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ボビーに首ったけ|【瓢箪から駒の歌手活動】マーシー・ブレーン

マーシー・ブレーンは45年NYブルックリン生まれで高校在学中歌手志望は全く念頭になかった。卒業間近だった62年夏、作曲家の卵の友人の頼みで売り込みのデモテープを吹き込んだ。レコード会社は彼女の歌声に興味を持ち、直ちに契約。最初に用意されたのが「ボビーに首ったけ」
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【名曲中の名曲】忘れたいのに|【美人3姉妹】パリス・シスターズ

61年豪華布陣で作られたこの曲はホンワカした甘い曲調で、パリジェンヌのような雰囲気を持つパリス・シスターズで歌われる、ゆったりとしたスローバラード。日本でこの曲の認知度を一気に高めたのは69年ラジオDJだった3人組モコ・ビーバー・オリーブのカバー。
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【名曲誕生秘話】Will You (Still) Love Me Tomorrow|ゴフィン&キング

ルーツであるゴスペルやR&Bのリズム感に、白人作曲家のポップ性が見事にマッチ。こうして独特のシュレルズ・サウンドが完成した。同時期のモータウン系が黒人によって全てを作ったのと比べ、60年代前半の米国において黒人と白人の文化を見事に融合したスタイルを作り上げた。
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【名曲】Will You (Still) Love Me Tomorrow|ザ・シュレルズ

黒人系のガールグループが台頭し、60年代前半黄金時代を築いた中で全員が高校の級友で57年結成のシュレルズが登場。60年11月21日から2週連続全米1位。ゴフィン&キングの名コンビ作品。ビートルズやアニマルズ等白人後続グループにも大きな影響を与えた
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【ビートルズと入れ替わり1位】サマー・ホリディ|クリフ・リチャード

1958年、17歳の時彼はクリフ・リチャード&ドリフターズ(後にシャドウウズと改名)としてデビューした。「ダイナマイト」「ヤング・ワン」「バチェラー・ボーイ」「サマー・ホリデー」と大ヒット曲を連発し、主演映画も次々と作られた。その殆どは歌謡ドラマみたいな青春映画である。
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キューティー・パイ(Cutie Pie)|ジョニー・ティロットソン

日本だけで63年にこの曲がヒットしたため、米国での60年の全米2位のヒット曲「Poetry In Motion」を邦題「ポエトリー」として64年になって発売し、これも日本でヒットした。日本語カバーもいくつか出ているが伊東ゆかり盤が代表的
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内気なジョニー|【実力派ジャズ歌手】ジョニー・ソマーズ

気弱な男の子を慕う女の子の心情と、ジョニー・ソマーズの可憐な歌声が相まって男心をくすぐるイントロが特に印象的な曲。日本発売は63年でその後映画「バイ・バイ・バーディー」が日本公開となり、挿入歌の「ワン・ボーイ」が伊東ゆかり他のカバーがTVでも盛んに流れた
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【ミュージカルの挿入歌】ワン・ボーイ|ジョニー・ソマーズ

10代の頃からテレビタレントとして活動し、59年大学時代にナイトクラブで歌っているところをスカウトされた。60年にファーストアルバムをリリース。同年6月ミュージカル「バイ・バイ・バーディ」の挿入歌「One Boy」でソロ・デビュー。
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なぎさの誓い(So Much In Love)|ザ・タイムズ

The Tymesは元The Latineersというグループ4人に、ジョージ・ウィリアムスをリード・ヴォーカルに迎えて1960年に結成された。この曲のシングルは2分8秒と短く、波の音の後ですぐに歌が始まるのだが、他にいくつかの異なるバージョンがある。
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サーフ・シティ(Surf City)|ジャン&ディーン

高校の友人でデュオを組んだのが58年、その後ディーンの兵役後59年に活動再開。ドゥーワップの影響が強いコーラスに重点を置いた曲作りは初期のビーチボーイズ等に影響を与え、交流の中でブライアン・ウィルソンに曲を依頼して生まれたのがこの曲。
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