5つのコードさえ覚えれば大体の曲は歌えたから、ほぼ全員が交代でギターをジャカジャカしていたものだ。

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The Kingston Trio(キングストン・トリオ)の動画

The Kingston Trio(キングストン・トリオ)


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背景にフォーク・リバイバル

 エルヴィスが登場してアメリカの音楽界を席巻した頃、ヒットチャートがロックンロール一色に染まるのを押しとどめる動きが誕生する。

 それがフォーク・リバイバルという流れである。

 フォーク・リバイバルの源流を辿れば40年代のウディ・ガスリーや50年代前半のウィーヴァーズを挙げられる。

 アメリカの各地に伝わる古いフォーク・ミュージックを掘り起こし、現代流に焼き直して歌とギターやバンジョーを中心としたアコースティックな楽器で演奏するというもので、主に大学生の間で流行っていた。

 この流れが本格的にヒットチャートに登場するようになったのは1958年に登場したキングストン・トリオ(The Kingston Trio)によってであった

 そして中高生はロック、大学生はフォークという棲み分けができていった。その流れの中でやがてボブ・ディランが登場してフォークとロックの合体を成し遂げることになる。

 フォーク・リバイバルとロックンロールの大きな違いの一つに、アルバム志向というものがあり、これも後にフォーク・ロックの誕生によってロック側にもたらされることになった。

 フォーク・リバイバルはポップ・ミュージックに様々な新しい要素を持ち込んだ。

 民謡の中には南北戦争などの歴史的事実に立脚した題材を扱ったものが多く、こうした歌を採り上げるということは必然的に歌詞のシリアス化という現象を起こした。

 またフォーク・リバイバルの面々は、レパートリーを探す中からアメリカの民謡だけでなく、諸外国の民謡にも興味を持つようになった。

 ジャマイカの首都からグループ名をつけたキングストン・トリオも、カリブ諸島の民謡を多く採り上げている。こうした動きは後のラテン・ロックやワールド・ミュージック的な流れに先鞭をつけるものだった。

 更にフォーク・リバイバルの大きな特徴はアコースティック楽器しか使わないこと。

 これは元々の民謡がバンジョーなどの簡単な楽器だけで演奏されていたことを踏襲したものである。

 これは電子楽器を前面に押し出すロックンロールとは正反対の動きだが、後にフォーク・ロックとして両者が合体して以後、ロックにもアコースティック・ギターなどのアコースティック楽器が使われる下地となった。

キングストン・トリオ(The Kingston Trio)の誕生

 キングストン・トリオ(The Kingston Trio)は1957年にサンフランシスコ近郊のバロ・アルト(Palo Alto)という町で3人で結成された。

 結成時のメンバーはデイヴ・ガード(Dave Guard)、ボブ・シェイン(Bob Shane)、ニック・レイノルズ(Nick Reynolds)の3人である。

 当時3人は学生であった。キングストンとはジャマイカの首都の名前からきており、彼らのカリブ諸島の音楽への興味を示している。

 58年にはレコードデビューするがフォークの特徴的志向としてアルバム重視であり、デビューアルバム「The Kingston Trio」をまず発売し、そこから「Tom Dooley」をシングルカットするといった方法をとった。

ファーストアルバム「The Kingston Trio」のジャケット

 そしてこれが58年8月に全米第1位に輝き一挙にフォークブームが到来する。

フォロワーに大きな影響を与えたデビューアルバム

 このデビューアルバムには後にビーチボーイズがヒットさせる「Sloop John B」も収められている。この曲は元々はバハマ諸島の民謡だが、キングストン・トリオはこのように後進のアーティスト達にカバーすべき原曲を多数紹介するという役割も担った。

 1970年代にロバータ・フラックによってヒットする「The First Timeも、元々はイギリスのフォーク・シンガーであるイーワン・マッコールの曲だが、アメリカでこの曲を有名にしたのはキングストン・トリオである。

