はじめに
ヴィーナス(Venus)はショッキング・ブルー(Shocking Blue)の最大のヒットで、69年にリリースし70年に全米1位となった。米国でのヒットはこの一曲のみで「一発屋」として有名。ただし日本ではもう一曲「悲しき鉄道員」がヒットした。
ショッキング・ブルー(Shocking Blue)は67年~74年に活動していたオランダ出身のロックバンド。この曲の作者でもあるロビー・ファン・レーベン(Robbie van Leeuwen)がオランダで結成し、ボーカルのマリスカ・ヴェレスは途中参加である。マリスカはいくつかのバンドでボーカルを担当した後に参加している。
ヨーロッパや日本で成功を収めたが、ロビーとマリスカは人種差別主義者で必ずしも日本での成功を快く思っていなかったらしい。
ロビーはオランダの音楽雑誌のインタビュー記事で「日本人は金を持っている猿に過ぎない」と発言している。
このように嫌悪している日本での公演のライブアルバムをリリースした理由は不明だが、マリスカは後日オランダの音楽雑誌インタビューで「猿が住む野蛮な土地でも人気があることをアピールしたかった」と述べている。
ショッキング・ブルー(The Shocking Blue)のプロフィール
マリスカはハンガリーとドイツのハーフで、父親がジプシー・オーケストラのバイオリン奏者であったことから、父とともに幼少の頃から歌を歌ってきており、また、ショッキング・ブルーに加入する前にも、いくつかのバンドでボーカルを担当している。
1969年7月に、オランダで、「ヴィーナス」を発売、1970年2月7日のアメリカの「ビルボード(Billboard)」誌にて、週間ランキング第1位を獲得した。同誌1970年の年間ランキングでは第22位を記録し、ショッキング・ブルー最大のヒット曲となった。
また、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーでは週間チャート1位を獲得したものの、オランダでの週間チャート最高位は3位にとどまった。日本のオリコンでは最高2位(洋楽チャートでは1970年3月9日付から12週連続1位(1970年度の年間1位も獲得))。
ママス&パパスのキャス・エリオットがかつて在籍していたアメリカのフォークグループ、ザ・ビッグ・スリー(The Big 3)が1963年に発表したシングル「ザ・バンジョー・ソング」にインスパイアされた曲だと言われている。
ショッキング・ブルー(Shocking Blue)は’60年代後半のサイケデリック・カルチャーに呼応して生まれたバンドだった。最初はシタールなどをフィーチャーした楽曲が多かった。
’68年に女性ヴォーカルのマリスカ・フェレス(Mariska Veres)が加入。グレース・スリック(Grace Slick)を擁したジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)のような音楽スタイルに変化する。
「ヴィーナス(Venus)」がヒットしてからはポップ・ロック路線に次第に転向。本国オランダと日本ではヒットが続いたものの、英米ではすぐその人気は収束する。
イギリス盤を出していたレーベルPenny Farthingは、「ビューティフル・サンデー(Beautiful Sunday)」のダニエル・ブーン(Daniel Boone)を出していたところ。
アメリカのColossusは、同じくオランダのバンド、ジョージ・ベイカー・セレクション(George Baker Selection)の米盤を出していたところである。両社とも弱小で、十分なフォローが出来なかったのかもしれない
彼らの日本でのもう一つの代表曲「悲しき鉄道員」について余話がある。日本バージョンは少しキーが高くテンポも早くなっている。これは当時の日本のディレクターが独断でテープの回転速度を上げたことが原因と言われている。
ショッキング・ブルー(Shocking Blue)のオリジナル
Shocking Blue(ショッキング・ブルー)
PVか?
カバー・セレクション
Tom Jones(トム・ジョーンズ)
’86年にはイギリスのストック、エイトキン&ウォーターマン(Stock, Aitken, & Waterman)チームのプロデュースによるバナナラマのヴァージョンが世界中でヒット。しかし、なぜかイギリスではオリジナルのショッキング・ブルー(Shocking Blue)同様、8位止まりだった。
Bananarama ’86年米1位英8位日43位
Bananaramaのヒットに日本も乗っかる。篠原仁志氏の日本語詞による長山洋子のダンス・ヴァージョンも同年リリース。篠原氏は、この前年、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」の日本語詞も同様に手掛けている。 ’86年日10位
長山洋子
スポンサーリンク
’81年にはオランダのインチキ・ディスコ・ユニット、スターズ・オン(Stars on 45)が出したビートルズ他メドレーの冒頭に、母国のスターに敬意を表し、「ヴィーナス」のイントロをサンプリングした。これはなぜか世界中でバカみたいに売れた。当時はあまり気にもせずこれを聴いていたが、権利処理はどうしたんだろう。今なら許諾が出るとは到底思えないが。’81年蘭1位米1英2位日25位
Stars On 45
’89年にはインチキ・ダンス・グループ、ドン・パブロズ・アニマルズ(Don Pablo’s Animals)が、ショッキング・ブルー盤のイントロをサンプリングしてループし、ダンス仕様にしただけのヴァージョンをリリース。これはなぜかイギリスでは大ヒットした。
Don Pablo’s Animals – Venus ’90年英4位
ザ・バンジョー・ソング(The Banjo Song)- The Big 3
<歌詞>
A goddess on a mountain top
Was burning like a silver flame
The summit of beauty and love
And Venus was her name
She’s got it
Yeah baby, she’s got it
Well, I’m your Venus
I’m your fire
At your desire
Well, I’m your Venus
I’m your fire
At your desire
Her weapons were her crystal eyes
Making every man mad
Black as the dark night she was
Got what no one else had
She’s got it
Yeah baby, she’s got it
Well, I’m your Venus
I’m your fire
At your desire
Well, I’m your Venus
I’m your fire
At your desire
She’s got it
Yeah baby, she’s got it
Well, I’m your Venus
I’m your fire
At your desire
Well, I’m your Venus
I’m your fire
At your desire
コメント
https://bs.tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_110.html
はじめまして、竜馬さま。
当方は特に音楽ファンというわけではありませんが、サイケ風味のロック/ポップスが大好きな人間のひとりです。
この記事で竜馬さまは、ショッキングブルーが【人種差別主義者】であるとタイトルで断言しておられますが、その根拠とされている『オランダの音楽雑誌のインタビュー』とは具体的にはいつ出版されたどのような雑誌でしょうか?
当方はそのことについて英語とオランダ語で検索したことがありますが、調べ方が悪いのか何ひとつ発見できておりません。
出てくるのは日本語で検索したときだけです。
このことに関しまして具体的になにか御存知でしたら御教授いただけると幸いです。
「ショッキングブルー人種差別主義者説』を書き込む人の一部が「来日時の演奏は手抜きでヒドイものだった」と書いていますが、わたしとしましては、残っている音源を聞く限りはそれは事実ではないと思っています。
なので、人種差別主義者説も同じように事実ではないだろうと考察しておりますがいかがでしょうか。
突然の質問で申し訳ありませんでした。
スケートリンクのジュークボックスで聞いた『ヴィーナス』がいまでも頭の中で鳴っております(笑)。