【多国籍コミックソング】悲しき60才(ムスターファ)|坂本九

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はじめに

 中学時代ポップスに目覚めるきっかけとなった、筆者にとって最初のアイドルとも言えるのが坂本九。

 エルヴィス・プレスリーに憧れた坂本九はダニー飯田とパラダイスキングのバンド付き歌手となり59年にレコードデビュー。

 ビクターで出した唯一のシングル「題名のない歌だけど」は鳴かず飛ばずだったが、東芝からのデビュー曲「悲しき60才」(60年)がヒット

 さらに続いて「ステキなタイミング」(60年)のヒットで一躍スターの仲間入りをした。

 この原曲はアラビア語、フランス語、イタリア語の多国籍なコミックソングである。

 「ムスターファ(ムスタファ)、Ya Mustafa(Ya Mustapha)」は1950年代から60年代にかけて世界中で流行したエジプト系ポピュラーソングだが、その起源については諸説があり不明である。

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原曲のムスターファ(ムスタファ)とは

アラビア語、フランス語、イタリア語の多国籍なコミック・ソング

 一般的な歌詞の言語はアラビア語(エジプト方言)、フランス語、イタリア語の3か国語が入り混じった多国籍なもの

 歌われる国によってその一部が各国の言語に差し替えられて歌われることも少なくないようだ。

歌詞・曲名の意味は?

 「ムスターファ(ムスタファ)」の意味は、恐らく一人の男性の名前を表しているものと思われる。

 同名の歴史上の有名な人物としては、オスマントルコの国王(ムスターファ1世など)や、トルコ共和国初代大統領ムスタファ=ケマルなどが挙げられる。

 『Ya Mustafa』のリフレイン部分の歌詞は次のとおり。多国籍な言語とナンセンスな内容の歌詞がミスマッチ寸前の絶妙なバランスで渾然一体となり、全体としてユニークなコミック・ソングとなっている。

Chérie je t’aime, chérie je t’adore,
como la salsa del pomodoro

ダーリン愛してる ダーリン大好き
トマトソースと同じぐらい

主なカバー曲あれこれ 日本の坂本九も

 世界各国で『Ya Mustafa』はカバーされ、様々な言語のバージョンが存在するが、最も早い時期としては、トルコ出身のシンガーソングライター、ダリオ・モレノ(Dario Moreno)による1950年代のカバー盤が知られている。

 その後1960年代に入ると、エジプトのシンガーソングライター、ボブ・アザム(Bob Azzam/Wadie George Azzam/1925-2004)によるカバー曲がフランスでリリースされ、ヨーロッパ中でヒットを記録した。

 ボブ・アザム盤の編曲には、バークレー・レコード(Barclay Records)の創設者でフランスの音楽プロデューサーのエディ・バークレィ(Eddie Barclay/1921–2005)も加わっている。

 日本では1960年8月、ソロ歌手に転向した坂本九が東芝レコード移籍後の第1弾シングルとして、『ムスターファ Ya Mustafa』を日本語にカバーした『悲しき六十才』をリリースした。

 同曲は坂本九にとって初のヒット曲となり、その翌年にリリースされた『上を向いて歩こう』は海外でも大ヒット。坂本九は一躍世界的なスターの座を獲得した。

Dario Moreno(ダリオ・モレノ)

Bob Azzam(ボブ・アザム)

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カバーセレクション

 この他今回わかった世界の主なカバーについて紹介する。

Magnifico

Mustapha – Dick Lee シンガポール

Nil Burak – Ya Mustafa (1975)

Mustafa Ya Mustafa Rida Boutrus

Mira Moufarrej  比較的新しいカヴァー

Various Artists

忘れられない坂本九バージョン

坂本九のプロフィール

芸能界デビュー前

 川崎市の荷役請負業を営む父「坂本寛」の9番目の子供として生を授かる(なお後妻である九の母親「いく」としては3人目の子供)。

 名前の由来は9人目になってさすがにネタが尽きたと言う理由からつけられたと言う説がある。

 高校の時に両親が離婚し、母の旧姓である「大島」を名乗る。

 ただ離婚した後も、家が近所だったこともあり家族の交流が途絶えることはなかったようである。

 この頃エルヴィス・プレスリーに憧れ、近所では右に出るものがいないと言われるほどのものまねで仲間内の人気者となっていた。

芸能界デビュー

 1958年にかのザ・ドリフターズのギターとして加入していたが、半年後に脱退。YAHOO!知恵袋で「いかりや長介と喧嘩別れ」がベストアンサーとされているが、当時いかりやは加入前であり全くの誤りである。

