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ヤング・ワールド(Young World)~Ricky Nelson

Artist(English)
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リッキー・ネルソンのプロフィール

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芸能一家に生まれ、子役からスタート

 1940年5月8日ニュージャージー州ティーンネック生まれ。本名はエリック・ヒリアード・ネルソン(Eric Hilliard Nelson)。父のオジー(Ozzie Nelson)は1930年よりダンスバンドを結成、母のハリエット(Harriet)は1932年より同バンドの専属歌手として活動し、女優としても1936年、ジンジャー・ロジャース、フレッド・アステア主演のミュージカル映画「フォロー・ザ・フリート」に出演したこともあった。

 その前年の1935年、二人は結婚し1936年長男のデヴィッド、1940年次男のリッキーをもうけた。

 直後にはカリフォルニアのハリウッドに移り、夫婦で企画したラジオ番組「オジーとハリエットの冒険(The Adventures Of Ozzie And Harriet)」に出演した。同番組は1944年から1954年までオンエアされる一方、1952年からはTVでも放映され、リッキーも兄のデヴィッドや両親と共に子役としてレギュラー出演し、日本でもNHKで「陽気なネルソン」の題名で知られた。

 このTVショーでお茶の間の人気を得た彼は、以後も「ヒア・カムズ・ザ・ネルソン」「三つの愛の物語」といった映画に出演したが、当時のリッキーにはもう一つの夢があった。それは歌手への道だった。

歌手活動デビューまで

 両親の影響もあって音楽に興味を持っていた彼は、幼い頃からC&Wを聴きながらピアノを練習していた。16歳の時、ラジオから流れてきたエルヴィス・プレスリーに影響を受け、父からプレゼントされたギターをマスターした。

 また、エルヴィス自身の存在もさる事ながら、高校時代の思い出も影響していた。当時の彼にはアーリーンというガールフレンドがいて、彼女を家に送って行く際にエルヴィスの歌がラジオから流れてきた。実は彼女はエルヴィスの大ファンだったのだ。



 そこで自分もプロ・シンガーになる事を決意。その旨をアーリーンに伝えたが一笑に付され、自身のレコードを作って彼女にプレゼントするために努力したと言われる。

 生来のルックスの良さ、スクリーンでのキャリア、加えて音楽的にも相応のセンスを持ち合わせていたとなれば、レコード会社が目を付けるのも時間の問題だった。間もなくヴァーブ・レコード(Verve Records)がその存在に注目、1957年、同社と契約する事となった。

 ヴァーブ・レコードと契約した彼は、早速スタジオに入り3曲を録音した。そのうちの2曲を1957年春、デビュー・シングルとして、「A Teenager’s Romance(A面十代のロマンス)/I’m Walkin’(B面アイム・ウォーキング)」をリリースした。

A Teenager’s Romance

Ricky Nelson~A Teenager's Romance

I’m Walkin’

Ricky Nelson – I'm Walkin', 1957 (Remix)

 そしてこのA面が2位、B面が4位と両面共に大ヒットした。A面はデヴィッド・ギラムが書いたオリジナル。B面はファッツ・ドミノのカヴァーだった。共にジャズ・ギタリストのバーニー・ケッセルが指揮とアレンジを担当した。

 B面の「I’m Walkin’」はTVでやったところ大受けしたので、それ以後「オジー&ハリエット」では番組の最後に必ずリッキーの歌で終わるというパターンが出来上がるが、そのきっかけになった曲でもある。

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デビュー直後の移籍騒ぎ

 この勢いで続くセカンド・シングルも両面ヒット。だがセカンド・シングルを出した後、ヴァーブ・レコードが契約書の無い状態でリッキーのシングルを出していたことに着目し

 この移籍劇に関してはレコードの印税の一部がリッキーに支払われていなかったことに怒った彼が、会社に契約破棄を通告し同時に訴訟を起こし、間もなくヴァーブ・レコードを去ったとする説もある。

 この説によればセカンド・シングルが発売されたのは彼がヴァーブを去った後のことになる。最初に録音した3曲のうち残された「You’re My One And Only Love」とのB面にはバーニー・ケッセル楽団名義の曲がカップリングされた。これもその人気を反映し全米14位となった。

You’re my one and only love

Ricky Nelson – You're my one and only love

 いきさつはともかくインペリアル・レコード(Imperial Records)に移籍し、すぐさまデビュー曲「Be Bop Baby」が全米3位の大ヒットとなった。さらにこの勢いでデビュー・アルバム「Ricky」も1位を獲得するという快進撃であった。

Be Bop Baby

Be Bop Baby – Ricky Nelson.mp4

インペリアルでは大物がわきを固める

 インペリアルはリッキーのアレンジャーとしてジミー・ハスケルを起用した。レコーディングに際しては、エルヴィスのバックも務めていた名ギタリストジェイムス・バートンを筆頭に、ジェイムス・カークランド(Bass)、ジーン・ガース(Piano)、リッチー・フロスト(Drums)らが起用された。

