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大人になりたい(Too Many Rules)~Connie Francis

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はじめに

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 日本の60年代前半のポップス界においてコニーフランシス抜きに語ることは出来ない。日米共に我々ベビーブーマー達の若者の気持ちを代弁する音楽がヒットするようになった。そのひとつがこれ。

オリジナルのジャケット
日本発売盤ジャケット

 この曲は61年にゲイリー・テムキンが作詞、ドン・スターリングが作曲し、アメリカでは『あなたと二人で (Together) 』のB面としてリリースされたものだが、『あなたと二人で』は全米6位のヒットであったのに対してこちらは全米72位でほとんど注目されなかった。

 しかし日本の「今週のベスト・テン」では、『あなたと二人で』が振るわなかったのに対して『大人になりたい』の方は62年4月第2週に登場し10週間連続でランクイン、日本語盤もリリースされるサービスで最高3位の大ヒット。



ポップス・クィーン コニー・フランシス(Connie Francis)

プロフィール

 1938年12月12日ニュー・ジャージー州ニューアーク ( Newark ) 出身イタリア系アメリカ人。本名 Concetta Rosa Maria Franconero ( コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ ) 。

 少女の頃より賢い子と知られ、両親の家系も影響し、早くからスペイン語やイタリア語にも慣れ親しんだ。音楽との結び付きも早く3歳でアコーディオンをマスターし、10歳の頃より、地元のTV・ショーでレギュラー・メンバーとして活動を始めた。

 その後、1950年、TVのヴァラエティ・ショー「スター・タイム」に出演し、同番組のプロデューサーだったジョージ・シェックをマネージャーに迎えて本格的に活動を開始した。

 スカウト・ショー「アーサー・ゴッドフリーのタレント・スカウト」に出場したのが切っ掛けで、1955年6月、アーサー・ゴッドフリーがコニー・フランシスの本名フランコネロは発音しづらいのでもっと簡単なものにした方が良いとアドヴァイスしたのを受け、芸名をコニー・フランシスとしてMGMより「Freddy」と言うシングルでデビューした。

 しかし、当初は苦労の連続でおよそ10枚のシングルを発売したものの何れも不発に終わった。僅かに1957年10月にリリースした、マーヴィン・レインウォーターとのデュエット曲「Majesty Of Love」が全米93位に入っただけだった。

 ただ、彼女はヒット曲を出せなかった此の下積み時代に実に興味深い仕事をしていた。コニー自身が銀幕のスポット・ライトを浴びる事はなかっが、彼女の声が2つの名作ロックンロール映画に「出演」しているのであった。

 チャック・ベリー、ジョニー・バーネット・トリオ他が出演した「Rock,Rock,Rock(1956年)では、本作でデビューした主役のチューズデイ・ウェルドの歌唱シーンの吹き替えを、カール・パーキンス、バディ・ノックス、ファッツ・ドミノ他が出演した「ジャンボリー(1957年)では、同じく主役のフリーダ・ハロウェイの歌唱シーンの吹き替えを担当していた。

 更に、ロックンロール映画ではないが、英国産のウエスタン・コメディー映画「The Sheriff Of Fractured Jaw(1958年)では、ジェーン・マンスフィールドの歌唱シーンの吹き替えを担当していた。ジェーン・マンスフィールドと言えばジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、リトル・リチャード、プラターズ他、ロックンロール・スターが大挙して出演した傑作ロックンロール映画「女はそれを我慢できない1956年)に主演していたグラマー女優で、コニーは3大ロックンロール映画に奇しくも、ゆかりがあったのであった。

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 結局、歌手として成功したのは3年後の1958年で、出世作となったのは同年1月リリースの、スタンダード・ナンバーをカヴァーした此の「Who’s Sorry Now」だった。もっとも以後は好調でアメリカでは、「Everybody’s Somebody’s Fool(エヴリバディーズ・サムバディーズ・フール、1960年6月)」、「My Heart Has A Mind Of Its Own(マイ・ハート、1960年9月)」、「Don’t Break The Heart That Loves You(泣かせないでね、1962年3月)」等の全米1位曲や、トップ10以内にランクした「My Happiness(マイ・ハッピネス、1959年1月、全米2位)」、「Frankie(フランキー、1959年7月、全米9位)」、「Mama(ママのために、1960年4月、全米8位)」、「Many Tears Ago(メニー・ティアーズ・アゴー、1960年12月、全米7位)」、「Breakin’ In a Brand New Broken Heart(ブロークン・ハート、1961年5月、全米7位)」、「Together(トゥゲザー、1961年8月、全米6位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで女性として初めて1位を獲得した)」、「Second Hand Love(セコ・ハン・ラヴ、1962年6月、全米7位)」等、60曲近くのヒットを連発した。

 同時に「Where The Boys Are(ボーイ・ハント、1960年)」、「Follow The Boys(渚のデイト、1963年)」、「Looking For Love(ハートでキッス、1963年)」、「When The Boys Meet The Girls(青空のデイト、1965年)」等、各種の映画やTV・ショー等にも出演して大活躍した。

ボーイ・ハント(Where the Boys Are)~Connie Francis
「間抜けなキューピッド」同様ニール・セダカから提供された曲。コニーFは同名映画に出演している。当初映画のサウンドトラックで使うオリジナル曲の予定で作られたが採用されず、別途レコーディングされリリースされたものである。営業戦略として6か国語でレコーディングされた。