 アイビー・ルックのファッションと、清潔なイメージで大いに人気者になった。

 アメリカがロック時代といわれている真っ只中にデビュー、「Tom Dooley」の大ヒットでフォークソングを世界中に流行らせた草分けのグループである。

 彼らがあとに出てくるPP&M、ボブ・ディラン、ジョン・デンバー、ジョーン・バエズといったシンガーに道を開いたといっても過言ではない。

黄金時代

 1958年にキャピトル・レコードと契約、1961年には初来日しているが、この時は駐留軍の慰問目的だったため、一般公開のコンサートはなかった。

 同年、音楽性の違いと利益の配分を巡って実質的リーダーのデイヴ・ガードがグループを脱退。

 替わりにトリオの楽曲提供者であり、弟分的存在であったロングネック・バンジョーと12弦ギターの名手でカンバーランド・スリーにいたジョン・ステュワート(John Stewart、1939-2008南カリフォルニア生まれ)が迎えられる。

 脱退したデイヴ・ガードはウィスキーヒル・シンガーズを結成して活動した。

 本来のキングストン・トリオの曲は明るい元気の良いサウンドだったが、ステュワートの加入後は陰影のあるサウンドも聴かせるようになった。

 そしてバンジョーが中心であった従来のフォーク・リバイバルのサウンドをアコースティック・ギター中心に変えたのも、彼らといわれている。

 ブリティッシュ・インヴェイジョンが吹き荒れる時代、彼らは地道に活動を続け、

Where Have All the Flowers Gone?(花はどこへ行ったの)」(1962年全米21位)、

Greenback Dollar」(1963年全米21位)、

Reverend Mr. Black」(1963年全米8位)、

Desert Pete」(1963年全米33位)等

 チャートに送り込んだ。

 この「トム・ドゥーリー(Tom Dooley)」が全米1位に輝き、一挙にフォーク・ブームが到来し、その後も59~61年までに6枚のゴールド・ディスクを獲得する。

 多くのヒットアルバムを残し、多くのフォロワーを生み出したキングストン・トリオだったが、その後は徐々に人気を落としていき1968年遂に解散する。

 ジョン・ステュワートはソロ活動でいくつかのヒット曲を発表したり、モンキーズに提供した「Daydream Believer」が大ヒットするなどシンガー・ソングライターとして活動している。

 一方キングストン・トリオとしては、ボブ・シェインを中心として顔ぶれを変えながら断続的に再結成を繰り返したが、今ではオリジナル・メンバーが誰もいないキングストン・トリオが活動している。

 1982年テレビ番組を作るため、キングストンの復活コンサートがあった。オリジナル、2代目、ボブの新しいメンバー全員が出演したという。

グラミー賞にフォーク部門を新設させた

 それまでは「フォーク部門」が存在しなかったので、第1回グラミー賞で、ベスト・カントリー&ウェスタン・パフォーマンス賞を獲得した。

 しかしその後、1962年に「ベスト・パフォーマンス・フォーク」部門が新設され、アルバム「The Kingston Trio At Large」で2回目のグラミー賞を受賞している。

オリジナル・メンバー

左から
Bob Shane(ハワイ州ハイロー生まれ1934- 、ギター)
Dave Guard(ハワイ州ホノルル生まれ1934-1991、バンジョー・ギター)
Nick Reynolds(カリフォルニア州サンディエゴ生まれ1933-2008、テナーギター・コンガ)

デイヴとボブはハワイのブナホー・スクール時代の友人で、ボブとニックはメロン・カレッジのクラスメイトという間柄だった。

南北戦争時代の実話を背景に生まれたフォークソング

 この曲は南北戦争時代のアメリカ、ノースカロライナ州ウィルクス群、ヤドキン川が流れるハッピーバレイという町で1866年に実際に起こった殺人事件をベースに生まれたフォークソングである。

 実在した元南軍の兵士トム・ドゥーリ(Tom Dula)は、フィアンセであったローラ・フォスター(Laura Foster)が心変わりをしたという理由で、彼女を刺殺した。

 トムは自分はローラに何の危害も加えたことはない・・・と裁判で自らの犯行を否定するが、なぜか「自分は罰を受けるに値する」と供述してあえて死刑になることを望み、1868年に殺人罪で絞首刑になる。

