はじめに
スリー・ディグリーズ(The Three Degrees)の3枚目のシングル。1974年9月27日リリース(米国)。
74年6月に帝国劇場での第3回東京音楽祭世界大会で金賞を受賞し、その後米で2位英日で1位を獲得している。米国では150万枚の売り上げであった。
原題は「When Will I See You Again」、邦題は「天使のささやき」だが邦題と歌詞の関連性はない。
グループの謳い文句「フィラデルフィアのセクシー・エンジェル」と出だしのため息のような音声をささやきとして結び付けて命名されたものと考えられる。
また1968年レコード大賞の黛ジュンが歌った「天使の誘惑」からの影響も考えられる。
ただし「天使」の意味を文字通りに受け取らない方が良い。というのはグループ名の由来(下記参照)を考慮すれば、「小悪魔」の方がピッタリと歌の内容にはまる。
作者はフィラデルフィア・ソウルの立役者でフィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)を創設したギャンブルとハフ(Kenny Gamble and Leon Huff)である。
この曲の内容は「何時またあなたにお会いできるの?」と甘く歌うラブバラードである。ソフトで洒落たこの雰囲気が、スリー・ディグリーズ(The Three Degrees)の目指した音楽の到達点といえる傑作である。
レコードジャケット(米国盤)
日本発売盤(右上に金賞受賞曲と書かれている)
日本語盤(右上に日本語盤と書かれている)
スリー・ディグリーズ(The Three Degrees)のプロフィール
最初は歌うことに難色を示した彼女たち
作詞作曲コンビのケニー&ギャンブルがピアノでこの曲を彼女たちに紹介した時、リード・ヴォーカルのシーラ・ファーガソンは”こんな誰でも歌える簡単な曲なんて、歌わない!”と憤慨したという。
しかし大ヒットして自分たちにとって大切な曲となった後、シーラは”彼の方が正しかった”と自分たちの過ちを認めている。
東京音楽祭で火がついた
フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)移籍後最初の3rdアルバム「The Three Degrees」(1973年)収録曲である。
1974年6月30日の第3回東京音楽祭で金賞受賞により日本ではラジオ各局で1位となり、シングル売り上げは11.3万枚を記録した。
これが世界に波及する形でまずイギリスで8月17日から3週連続1位を獲得し、本国アメリカでは12月になって2位となった。(キャッシュ・ボックス誌では1位)
日本での思わぬ大ヒットが欧米での評価が見直されるきっかけとなったことは間違いなく、アメリカでのシングル発売が上述のように1974年9月と遅かったものの全米2位を記録した。
一方別記事で紹介した「荒野のならず者」は、この「天使のささやき」74年9月シングル発売に先行する73年10月の米国でのシングル発売であった。
日本での人気が一気に盛り上がったため日本での発売とヒットはほぼ同時期という結果となり、日本でのセールスは米国でのセールスとは逆に「荒野のならず者」が「天使のささやき」を上回るという皮肉な結果となった。
日本語バージョン発売
東京音楽祭での金賞受賞により、日本での知名度が一気に上がったスリー・ディグリーズはその「天使のささやき」の日本語バージョンまで発売した。
TVの歌謡番組にも出演するなど一気に日本のお茶の間にも浸透する。
日本語バージョンは下記に掲載している。
英国皇太子の誕生30年祝賀で歌う
特にイギリスでは週間1位だけでなく、年間2位というこの年を代表する大ヒットとなった。
1978年にはチャールズ皇太子の30歳の誕生日祝賀式典のためバッキンガム宮殿にスリー・ディグリーズが招かれ、この曲を披露した。そのため「Charlie’s Angels(チャーリーズ・エンジェルズ)」と呼ばれることもあった。
スリー・ディグリーズの名前の由来
英語のことわざから来ている。
「Man,woman,and devil,are the three degrees of comparison」
つまりは女性は悪魔に近いという意味。
これは小悪魔的なイメージで出発したことを表している。
Three Degrees(スリーディグリーズ)の動画
オリジナルバージョン
ライブ映像
ミュージックフェアの映像か?
日本語バージョン
来日中NHKのビッグショーに出演して日本語で歌っている
日本のTV番組に出演
当時の人気番組だった「夜のヒットスタジオ」(フジ系)出演時の映像を加工して使っている
「天使のささやき」に先立って全米1位を獲得していたTSOP
ソウル・トレインのテーマ(1974年)
TSOPとはThe Sound Of Philadelphiaの略である。元々はスタイリスティックスなどのレコードで演奏していたスタジオ・ミュージシャンMFSBのインスト・ナンバーとして世に出ていた曲。(MFSBとはMother Father Sister Brotherの略)
そこにスリー・ディグリーズの歌が追加録音されて伝説の音楽番組のテーマとして使われた。これが1974年全米1位を獲得した。
フィラデルフィア・ソウルとは
フィラデルフィア・ソウルは従来のソウルを都会的にソフィスティケイトして、ファン層を拡大したものだが、このサウンドにスリー・ディグリーズのラグジュアリーでセクシーなスタイルがよく合ったことから、当時シカゴで1970年から放送された音楽番組ソウル・トレインが牽引した1970年代のディスコ・ブームの最初の音楽スタイルとなった。
スリー・ディグリーズが歌った上記の「ソウル・トレインのテーマ」を聴けばビー・ジーズの「サタデー・ナイト・フィーバー」まで続く70年代ディスコ・サウンドの典型が分かる。
フィラデルフィア・ソウルの叙情性
スリー・ディグリーズの魅力はフィラデルフィア・ソウルの抒情性が日本人の感性に合っていたことにある。
そしてその歌唱の中心となったのがシーラ・ファーガソン(Sheila Ferguson)であった。彼女はメンバー交代が多いグループにあって1966年から1986年まで在籍し、黄金時代のリード・ボーカルを務めた。
彼女は1986年に独立し、以降ソロ歌手、女優として活躍している。
カバーセレクション
The O’jays
Johnny Mathis
Boys Town Gang (1984年)
Marcia Griffiths
日本のカバー
ザ・ピーナッツ
小泉今日子
CMで日本のお茶の間に浸透
天使のささやきの大ヒット後日本で1974年末に発売された「愛のメッセージ(Love Is The Message)」は、スリー・ディグリーズ本人たちが登場したシャープのステレオ オプトニカのCMに起用され、お茶の間でがんがん流されていたので、TVのブラウン管を通してスリー・ディグリーズを知った日本の人たちも多かった。
オプトニカのCM
<削除された>
<歌詞>
Oooooo, haaa
Haaa, Oooooo
Precious moments
When will I see you again
When will we share precious moments
Will I have to wait forever
Will I have to suffer
and cry the whole night through
When will I see you again
When will our hearts beat together
Are we in love or just friends
Is this my beginning or is this the end
When will I see you again
(When will I see you again)
When will I see you again
Haaa, Oooooo
Precious moments
Are we in love or just friends
Is this my beginning or is this the end
When will I see you again
(When will I see you again)
Sweet, sweet love of mine
(When will I see you again)
Come on, come on
(When will I see you again)
Tell me, ya
(When will I see you again)
My sweet lover
(When will I see you again)
Ooooooo, ya
(When will I see you again)
Come on, come on, baby
Come on, come on, hey, hey baby
Oooooo, ya
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