 ジェイムス・バートンはリッキーがかねてより尊敬していたミュージシャンで、無理に頼んで加わってもらったという。このように優れたミュージシャン達を核にして、リッキーはアイドルらしからぬ本格的な音楽性を持ったレコードを次々に発表した。

 ジェイムス・バートンに関しては当ブログでも度々登場しているので、名前が記憶に残っている人が多いだろう。知らない人は代表的な連載記事『歴史に残る名演「A Black & White Night Live」』に詳しく述べているので参考にされたい。エルヴィス晩年のバックバンドTCBのメンバー4人が大物アーティストに伍してロイ・オービソンを支えている。

歴史に残る名演「A Black & White Night Live」(1)
ライブ開催に至る背景、1987年ロックンロール殿堂入り、次世代の一流ミュージシャン達からリスペクトを受けたたロイ・オービソン、参加ミュージシャン(プロフィール付き)、有名人の観客(プロフィール付き)

 移籍後のファースト・シングルとしてロカビリー・スタイルの「Be-Bop Baby(ビー・バップ・ベイビー)」は全米3位となった。因みにカップリングB面はビング・クロスビーのヒットエルヴィスもカバーした「Have I Told You Lately That I Love You(打ち明けるのが遅かったかい)」で、こちらは全米29位となった。さらにこの曲は1990年代にRod Stewartのカバーでヒットしたことでもわかるように時代を超え繰り返しカバーされる名曲として知られている。

have i told you lately that i love you

Ricky nelson – have i told you lately that i love you

Rod Stewartのカバー

Rod Stewart – Cover Song – Have I Told You Lately – released June 1993
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快進撃は続く

 この「ビー・バップ・ベイビー」以後も、
1958年全米5位 Stood Up(くよくよしないぜ)
1958年       Believe What You Say(本気なんだぜ)
1958年全米1位 Poor Little Fool(プア・リトル・フール)
1958年全米7位 Lonesome Town(ロンサム・タウン~寂しい町)
1959年全米6位 Never Be Anyone Else But You(お前ひとりが)
 このようにヒットを連発した。

Lonesome Town ポール・マッカートニーがカバーしている

Ricky Nelson – Lonesome Town (1958)

Paul McCartney & Friends – Lonesome Town

Paul McCartney Lonesome Town

 1961年の誕生日以降芸名を「リック・ネルソン」と改めるが、それと前後して「Travelin’ Man(トラヴェリン・マン)」が、1958年の「Poor Little Fool」に次いで再び全米1位を獲得した。このB面であった「ハロー・メリー・ルー」の方が日本では大ヒットしたのでこのブログにおいて既に紹介済みである。

Travelin’ Man

Ricky Nelson – Travelin' Man 1961
ハロー・メリー・ルー(Hello Mary Lou)~Ricky Neison
1957年から72年にかけてのリッキー・ネルソン人気のピーク61年5月に出たのがこの曲。A面が「トラベリング・マン」という全米1位を獲得した曲のB面であったが、こちらも全米9位。ジェームズ・バートンのギター・ソロが盛り込まれており、後のギタリストたちによってしばしば引用された。

 その間には「リオ・ブラボー」、「南太平洋ボロ船作戦」等の映画にも出演している。

 改名後も快進撃は続き、
1961年全米11位 A Wonder Like You(きみは世界一)
1962年全米5位  Young World(ヤング・ワールド)
1962年全米5位  Tean Age Idol(ティーン・エイジ・アイドル)
1963年全米6位  It’s Up to You(恋のアイドル)
等のビッグ・ヒットを出した。特に1957年から1962年にかけて、30曲ものトップ40を生んだ。これはエルヴィス・プレスリーの53曲、パット・ブーンの38曲に次ぐ大記録であった。



結婚と再移籍

 1963年4月20日、元フットボール選手でスポーツ解説者、俳優としても活躍したトム・ハーモンの娘クリスティンと結婚した(1982年離婚)。同時に5年余り在籍したインペリアルを離れ、100万ドルの契約金でデッカ・レコードに移籍した。20年間という大型契約であった。

 しかし1964年8月の「The Very Thought Of You」を最後にヒットチャートに入ることはなくなった。ビートルズ旋風の米国上陸によって音楽界の流れが変わったことが原因と言われているが、中小レーベルで大きな成功を収めた後に高額な契約金で大手レーベルに移籍した直後に人気を失うという経緯はエヴァリー・ブラザーズとよく似ている。

 彼のヒットソングは主に2種類の異なる音楽性の曲からなっていた。ひとつは「ハロー・メリー・ルー」や「イッツ・レイト」のようなアップテンポのロカビリー、もうひとつは落ち着いたおとなしめの声質を活かしたバラードであったが、どちらかといえば「トラベリン・マン」「ヤング・ワールド」といった後者の方でより大きな成功を収めたといえる。