 その後ダニー飯田とパラダイス・キングでボーカルとしてレコードを出すが、あまりパっとしない売上であった。

 1960年に東芝レコードに移籍しソロデビューを果たすと、移籍後第一弾にリリースした「悲しき六十才」がヒット。一気にスターダムを駆けあがる。

 その翌年には日本どころか海外でも「SUKIYAKI(スキヤキ)」として爆発的ヒットを誇る「上を向いて歩こう」をリリース。

 アメリカで最も権威のあるヒットチャートであるビルボードチャートにて、3週連続1位を記録。

 これは東洋人・日本人では初。その後アメリカの歌手によって数回カヴァーされたが、ビルボードチャート1位を獲得したのは坂本九が歌ったオリジナルのみであり、この点においては同チャートにおいて唯一のケースである。

 さらに1964年にはアメリカにおけるセールスが100万枚を超え、日本人初のゴールデンディスクを受賞している。

 国内外でヒットを飛ばし、名実ともにスターとしての地位を確固たるものにした裏で、チャリティー活動にも精力的に参加。 中でも手話の啓発活動には力を入れており、手話の歌を発表したほどであった。

坂本九の動画

 日本では当時もちろん原曲のことを知るはずもなく、ただ青島幸男のコミカルな歌詞とアラブ調の怪しげなメロディが受けて大ヒットした。

ここから「坂本九」の名前が日本中に知れ渡るのだが彼のプロフィールについてはいくつかのサイトに詳しい。

<坂本九のプロフィール参照サイト>

 今回改めて調べて意外だったのはこの曲のヒットから「上を向いて歩こう」まで2年くらいしか無いということ。この短い時期に集中的に九ちゃんに夢中だったことになる。

 というのは「上を向いて歩こう」がヒットしてからは身近な存在に感じられなくなり距離を置いてみていたから。

 そして記憶では曖昧だった「ステキなタイミング」と「悲しき60歳」のどちらが先なのか、やっとここで明確になった。

60年8月が 悲しき60才。
10月が ステキなタイミング

 「悲しき60歳」の方が2ヶ月早くて東芝移籍後最初のヒットということがハッキリした。

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悲しき60才 坂本九

映画「悲しき60才」

 この最初のヒット曲と同名の映画が大映で61年に作られている。

 高橋二三脚本、寺島久監督だがショー構成は青島幸男で当時のテレビのバラエティショー的な雰囲気が味わえる作品。

 当時は映画界はテレビを自分達より下に見ていた時代であり、テレビタレントだけで作った最初のこの映画がヒットしたことの意義は大きいという。

<歌詞>

[ 悲しき60才 ]  訳詞 : 青島幸男

ヤー ムスターファ
ヤー ムスターファ
遠い昔のトルコの国の
悲しい恋の物語り
純情可憐な優しい男
それは主人公ムスターファ

ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
純情可憐なムスターファ
ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
優しい男ムスターファ

見初めた彼女は奴隷の身
ところが僕には金が無い
どうにもならない 諦められない
どうしたらいいんだろう 諦めきれない

ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
諦められないムスターファ
ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
未練な男ムスターファ

金さえあればこの世では
思いの叶わぬ事は無い
そこで僕は考えて
一念発起でマネービル

ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
金の亡者のムスターファ
ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
ガッチリ稼いだムスターファ

トルコで一の金持ちに
なってしまったムスターファ
急いで彼女を訪ねたら
今や悲しき60才

ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
夢の破れたムスターファ
ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
泣くに泣かれぬムスターファ

ヤー ムスターファ
ヤー ムスターファ
ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
時の経つのを忘れてた
ヤ ムスターファ ヤ ムスターファ
嘆きの爺さんムスターファ

「泣けっちゃうねーこの話しゃ」

♪ Mustapha (ムスターファ) ♪  1960

Ya Mustapha, Ya Mustapha

Che`ri je t’aime,che`ri je t’adore
Como la salsa del pomodore
Che`ri je t’aime,che`ri je t’adore
Como la salsa del pomodore


Ya Mustapha,Ya Mustapha
Ana ba habak,Ya Mustapha
Ya Mustapha,Ya Mustapha
Ana ba habak,Ya Mustapha

Thala Ya Mustapha Ya ebn Sarhane
Guib taamira agami, we` lef aal guirane
Wamma yigui ke`fo,ke`fo
Yeshrab aala ke`fo,ke`fo
Wamma yigui ke`fo,ke`fo
Yeshrab aala ke`fo,ke`fo

※Repeat

Tu m’allumai avec une allumette
Et tu m’as fait perdre la te^te
Puis quand ta me`re, elle est partie
Un bon cafe`,tu m’a servi

※Repeat

Ya Mustapha, Ya Mustapha

Ya Mustapha, Ya Mustapha
Ana ba habak, Ya Mustapha
Sabaa se`nine fel Attarine
Del wa’ti guina “Chez Maxim’s”

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