 話が少しややこしいがトムが3年間軍隊に行っている間に、彼女だったAnn FosterがJames Meltonという百姓と結婚してしまった。

 これがこの事件の伏線となった。

 トムが軍隊から戻ってAnnが他人と結婚しているので、妹のLauraと仲良くなった。

 ある晩Lauraはトムに会いに出かけて、そのまま家に戻ることなく消えてしまった。

 トムとAnnに疑いがかかり、歌詞冒頭のヴァースに出てくる保安官Graysonがトムを捕まえたという。Annも捕まり牢屋に入れられた。

 そのGraysonがbeautiful womanであるLaura Fosterに横恋慕していて、ナイフで刺し殺したというのが真相とされている。

 一方トムは姉のAnnが嫉妬して妹を殺してしまったと思い込んで、自分が罪をかぶってしまった。

 こうして誤解に誤解が重なり、ややこしい悲劇が生まれた。

 しかしこの事件の真犯人はトムのもう一人の愛人だった女性アン・メルトン(Ann Melton)であったともいわれ、事件は多くの謎を残したまま忘れ去られようとしていた。

 ところがトムの処刑後、地元ノースカロライナの詩人トーマス・C・ランドがこのトム・ドゥーリの悲劇を歌にしたことで、事件は音楽のフィールドで再び光が当てられた。

 このトーマス・C・ランドの歌が多くのバージョンを生み、その中でもキングストン・トリオ(The Kingston Trio)が1958年にリリースしたファーストアルバム「ザ・キングストン・トリオ」からシングルカットされた「トム・ドゥーリー」が全米1位に輝いた

 この曲はデイヴ・ガードがアレンジしたものであった。

 この大ヒットで「トム・ドゥーリー」はアメリカのフォークソングとして不動の地位を築くことになった。

 この大ヒットで事件も再び脚光を浴び、ノースカロライナのトムの墓は新しく建て直された。

 心変わりしたのが姉でその美人の妹と付き合ったTom Dulaと更に妹に横恋慕した男という登場人物が4人の複雑な物語だったようである。

 歌詞に出てくるGraysonというのが人妻の夫の名前で、「彼の手から逃れることができたなら、テネシー州で暮らすことができるのに・・・」と歌っている。このようにこの歌の背景には、トムに対する憐れみと同情が流れている。

 またバンジョーの弾き語りで演奏されることが多いのは、トムが兵役の際にバンジョーを持って行って、よく歌っていたという逸話からきている。

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カバーセレクション

Johnny Rivers(ジョニー・リバース)

Peter,Sue & Marc

スイスの音楽グループ

イタリア語のカバー

Bobby Solo

ドイツ語のカバー

Tom Dooley Deutsch

Nilsen Brothers

デンマーク語のカバー(Four Jacks)

Four Jacks

キントリの曲をバックに再現ドラマ風映像

この曲をモチーフとした映画も作られた

 この曲が大ヒットした翌年の1959年にはテッド・ポスト(Ted Post)監督による「拳銃に泣くトム・ドーリィ」という西部劇映画が作られた。

 主題歌としてこの曲が用いられているが、ヒントとなっただけで曲と映画は全く別物といわれている。

<歌詞>

[Intro:]
Throughout history
There’ve been many songs written about the eternal triangle
This next one tells the story of a Mr Grayson, a beautiful woman
And a condemned man named Tom Dooley…
When the sun rises tomorrow, Tom Dooley… must hang…

Hang down your head, Tom Dooley
Hang down your head and cry
Hang down your head, Tom Dooley
Poor boy, you’re bound to die
I met her on the mountain
There I took her life
Met her on the mountain
Stabbed her with my knife

Hang down your head, Tom Dooley
Hang down your head and cry
Hang down your head, Tom Dooley
Poor boy, you’re bound to die

This time tomorrow
Reckon where I’ll be
Hadn’t a-been for Grayson
I’d a-been in Tennessee

Hang down your head, Tom Dooley
Hang down your head and cry
Hang down your head, Tom Dooley
Poor boy, you’re bound to die

Hang down your head, Tom Dooley
Hang down your head and cry
Hang down your head, Tom Dooley
Poor boy, you’re bound to die

This time tomorrow
Reckon where I’ll be
Down in some lonesome valley
Hangin’ from a white oak tree

Hang down your head, Tom Dooley
Hang down your head and cry
Hang down your head, Tom Dooley
Poor boy, you’re bound to die

Hang down your head, Tom Dooley
Hang down your head and cry
Hang down your head, Tom Dooley
Poor boy, you’re bound to die

Poor boy, you’re bound to die
Poor boy you’re bound to die
Poor boy, you’re bound to die…

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