 1964年、初来日公演を行い、大好評を得た。1960年代末以降は音楽シーンの様変わりもあり、彼女は1969年、MGMからリリースされた「The Wedding Cake(ザ・ウェディング・ケーク、1969年3月、全米91位)」を最後にヒット・チャートから姿を消した。

 1960年代の日本で最もポピュラーな外国人女性ポップ歌手といえばコニー・フランシスと云える。日本に於けるコニー・フランシスは、SP盤の時代からすでにレコードは出ており、ドーナツ盤時代に入ってからも前述の 「 フーズ・ソリー・ナウ 」 以降、人気のピークを少し過ぎたと思われる1964年までの6年間に、50枚以上のシングル盤が発売された。

 日本でコニー・フランシスの大ヒットが生まれたのは 「 カラーに口紅 」 、続いて日本語で歌った 「 ボーイ・ハント 」 。この日本語盤の大ヒットがコニー・フランシスの日本での人気を決定的なものにした。

カラーに口紅(Lipstick On Your Collar)~Connie Francis
コニーにとり4枚目のゴールド・ディスク。日本ではカテリーナ・ヴァレンテ「情熱の花」と並ぶこの年の女性歌手ビッグヒット。 この曲が日本でのコニー最初のビッグ・ヒットとなり、続く日本語の「ボーイ・ハント」も大ヒットとなり、一気に日本でのアメリカンポップス女王の地位を獲得。

 本国では全くヒットしなかった 「 Someone Else’s Boy 」 を日本語で歌った 「 夢のデイト 」 、全米72位の 「 Too Many Rules 」 の日本語盤 「 大人になりたい 」 、そしてアメリカではヒットしなかった 「 かわいいベイビー 」 は大ヒットを記録した。

可愛いベイビー(Pretty little Baby)~Connie Francis
米国ではシングルカットもされなかった曲が日本で空前の大ヒット。最初から日本語盤を投入するという戦略が功を奏した。日本ではレコード各社揃っての競作となった。結果は中尾ミエ盤が定番に。日本語カバー(中尾ミエ、伊東ゆかり、森山加代子、沢リリ子、後藤久美子、山口百恵、テレサテン)

 日本、アメリカ共に大ヒットしたものと云えば 「 カラーに口紅 」 、 「 ボーイ・ハント 」 、 「 ヴァケーション 」 、「 想い出の冬休み ( I’m Gonna Be Warm This Winter ) 」 、 「 渚のデイト ( Follow The Boys ) 」 など。

ヴァケイション(VACATION)~Connie Francis
歌詞の中には「砂に書いたラブレター」の歌詞の一部や当時流行していたダンス「マッシュポテト」がちりばめられて、若者に受け入れられやすくなっている。日本では弘田三枝子、青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子等多くのカバーが作られたが弘田三枝子盤が20万枚と大ヒット、青山ミチ盤が3万枚であった。
想い出の冬休み(I'm gonna be warm this winter)~Connie Francis
この曲の歌詞の内容は「冬休みに、彼氏と出会って恋をして・・・」という乙女心を歌っている。健康的なお嬢さんが心の中で「さあ、恋をするわよ!」というような、願望を秘めたパワフルさを感じさせる。米国では現在もクリスマスソングの一つとして歌われている。

 1961年、ドロレス・ハート、イベット・ミミューらと共演した映画 「 ボーイ・ハント 」 の公開にあたって、映画が公開される国の言葉で、テーマ曲をレコーディングするというアイディアをとり、新しいファンを獲得して更にその人気に拍車をかけた。

 日本でカバーされた曲としては、コニー・フランシスの曲が一番多いと思われる。コニー・フランシスの曲は、青春のホロ苦い思い出が浮かんでくる曲や、ウラ悲しい曲もあるが、楽しくなる曲が圧倒的に多くて、聴いていると、思わずツイストしてしまう。




コニーの歌声と映像

Too Many Rules-コニー・フランシス(Connie Francis)

Connie Francis – Too many rules

日本語バージョン

大人になりたい(日本語)/コニー・フランシス

スペイン語バージョン

Connie Francis – Tanto control (Too many rules, Spanish version)
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日本のカバー

伊東ゆかり

伊東ゆかり 大人になりたい 1962 / Too Many Rules

山口百恵

オールディーズメドレーの11:47くらいから

60'S オールディーズ・メドレー ✨ 山口百恵

ザ・ヴィーナス

THE VENUS (A)

森山加代子

森山加代子 大人になりたい 1962 / Too Many Rules

後藤久美子

後藤久美子 大人になりたい 1962 / Too Many Rules



<歌詞>

I got home last night
At ten past two
My folks turned blue
Their tempers flew

I’ve gotta be in bed
At quarter to 10
There go those rules again

[Chorus:]
Too many rules
Too many rules
Folks are just fools
Making too many rules
I pray the stars above
I haven’t lost your love
‘Cause there are too many rules

When you call me on the telephone
It’s not my own
They’ve made it known

So you must call me
Only now and then
There go those rules again

[Repeat chorus]

My kid brother’s always on my trail
I can’t escape that tattle tail
I hope you understand
What I’m going through
I don’t know what to do

[Repeat chorus]

<日本語歌詞>

詞 : 漣 健児

夜遅くに帰ると ママから お目玉
いつも 10時に 寝るの それがきまりよ
 
  *
Too many rules, too many rules
はやく 大人に なりたい
お星様に こう祈るの
だけど Too many rules  *
 
彼と電話をしてもね 長くはだめなの
いつも5分で切るの それが きまりよ
 
* 
 
ポストに 手紙がきてもね 小さな弟
いつも いじわるするの それが ルールなの
 
* 
だけど Too many rules

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