 ネルソンのあまり広くない声域、いくぶん弱い声に合わせて、覚えやすいメロディで作られており、さらにカントリー・ギターにおける激シブ路線の代表格、ジェイムズ・バートンのサポートを受けていたこともあって、大ヒットにつながった。即ちネルソンひとりの力というより、バックバンド・録音技術等の力も大変大きかった。

人気凋落後の活動

 1964年4月には来日公演を行い、ミュージカル映画「ラヴ&キッシズ」にクリスティンと共に出演した。この頃はヒット曲がそれなりに続いていたが、この時期から幼い頃から好きだったカントリー・ミュージックにアプローチするようになった。結局1965年にはヒットチャートからは遠ざかり、その間1966年9月「陽気なネルソン」のTV放映が終了。この頃よりカントリーやフォークに積極的に挑戦するようになる。

 そして4年のブランクを経て再び表舞台に戻ったが、既に昔日の華やかさからは遠いものであった。その主な活動を列挙する。

1970年アルバム「In Concert At The Troubadour,1969(イン・コンサート アルバムチャート54位)」
・・・ロサンゼルスの有名なクラブ トロバドールでのライブを収録したアルバム
1970年アルバム「Rick Sings Nelson(リック・シングス・ネルソン アルバムチャート196位)」
1971年アルバム「Rudy The Fifth(ルディ・ザ・フィフス)」
1971年ニューヨークのマジソン・スクェア・ガーデンでチャック・ベリー、ボビー・ライデル、コースターズ、シュレルズ等と共にリバイバル・ショーに出演
1972年2月イギリス公演
1972年夏「Garden Party(思い出のガーデン・パーティ 全米6位)」
・・・イギリス公演の模様を綴ったもの、同名のアルバムもアルバムチャート32位、しかしこの後が続かなかった。
1973年全米65位「Palace Guard(パレス・ガード)」
1973年アルバム「Windfall(ウィンドフォール アルバムチャート190位)」
を最後にMCA(旧デッカ)を離れた。

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自家用機の墜落事故で死亡

 その後はエピック・レコード、キャピトル・レコードと渡り歩き、アルバムチャート153位(1981年)の実績が目立つくらいで、1983年NBC系列のTV映画に出演して話題を集めた。

 1985年イギリスでの50年代ロック・リバイバル公演が成功し、さらに同8月カリフォルニアのユニヴァーサル・シアターで行われたコンサートでファッツ・ドミノと共演し、翌年1月これが全米TV放映された。こうして再び活路を見出しかけた矢先、同年12月31日、全米ツアーの最中、テキサス・ダラスで行われるニューイヤー・イブ・コンサートに向かう途中、自家用機の墜落事故で死亡。享年45歳。死後の1987年ロックの殿堂入りを果たした。

 2005年、往年の活躍ぶりを収めたパフォーマンスやインタヴューがTV放映されたことから再び火が付き、2006年アメリカで発売された没後20周年記念アルバムのベスト盤がヒットした。

日本での代表曲ヤング・ワールドの歌声と映像

 そして1962年ビルボード5位(全英19位)までいったのがこの曲「Young World(ヤング・ワールド)」。前年全米1位になった「Travelin’ Man」を書いたJerry Fullerの作品。

改名後のジャケット
1961年にRickyからRickに改名したはずだが、ジャケットでは混在している。
日本発売盤ジャケット

 この頃はまだベトナム戦争の影も無くて今から考えると良き時代の最後の頃だった気がする。

Ricky Nelson(リッキー・ネルソン)

Ricky Nelson – Young World

詳細不明だが映画の中で歌ってるシーンと思われる

Rio Bravo – Dean Martin & Ricky Nelson & Walter Brennan (High Quality)
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カバーセレクション

不思議なことに日米共にカバーが非常に少ない

Timmy Reynolds

Timmy Reynolds – Young World

倉光薫

★倉光薫 ヤング・ワールド 1962 / Young World




<歌詞>

It’s a young world
When you’re in love, you’re in a young world
So take my hand and let me show you
Just how true young love can be

And oh, it’s a young world
And if you’ll tell me you’re my one girl
You’ll make my whole life worth livin’
Just by givin’ your love to me

All of the world is a treasure
When you have someone to care
Promise me your love forever
We’ll have the whole world to share

And it’s a young world
When you’re in love, you’ re in a young world
If you believe what I’ve told you
Let me hold you, say you love me

All of the world is a treasure
When you have someone to care
Promise me your love forever
We’ll have the whole world to share

And it’s a young world
When you’re in love, you’re in a young world
If you believe what I’ve told you
Let me hold you, say you love me

It’s a young world, oh
It’s a young world, oh
It’s a young world, oh
(Young world, young world)
It’s a young world, oh

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