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【山田洋次監督映画】幸せの黄色いリボン|【架空G】Dawn

この曲の内容はニューヨーク・ポスト紙のコラムに掲載された話を元にしている。刑期を終えて出所した男がバスに乗って妻のいる家に帰ろうとする。もし妻が待っているなら庭の木に黄色いリボンを結んでくれるはずだが、なければ・・・という内容である。親しみやすいメロディーとともに、この歌詞が人々の共感を呼び大ヒットにつながった。日本でも山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」のモチーフとなったことは有名である。
A--E

【原曲はキューバ】太陽は燃えている|エンゲルベルト・フンパーディンク

オリジナルヒットは61年キューバのトリオ、エルマンス・リグアル(Los Hermanos Rigual)が歌ったバージョンである。これに英詩をつけてラヴ・ソングとしてエンゲルベルト・フンパーディングがカヴァー、日本では1971年1月から2月にかけてのヒットした。原題Love Me With All Of Your Heart。
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哀愁のアダージョ(Adagio Cardinal)|レーモン・ルフェーブル

Adagio Cardinalというクラシックをポピュラーソングとしてレーモン・ルフェーブルが編曲したものである。日本では69年にシングル盤として発売された。原曲はスペインのミカエル・バケス(Michael Vacquez)作のクラシック音楽。原題はAdagio Cardinal。
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【原曲は1863年オペラ】真珠採り|リカルド・サントス

57年にリカルド・サントス楽団の演奏で日本でヒットした。「真珠採りのタンゴ」という題名でも知られている。原曲は1863年9月パリのリリック座初演フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーによるオペラ「真珠採り」のアリア「耳に残る君の歌声」
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オーティス・レディング(Otis Redding)|音楽人生のあゆみ

1950年代R&Bの盛んな街メイコンで育ったオーティスは町ののど自慢コンテストに出れば必ず優勝した。白人のウォルデン兄弟はオーティスのライブを見て衝撃を受け、意気投合した。1962年10月スタックス・レコードでデビュー曲「These Arms of Mine」がヒット。
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悲しき片想い(You Don’t Know)|Helen Shapiro

日本語カバー曲がTVの音楽番組を席捲するようになった頃の大ヒット曲。弘田三枝子、ザ・ピーナッツと飯田久彦や他にも多くの若手が歌っていた。本国の英国ではデビュー直後のビートルズがヘレン・シャピロの引き立て役になってるTV番組の映像が残っている。
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【録音後に急死】ドック・オブ・ザ・ベイ|オーティス・レディング

ソウルの王道中の王道を歩んだ人物が、その予期せぬ死の直前に熱唱型からガラリと姿を変え、日なが海を見つめている歌をうたうという、事故の3日前に録音されオーティス最大のヒットとなった異例の内容を持つソウルである。これが、とても胸に染みる。
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ホワッド・アイ・セイ(What’d I Say)|レイ・チャールズ

ダンスパーティで余った時間を埋めるために演奏したのが始まり。ほぼ一つのリフだけが繰り返され、それをレイが艶やかに装飾し、喘ぎ声のやり取りが繰り返されるクライマックスで、女性コーラスがオーガズムへと導く。これはゴスペルの手法を導入したもの。
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アイ・ガット・ア・ウーマン(I Got A Woman)|レイ・チャールズ

レイ・チャールズが神聖なゴスペルを俗世の恍惚の叫びへと変貌させた当初、彼は聖職者から激しい批判を受けた。だが、いったん表舞台に出た音楽は、公民権運動と歩調をあわせ、その成功は人種差別撤廃に向けて大いなる歩みを反映し、その人気は社会変化のイメージをそのまま写しだすまでになった。
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旅立てジャック(Hit The Road Jack)|レイ・チャールズ

「出ていって、ジャック!もう二度と戻ってこないで!」と女が言い、ダメ男ジャックがウダウダ言い訳をするというのがレイと女性コーラスの掛け合いの内容。オリジナルはパーシー・Mが60年に作り自ら歌ったもので、これをレイがカバーしたものがヒットした。歌詞と和訳。
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