はじめに
Three Degrees(スリー・ディグリーズ)のフィラデルフィア・インターナショナル・レコードでのファーストシングルで1973年10月小ヒット(ブラック部門で58位)となった。
1974年に日本の東京音楽祭で金賞受賞して大ヒットした「天使のささやき」(別記事)を日本ではセールスで凌いだ。日本発売は1974年年初であった。
原題は「Dirty Ol’ Man」、邦題は「荒野のならず者」
邦題は原題や歌詞の内容とは無関係である。ウェスタン映画「荒野の7人」やそれに続いたマカロニ・ウェスタンのブームに便乗したものであった。
原題をそのまま使えば「やらしいオッサン」のようにとても使えないので苦労して命名したと考えられる。
このシングルに付けられた謳い文句は「フィラデルフィア・ソウルのセクシー・ダイナマイト」であった。
日本ではシングル盤が1974年になってから発売され、ニッポン放送ポップス・ベストテンで3位(74.3.10)、文化放送オールジャパン ポップ20で5位(74.3.31)オリコン36位セールス14.4万枚という成績であった(天使のささやきは11.3万枚)。
日本のディスコ・シーンにおいてはこれに先立って73年アメリカでのプチ・ヒットをいち早く取り入れて、限定的ながら一部ではよく知られていた。
グループ名の由来
グループ名「Three Degrees」の由来は、英語のことわざ「Man,Woman,and Devil,are the three degrees of comparison.」である。
つまり女性は悪魔に近いという意味で、このグループが小悪魔的なイメージで出発したことを示している。
アルバム「荒野のならず者(Dirty Ol’ Man)」の見開き表ジャケット
当時LPを買えばもらえたポスターがこれ。セクシー路線で売る意図がシースルーのドレスでハッキリわかる。
同上お楽しみ中ジャケット
左からヴァレリー・ホリデー、シーラ・ファーガスン、フェイエット・ピンクニー。
デビューした60年代
グループの結成は古く、1963年から活動していたが、レコードデビューは65年。この時のメンバーはシーラ・ファーガスン(Sheila Ferguson)、フェイエット・ピンクニー(Fayette Pinkney)、ヴァレリー・ホリデー(Valerie Holiday)の3人で、結成時からのメンバーはフェイエットのみであった。
同郷の名匠リチャード・バレットに見出された彼女たちが最初に契約したのは地元のスワンであった。当初はソウルというよりブリル・ビルディング系のガール・ポップに近いものであった。
地元のスワン・レコードから「私のベイビー」でデビューし、大きなヒットではなかったがソウル・チャートでは65年4月80位という実績を残した。
この頃に無名時代のケニー・ギャンブル&レオン・ハフ(Kenny Gamble and Loen Huff)と出会ったことが70年代にブレイクする伏線となった。
その後69年からいくつかのレコード会社を渡り歩いて作品を発表し続けた。1970年6月に移籍したルーレットで、シャンテルズでヒットした「メイビー(Maybe)」のカバーが、ソウル・チャートで4位、ポップで29位にチャートイン。これでやっとスターの仲間入りを果たした。
72年までルーレットには在籍し9枚のレコードを出した。
親日的で日本での人気が高く何回も来日しており、日本の曲を日本語でレコーディングもしている。
当時の日本の人気TV番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演した外タレがスリー・ディグリーズだったが、その時「天使のささやき」を歌っている動画が残っており、YouTubeにアップされている画像を別記事で紹介している。
この曲のヒットから数年間多くの大ヒットを飛ばすが、この頃が黄金期と言える。
なおフェイエット・ピンクニーは2009年6月急性呼吸不全で死去した。
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ブレイクする前に映画出演していた
映画の予告編
アカデミー賞受賞作品「フレンチコネクション」(1971年度作品、日本公開1972年)にブレイク前のスリー・ディグリーズはクラブ歌手として出演していた。


荒野のならず者(Dirty Ol’ Man)-The Three Degrees(スリー・ディグリーズ)
この曲の魅力は何といっても力強いユニゾン唱法である。
この頃の映像
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