【史上初ウーマンリブソング】恋と涙の17才|レスリー・ゴーア

Artist(English)
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はじめに

 既に別記事で紹介したデビューヒット「涙のバースデイパーティ」と並ぶレスリー・ゴーア(Lesley Gore)の代表曲で日本人の好きな3連のバラードの4枚目シングル。

 彼女のプロフィールとデビュー前後の話はそちらを参考にしてもらうことにして、ここでは64年の「恋と涙の17才(You Don’t Own Me)」のヒット以降の話が中心となる。

 この曲は63年12月に発売され、64年2月3週連続全米2位という大ヒットとなるが、その時の7週連続1位はビートルズの「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」であった。

 全米にビートルズ旋風が吹き荒れていた最中にこの結果は大健闘といえる。

 プロデュースはクインシー・ジョーンズ、アレンジはクラウス・オガーマンという強力コンビ。John Madara、David Whiteコンビの作品。

歌詞の内容は過激なウーマンリブソング

 歌詞の内容は「私は貴方の所有物じゃないの」と歌うポップス史上初のウーマンリブソングで邦題から受けるイメージとは全く異なっている。(実際の女性解放運動がアメリカで台頭するのは10年以上遅れる)

 お嬢様風の彼女がウーマンリブ的な曲を歌う意外性が斬新な企画であった。

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レスリー・ゴーア(Lesley Gore)の動画

日本発売盤ジャケット

アメリカ発売盤ジャケット

Lesley Gore(レスリー・ゴーア)

64年T.A.M.I Show出演時の動画

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60年代後半以降のレスリー・ゴーア(Lesley Gore)

 1969年までのマーキュリー在籍中に出した29枚のシングルのうち、19枚が100位以内にチャートインという実績を残した。

 しかし60年代後半にはクインシー・ジョーンズがプロデュースから離れ、67年の「California Nights」が16位に入ったのを最後にトップ20に入ることがなくなる。

 69年にはフォー・シーズンズの「シェリー」でも名前が出てきたボブ・クルーが作ったレコード会社に移り72年のアルバム「Someplace Else Now」が小ヒットするも、75年にはA&Mに移りクインシー・ジョーンズのプロデュースで「Love Me By Name」を発表するがヒットはしなかった。

 続くシングルを並べたらわかるように、ややペースダウンした結果となっている。

64年

「恋を夢見る17才(That’s The Way Boys Are)」(全米12位)
「失恋はいや(I Don’t Wanna Be A Loser)」(全米37位)
「Maybe I Know」(全米14位)
「Hey Now」(全米76位)
「男の子になれたら(Sometimes I Wish I Were A Boy)」(全米86位)

65年

「恋の面影(The Look Of Love)」(全米27位)
「All Of My Life」(全米71位)
「Sunshine,Lollipops And Rainbows(サンシャインとレインボウ)」(全米13位)
「My Town,My Guy And Me」(全米32位)<レスリー・ゴーアが作者の一人としてクレジットされた初作品>
「I Won’t Love You Any More(Sorry)」(全米80位)
をチャートインさせている。

66年後半から67年初めにかけて

「Off The Running」(全米108位)<フォーシーズンズのプロデューサーとして活躍していたボブ・クルーのプロデュース>
「星のカリフォルニア・ナイト(California Nights)」(全米16位)
「Summer And Sunday」(全米65位)
をチャートインさせている。

 しかしその後はチャートインしても上位に入ることは無くなった。

 彼女は作詞作曲も行い1980年にソングライターとしてアイリーン・キャラ(Irene Cara)に弟のマイケル・ゴーア(Michael Gore)と共作で映画「Fame」の「Out Here On My Own」(全米4位)を提供し復活を果たす。

 80年代後半のオールディーズ・ブームの頃、デル・シャノンやジョニー・ティロットソンと一緒に来日し、日本各地でホテルでのショーやライブハウス公演を行った。その際にテレビ出演もした「ミュージックフェア」の映像が残っている。

カバーセレクション

Dusty Springfield

Bette Midler

Joan Jett 女性ロック歌手

Grace

The Blow Monkeys

映画Dirty Dancingのサウンドトラック盤CDに収録されている

映画「The First Wives Club」 97年

 96年の米国映画(日本公開は97年)「The First Wives Club」でも使われている。

 3人の大物女優がそれぞれ浮気で別れた前夫に復讐するというコメディで、この曲で歌い踊りながら夜の街へと繰り出すラストシーンは印象的。

音声だけならこちらが良い

 3人が踊りながら歌ってる印象的なラスト映像はこちら。この後、夜の街路を3人が意気揚々と去っていく。

踊り歌っているラストシーン

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日本のカバー

弘田三枝子


中尾ミエ

つちやかおり

フッくん夫人のつちやかおりのカバー。とても不倫騒動を起こすとは思えないこのような少女があのようになるとは・・・日本語詞は湯川れいこ。
1982年6月のデビュー曲

<歌詞(英語)>

You don’t own me, I’m not just one of your many toys
You don’t own me, don’t say I can’t go with other boys

Don’t tell me what to do
Don’t tell me what to say
Please, when I go out with you
Don’t put me on display,
‘Cause You don’t own me, don’t try to change me in any way
You don’t own me, don’t tie me down ‘cause I’d never stay

I don’t tell you what to say
I don’t tell you what to do
So just let me be myself
That’s all I ask of you
I’m young and I love to be young
I’m free and I love to be free
To live my life the way I want
To say and do whatever I please

A-a-a-nd don’t tell me what to do
Oh-h-h-h don’t tell me what to say
And please, when I go out with you
Don’t you dare put me on display

Hey, I don’t tell you what to say
I don’t tell you what to do
So just let me be myself
That is all that I ask of you

I am young and I love to be young
I’m free and I love to be free
To live my life the way I want
To say and do whatever…

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