和訳

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【日本が発掘】孤独の世界|【不遇の天才】P.F.Sloan

P.F.スローンは米国のシンガー・ソングライターで「明日なき世界」等のヒットを連発し、自らもシンガーとしての活動を模索したが週給数ドルで雇われた地位から脱出できなかった悲運の人。この作品は日本で66年に一度発売された後、69年に配給権が移って再発売されて日本でのロングヒットとなった。
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【米国7位日本1位】君はわが運命|【草創期代表】ポール・アンカ

ポール・アンカが作詞・作曲し、自ら歌った楽曲。1957年12月に発表され、アメリカ合衆国で7位まで上昇し、日本でもABCパラマウントから『ダイアナ』のB面としてリリースされ、こちらも爆発的な支持を受けると『ダイアナ』に入れ替わってトップの座に輝いた。
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【足が不自由な夫の切ない思い】ラストダンスは私に|ドリフターズ

白人ブルース歌手出身のドク・ポーマスが作り60年にこれが全米1位の大ヒット。自身の結婚式に花嫁と来賓たちとが手を取り合い踊る姿を見て、この歌詞が浮かんだ。日本では越路吹雪の代表曲として61,63年の2回紅白で歌われた。オリジナルはドリフターズ
A--E

【映画・世界残酷物語の主題曲】モア|アンディ・ウィリアムス

映画が完成した後にタイトルがつけられたため、オリジナルサントラには『MORE』という表記は無い。イギリス公開時に音楽面からテコ入れという目的で曲名が後付けされた。独立した曲として最初に録音したダニー・ウィリアムス盤が大ヒット。その後続々とカバー盤が続いた。
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【マイ・ウェイ原曲】Comme d’habitude|クロード・フランソワ

クロード・フランソワが67年に作詞して歌った「マイ・ウェイ」の原曲。原詩はなんともサエない感じの尻に敷かれた寂しい夫の物語で恋人だったアイドル歌手フランス・ギャルとの破局から生まれた曲。デヴィッド・ボウイ、プレスリー、シド・ヴィシャスの異色カバー。
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【殺人事件実話から】トム・ドゥーリー|キングストン・トリオ 

南北戦争で南軍に参加した実在の人物が、心変わりした恋人を殺し、絞首刑になった時の告白が元になった歌。キングストン・トリオは57年に学生3人で結成された。58年にデビューアルバムを発売し、そこからこの曲をシングルカット。58年全米1位獲得した。
A--E(T)

【希望の光を謳う】太陽のあたる場所|スティーヴィー・ワンダー

1962年の夏に”盲目の天才少年”のキャッチフレーズと共に12歳にしてレコードデビュー。66年にボブ・ディランの「風に吹かれて」をヒットさせた頃からクロスオーバー感覚が現われ、「太陽のあたる場所」など決してソウルっぽくはないヒット曲を出す。
A--E

【兄か神か謎の多い歌詞】サニー|【音楽一家生まれ】ボビー・ヘブ

シンガーソングライターのボビー・ヘブが66年に放ったヒット曲。ボビーの兄ハルが63年11月強盗に襲われ帰らぬ人となった。ボビーはその亡き兄の思い出を1曲の歌にした。それがこの「SUNNY」という曲。だが後日ボビー本人は兄の死との関係を否定している。
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内気なジョニー|【実力派ジャズ歌手】ジョニー・ソマーズ

気弱な男の子を慕う女の子の心情と、ジョニー・ソマーズの可憐な歌声が相まって男心をくすぐるイントロが特に印象的な曲。日本発売は63年でその後映画「バイ・バイ・バーディー」が日本公開となり、挿入歌の「ワン・ボーイ」が伊東ゆかり他のカバーがTVでも盛んに流れた
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【ミュージカルの挿入歌】ワン・ボーイ|ジョニー・ソマーズ

10代の頃からテレビタレントとして活動し、59年大学時代にナイトクラブで歌っているところをスカウトされた。60年にファーストアルバムをリリース。同年6月ミュージカル「バイ・バイ・バーディ」の挿入歌「One Boy」でソロ・デビュー。
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